第一章【悲報】絶海の孤島で銃殺死体と毒殺死体がポップしたんだが【名探偵急募】

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〈現在①〉  埼玉県埼玉市にある築二十年のありふれた一戸建てにスマートフォンの呼び出し音が鳴り響いた。  騒音の発生源は、不運なことに現在充電中で手元にない。  平均よりもやや高い身長の短髪の青年──桜小路(さくらこうじ)蒼介(そうすけ)がソファから立ち上がった。やや早足で壁際に向かい、スマートフォンを手に取る。画面には『夜船(よふね)(きょう)』と表示されていた。  京は蒼介の数少ない友人の一人で、恋愛小説や官能小説を書いてお金を稼いでいる美男子だ。その女性的な、美人と言っても差し支えのない容姿と相まって、とある界隈(かいわい)ではカルト的な人気があるらしい。  悪くはないけどイケメンって感じじゃないよね、と一年ほど前に別れた恋人から言われていた蒼介とは顔面偏差値に大きな差があるようだったが、馬が合い、高校生のころから親しくしている──今年で二十七歳だからもう十二年の付き合いだ。  応答アイコンをタップする。 「おう、どうした?」蒼介から口を開いた。 『いきなりごめんね。お願いというか、耳寄りな情報のようなものがあって』京の口調には半ば女性的とさえ言える柔らかな響きがあった──それはいつものことだから別にいいのだけれど、今の発言は言い回しが少し変だ。  だから蒼介は、「何だそれ?」とすぐに尋ねた。  長い付き合いだが、京の頭の中はよくわからない。男のくせに女性に刺さる恋愛小説や官能小説を書ける人間の脳内など、凡庸な蒼介には理解できるはずがなかった。 『この前、作家限定のアウトドアサークルの話をしたよね?』 「……あー、してたなぁ」長期記憶にした覚えはまったくないが、一応思い出すことができた。  何でも、金持ちの小説家──辻本佳人(つじもとよしひと)が主催するサークルで、釣りやキャンプ、登山やダイビングなど多様なアウトドアを楽しむものらしい。参加資格は一冊以上小説を出版していること。ただし自費出版は除く、だ。 『今年の夏も辻本さんの所有する島に六泊七日で遊びに行く予定だったんだけど……』  プライベート・アイランドでバカンスだ! という話はたしかに聞いた。住む世界が違いすぎて上手くイメージできないが、意味は辛うじてわかっている──プライベート・ビーチの上位互換だろ? と蒼介は雑に理解していた。 『どうしても外せない用事ができて行けなくなっちゃったんだ』京は残念そうに、ということもなく普通に言った。 「ふうん」話の先がわからず、蒼介は流すように相づちを打ち、「で?」と促した。 『うん、それで相談なんだけど』京は明るい口調で言う。『蒼介、釣り好きだったよね? 僕の代わりに行ってみない? 辻本アイランドに』 「たしかにルアー釣りはやるが……」無理だろ、と蒼介は内心で口にした。「俺、小説なんて出してないんだが」  それどころか読むことすら(まれ)だ。間違いなく参加資格はない。 『辻本さんさ、ホラーミステリーが得意分野なんだよね』 「だから何だよ」つーか、ホラーミステリーって何だよ? ジェイソンが探偵でもやるのか? 犯人をぶっ殺しそうで全然安心できない。  蒼介は地元、埼玉の県警本部刑事部捜査一課に勤める警察官だ。それほどまじめな刑事というわけではないが、殺人鬼が名探偵を兼業するなどという珍妙な事態は流石に受け入れられない。  京は、スマートフォンを耳に当てながら眉をひそめる蒼介のことなど知る由もなく、楽しげな様子で続ける。『蒼介が現役の刑事だって辻本さんに話したら、「ほう、それはすばらしい。ぜひとも参加して殺人事件について教えてほしいものだ」って鼻息荒くしてたよ』 「いや、あのな」蒼介はあきれを多分に含んだ声を発した。「小説のことは知らんけど、フィクションと現実は違うからな? ドラマみたいに派手(はで)なトリックも意外な真犯人もいないし、何なら事務仕事だけの日もざらだ。それに、仕事の話っつっても一般人に話せる内容なんてたかが知れてるぞ?」変な期待を抱かれても困るのだ。 『わかってるわかってる』京は全然わかっていなそうな軽い調子で言った。『それは辻本さんも承知してる。でも、ミステリー作家にとって捜査一課の刑事っていうのは話を聞きたい存在なんだよ。僕もセックスミステリーを書いたことがあるからわかるんだけど、やっぱり現役の刑事の生の声っていうのは貴重なんだよ。僕ら一般人は実際の殺人事件とか捜査のことなんてわからないからね』  セックスミステリーが何なのか非常に気になるが、とりあえずは、「そういうもんかね」とだけ口にした。 『そういうもんです』 「ちなみに費用は?」  蒼介の稼ぎは年齢を考えると悪くはないが、かといって一流企業のエリートには遠く及ばない。自腹で島に遊びに行くのはいささかハードルが高いように思われた。 『蒼介は払わなくていいよ。本当なら自分の分は自分で払わなきゃいけないんだけど、今回は急な代役だし、何より辻本さんは招待という形にしようとしてるみたいだし』  具体的に考えてみる。  今の県警本部長は今風の思想を持っているらしく、年次休暇をしっかり取ることを推奨している──年次休暇を使いたいなんて言い出せない雰囲気作りに精を出していた前の本部長とは雲泥の差だ。  また、蒼介一人が数日休んだところで課全体が機能不全に陥ることもありえないし、多少は嫌な顔をされるかもしれないが、現在抱えている仕事からいっても休むこと自体は不可能ではないだろう。 「でもなぁ」しかし、蒼介には大きな気がかりがあった。「雫由(みゆ)を置いてくわけにはいかないしなぁ」  蒼介には今年の六月──今は七月だ──に九歳になったばかりのかわいい義妹(いもうと)がいる。両親は共に他界していて現在は彼女と二人暮らしだ。彼女を残して自分だけバカンスというのはためらわれた。 『もちろん、雫由ちゃんのことも話してある。「本当はダメだけど、刑事さんと親しくさせてもらえるのなら特別に二人まとめて招待するよ」だってさ』  微妙に偉そうなのが鼻につくが、そういうことなら参加しない理由はなくなる。蒼介とてプライベート・アイランドで好き勝手に海水浴や釣りを楽しみたいという思いはあるし、雫由にも夏休みの思い出をプレゼントしてやりたくもある。 「……あー、京さんや」普段は敬称など付けないが、今は自然とそうなった。 『何だい?』察しているだろうに白々しく京は尋ねてきた。 「参加させてもらってもいいか?」 『もちろん』  こうして蒼介と雫由──雫由のまったく知らないところで──の夏のハッピーバカンス計画が決定した。  今年の夏は熱く(・・)なりそうだ──なんてことを思っていた。    八月三日。  蒼介と雫由は東京の羽儺(はねだ)空港に来ていた。くだんの島には辻本の所有する超大型ヘリコプターで向かうからだ。  京との通話を終えた蒼介は、早速、〈辻本佳人〉の名を検索してみた。すると幾つかのヤバい事実が判明した。  というのも、どうやら辻本はかの有名な辻本グループの副総帥だったのだ。辻本グループとは、エレクトロニクスや軍事産業、建設業、自動車産業、金融業などの分野で世界に多大な影響を与えている日本を代表する企業集団だ。彼はそこのナンバー2である。当然のように高学歴であり、工学分野の博士号を取得しているそうだ。  また、辻本は小説家としても優秀で、ホラー系の文学賞とミステリー系の文学賞が統合してできた某ホラー&ミステリー大賞を受賞してデビューして以来、精力的に執筆を続け、現在、彼の著書は七十冊を超えているらしい──頭おかしいわ。いつ寝てるんだ? それとも辻本グループの副総帥っつーのは暇なのか? と蒼介は困惑せざるを得なかった。  羽儺空港の第二ターミナルは、夏休み期間中だからだろう、朝の九時になったばかりだというのに人がごった返している。 「蒼介……」雫由が眠そうな目をこちらに向けてきた。そして、「凛香子(りかこ)さんたちはどこ……?」と辺りを見回した。しかし──同学年の子供たちの中でも特に──背が低いせいでほとんど意味はなさそうだ。 「たぶんここら辺にいるはずなんだが……」雫由に(なら)い、蒼介も首を回す。  すると、少し先の四角いベンチに座る艶やかな黒髪の美女を発見した。行き交う人々の隙間からちらりと見ただけでも美しいとわかる、独特なオーラのようなものをまき散らしている。  いた。あの人だ──蒼介はビデオ通話で見た河合(かわい)凛香子(ペンネーム)の顔を思い浮かべ、そう判断した。  凛香子も今回のバカンスの参加者だ。京の紹介で連絡先──ただし、凛香子は仕事用のアカウント──を交換し、初参加の蒼介にいろいろと教えてくれた。年齢も二十八歳と一つしか違わないため話しやすく、すぐに打ち解けることができた。と蒼介は思っている。まだ本名は知らないが。  不意に凛香子と目が合った。 「あ」とでも()らしたのか、凛香子は小さく口を開けた。それから、クール系のモデルのような雰囲気に反する天真爛漫(てんしんらんまん)な少女めいたほほえみを浮かべ、こちらに向かって手を振った。  どきりとした。凛香子ほどの美人とは付き合ったことはおろか関わったこともほとんどない。捜査一課にも見目麗しい女性──蒼介の元指導係の先輩刑事だ──はいるが、蒼介的には凛香子のほうが好みだ。緊張の度合いはキャリアとノンキャリアの待遇くらい違う。  一瞬、手を振り返そうかと思ったが、気恥ずかしく感じたため会釈するにとどめた。 「蒼介……?」雫由は蒼介の様子を不思議そうに見つめながら首をかしげた。「変な顔してる」  変な顔なんてしていない。はず。  と蒼介は信じている。したがって、ごまかす必要は皆無のはずなのだが、「ほら、凛香子さんのとこ行くぞ」とごまかすようにやや早口で言い、雫由の手を引いて凛香子の下へ向かった。  人混みを縫うように進み、到着すると、そこには凛香子含め四人の男女がいた。  この人たちも全員小説家、すなわちアウトドア派作家という、一見矛盾していそうで、よく考えると別にそんなことはない人種の人たちなのだろう。 「蒼介君? だよね?」最初に声を発したのは凛香子だった。 「はい、俺が桜小路蒼介です」隣にいる雫由に視線をやり、「こっちが義妹の雫由です」 「雫由です」雫由はともすれば人混みの喧騒(けんそう)()き消されそうな控えめな声量で名乗った。  凛香子は頬を緩め、「はじめまして、河合凛香子です」と雫由に挨拶。 「うん」口数が多いほうではない雫由は、短く応じた。 「すみません、こいつ人見知りで」蒼介は取って付けたような言い訳を口にした。 「いいよいいよ、気にしないで」凛香子は屈託なく言ってから、「まだ少し時間あるし、みんな軽く自己紹介しようか」と蒼介たちと凛香子のやり取りを興味深そうに眺めていた小説家たちを見やった。  小説家たちは、誰からいく? と相談するように顔を見合わせた。そして一、二秒後、三十歳ぐらいに見える彫りの深い端整な眉目の男性が、蒼介に顔を向けて口を開いた。「桐渓岳大(きりたにたかひろ)だ。青春やヒューマンドラマジャンルで何冊か出させてもらってる」  凛香子が言うには、このサークルでは皆、ペンネームで呼び合い、基本的に本名は明かさないそうだ。だから、桐渓岳大とかいう、いかにも渓谷らしい名前も本名ではないのだろう。  なお、京と辻本はペンネームを使わずに本名で活動しているので、この二人だけは例外だ。 「よろしくお願いし──」蒼介が応えようとすると、 「あんた刑事なんだって?」桐渓は遮るように言葉を発した。「『エグい殺人事件の話が聞けるかも』って凛香子がはしゃいでたぜ」 「ちょっと! 余計なこと言わないでよ!」鋭く言った凛香子は、しかし一転、蒼介には照れくさそうな顔を見せ、「わたし、ミステリー専門なのよ。だから事件や捜査のことをいろいろ教えてくれるとうれしいな」とあざとくお願いしてきた。 「わかりました! 何でも聞いてください!」と言いたいところだが、実際にそれをやったら怒られるので、「ははは……」と曖昧に笑って受け流した。  次に、蒼介より幾つか年下らしき、しつこい赤のアイメイク、いわゆるメンヘラメイクの女性が名乗った。「わたしは甘露(あまつゆ)るい。登山とかハイキングやってます」そこで何かに気づいたらしく、「あっ」と声を上げ、凛香子に、「書いてる小説も言ったほうがいい?」 「どちらでもいいわよ」凛香子は淡白に答え、「ちなみにわたしの代表作は〈このイヤミスがエグい!〉で大賞を頂いた、『(あか)(はね)』っていうミステリーよ」と宣伝とも自慢ともつかないようなことを続けて口にした。 「玄人(くろうと)好きのする名作だそうですね」凛香子の著書とその評判についてはネットで予習済みだ。 「じゃあ、わたしも宣伝しとこ」と悪戯(いたずら)っぽく笑って甘露は、「『コウシャクレイジョウは今日も豚小屋でカップラーメンをすする』っていうわたしの小説が原作のアニメが、十月から放送されるからよかったら見てね」と謎のタイトルを口にした。  コウシャクレイジョウ? ……あ、侯爵令嬢か公爵令嬢のことか──いやいや何で豚小屋? 何でカップラーメン? どんな話だよ……。  蒼介は混乱した。しかし何とか、「わ、わかった、今度見てみる」と絞り出すことができた。 「僕は有栖(ありす)夢生(むう)」今までチラチラと雫由に視線をやったりやらなかったりしていた男性が言った。「有栖が名字で夢生が名前ね」 「はい、よろしくお願いします」 「うん、よろしく」  有栖の風貌を一言で表現するならば、()肉中背だろうか。平均よりやや低めの身長に標準を大きく超える体重であろう太っちょの中年男性──三十代後半ぐらいだろう──だ。  名前が珍しいのはペンネームだし別にいいのだが、そんなことよりも蒼介は、この体型でいったいどんなアウトドアの趣味を持ってるんだ……? と、そればかりが気になっていた。つい、まん丸のお腹に目が行ってしまう。  蒼介の内心を察したのかは不明だが、有栖は、「自然の中で調達したいろんな物を食べるのが好きでこのサークルに参加してるんだ」と説得力のある説明をしてくれた。 「なるほど」蒼介はうなずいた。  動画共有サイトで、謎の野草やよくわからない外来種の魚、グロテスクな見た目の虫などを食べている動画を見たことがある。有栖の趣味はそれに類するものなのだろう。 「ちなみにどんな小説を書くんですか?」 「僕は小説家じゃないよ」 「え!? そうなんですか?」何だ、俺たち以外にも小説家じゃない人がいるじゃないか──、 「うん、僕は小説家ではなくラノベ()。ファンタジーを専門に書かせてもらってるよ」 「──ああ、小説家じゃないってそういう……」と納得したふうを装ったけれど、いちいち一般文芸作家とライトノベル作家を区別し、しかも〈ラノベ家〉などという聞き慣れない言葉を使う理由やメリットはよくわからない。が、それを気にするメリットもないのであえて突っ込むようなことはしない。  これでここにいる全員の自己紹介が終わったのだが、 「たしか参加者は俺と雫由を入れて七人でしたよね?」蒼介は凛香子に尋ねた。聞いていた話では、あと一人いるはずなのだ。 「そうなんだけどね」凛香子は肯定したものの、「ハル君、すっごくマイペースな子だから。遅刻も珍しくないし、その時の気分でドタキャンすることもあるのよねぇ。今日も来てくれるかどうか……」と困ったように眉を集めた。 「そうなんですか」と言ってから蒼介は、ハル君──上杉(うえすぎ)ハルに関する情報を頭の中でおさらいした。  五年前、当時現役高校生だった上杉は、日本で最も有名な純文学系の文学賞を受賞して世間をにぎわした。 『天才高校生作家』『純文学の申し子』『現役高校生が史上最年少で純文学の最高峰、──賞受賞!』  こんなふうにもてはやされていたと記憶している。  聞くところによると、その後に発表した著書もすべて高い評価を得ているそうだ──まさしく天才なのだろう。それゆえの協調性のなさなのかもな、と蒼介は思う。紙一重って言うしな。 「あ、ハル君」甘露が蒼介の後ろを見ながら声を発した。  背後を振り返ると、柔らかそうな髪に寝癖をつけた痩身の青年がいた。不健康そうな印象を受けるが、かわいらしい顔立ち──イケメンと言っても問題はないだろう──は、当時テレビで見たものとそう変わっていない。  ハル君と呼ばれた青年は、挨拶のつもりなのか蒼介に向かって、「ん」と発した。そして、「上杉ハル」と起伏のない口調で名を告げた。  高校生のころから最前線で活躍しつづけてるんだから割とマジですごい小説家なんだろうな、などと考えつつ、「桜小路蒼介です。よろしく」と簡単な挨拶を返した。 「ん」またしても省エネコミュニケーションを披露した上杉は、もう用はないとばかりにスマートフォンを取り出してパズルゲームを始めてしまった。 「……」さ、最近の若い子にとってはこれが普通なのか……?  職場では蒼介も若手に含まれるのだが、上杉と比較すると確実におじさんだ。そういえば雫由も初めは似たような感じだったっけ、と思い出した。俺が知らないだけで今の若い子たちにとっては初対面のサークル参加者にはこのくらいの対応が普通なのかもしれない──と本気で思っているわけではないが、一抹の不安を払拭するために凛香子に、困惑してる俺はおかしくないよな? この子が変わってるだけだよな? と目顔で問いかけると、彼女はその美しい顔に苦笑を浮かべ、「ハル君はこういう子だから()れて」 「あ、はい、了解です」素直にうなずいた蒼介だったが、心の中では、このサークルの人たちみんな癖強そうだな、と(こぼ)していた。  ──でも、ま、そのくらいのほうが楽しいかもな。 「よーし、全員そろったし、時間も迫ってきたし、そろそろ行こう」凛香子が言った。 「はぁーい」「だな」「ん」「おっけー」甘露、桐渓、上杉、有栖がそれぞれ返事をし、蒼介も、「わかりました」と答えた。  隣の雫由に視線をやると、いつもと変わらぬ眠たげな表情の中にかすかな高揚が見て取れた。 「はぐれて迷子になるなよ」蒼介が注意すると、 「もう三年生なんだからならないよ」  雫由はいかにもフラグのような台詞(せりふ)を口にした。
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