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第1話 熊さん、森の中で娘さんと出逢う
グントバハロン国に住まうヴィリアム・マンダールは、男性の中でもかなり大柄だった。農夫の父と、女性ながらに木こりを生業としている母が、そろいもそろってなかなかの大柄なので、両親の遺伝子を色濃く受け継いだのだろう。母に似た妹も女性にしては背が高くて両腕も両足も筋肉質で、マンダール一家といえばその身体の大きさで有名だった。
そのマンダール家の長男であるヴィリアムは、名のある武家であるハリーン家に仕官する形でグントバハロン国の軍に入り、十代の頃から武人として生計を立てていた。父のように農業をするか、母のように木こりをしてもよかったのだが、ヴィリアムの恵まれた体格に目を止めたハリーン家の長男エンドリから何度も仕官を乞われて、成人と同時に武人の道を選んだのだ。
ヴィリアムの背丈は平均的な男性の身長よりも頭ひとつ分以上は大きく、顏はどちらかというと細長の印象だが首は顔の幅ほども太く、大槍を振り回すために鍛錬した上腕と前腕は、まるで丸太のようだ。腰はくびれなどなく直線的で、当然腹筋はバキバキに割れている。太ももも、特注のズボンでなければ履けないほどに分厚くて太く、弓矢の一本ぐらいなら刺さることなくはじいてしまいそうなほどに硬い。
そんなヴィリアムが熊に喩えられるのは、当然であろう。ヴィリアムの上司と言ってもいい第一陸軍第一陸上戦隊隊長のエンドリ・ハリーンも、巨躯のヴィリアムを年下ではあるが親しみを込めて「熊さん」と呼んでいた。
熊さんことヴィリアムは今年で齢二十五になるが、その雄々しすぎる見た目が忌避されて、残念ながら異性にはとことんモテない。ヴィリアムのたくましい体型に憧れる同性はいても、彼のあまりにも密度の高い存在感に恐怖を覚える女性ばかりで、彼と親しげに話そうとする異性はほとんどいない。グントバハロン国は昔から軍の力が強く、一般的な女性でも武人の姿は日常的に見慣れているはずだが、しかしそのグントバハロン国の女性をもってしても、ヴィリアムの見た目は思わず恐れてしまうものだった。
それゆえに、軍内の付き合いで娼館に行ったことはあるが、ヴィリアムは恋人の一人もいたことはない。父と結婚した母のように、自分に近しいほどのたくましい体付きの女性でないと、ご縁は結ばれないのだろう。
しかし残念なことに、豪快に樹木を切り倒す快活な母を見すぎたのか、ヴィリアムのタイプの女性は母と真逆だった。すなわち小柄で華奢で、小動物のようにちょこまかと動く、自分には逆立ちしても持ち得ない愛くるしさをそなえた女性だ。だがその好みゆえに、ますますヴィリアムは女性と縁がない。なぜなら、ヴィリアムが好む小柄で愛らしい女性は、間違いなくヴィリアムを恐れて目も合わせようとはしないからだ。
いい年齢なのだから早く結婚しろ、と父は言う。かわいい嫁さんを連れてきておくれよ、と母は言う。お兄ちゃん、早くしないとあたしが先に結婚しちゃうよ、と妹は言う。なんなら上司のエンドリも口うるさいほどに言う。「結婚はいいぞ」と。
確かに、ヴィリアムの周りには気付けば既婚者が増えていた。部下の結婚をやたらと急かすエンドリのせいだとは思うが、この国では男女共に二十代前半で結婚するのが一般的なので、二十五歳のヴィリアムの周囲に既婚者が増えるのは道理だろう。
しかし、そうせっつくならば、ぜひ嫁たる女性を連れてきてほしいとヴィリアムは思った。自分を怖がらない、理想ぴったりの小柄で華奢な愛くるしい女性を。そうすれば今日にでも明日にでも結婚してやろう。そんな女性がこの世界にいるのならばな、と。
「第四班、撤収完了。損害ありません。第三班は予定通り見張りに残っています」
「そうか、ご苦労」
敬礼の姿勢で報告するヴィリアムを、第一陸上戦隊の隊長を務めるエンドリ・ハリーンは落ち着いた声でねぎらった。
いま二人がいるのはグントバハロン国ではなく、グントバハロンの西隣にある同盟国のルティドロンだ。もはやお馴染みではあるが、北の原住部族がまた南下してきてルティドロンの民に被害が出たので、ルティドロンはグントバハロンに救援要請を行った。そうして原住部族放逐任務を命じられたのがヴィリアムの所属する第一陸軍第一陸上戦隊で、ルティドロンの北方域最大の都市であるアマツリヤを訪れていた。
「雪解けが始まると、原住部族の南下が活発になりますね」
「大方食い物が欲しいんだろう。威嚇攻撃をしつつも、主な目的は作物の窃盗のようだからな」
原住部族は言葉が通じない。グントバハロンやルティドロンに比べると文明の発達速度は遅いようで、格好や使っている武器も貧相だ。しかしなかなかに攻撃性が強く、さらには仲間意識も強い。北の大地では作物の実りが少ないからなのか、生きるために他国の領土へ侵入しては、様々な食べ物を奪っていく。時には年頃の娘も攫っていくので、温厚な民が多く軍事力がそれほどないルティドロンとしては、北の原住部族の存在はなかなかの脅威だった。
「俺たちグントバハロンが来たと知れば、多少は引き返すだろう。しばらくは見回りを続けるぞ」
「はい」
エンドリの指示に、ヴィリアムは頷いた。
今日はルティドロンが北の国境線と定めているエリアまで赴き、そこを超えようとしてくる原住部族たちを追い払っていた。彼らに言葉は通じないが、これだけ長年にわたって競り合っているので、彼らはルティドロンの人間とグントバハロンの人間の区別はつく。そして軍事力の強い後者が来たと知れば、しばらくはおとなしくしてくれるのだ。
「これでまた、グントバハロンの民の腹はふくれるな」
エンドリは苦笑した。
ルティドロンという国は、軍事力が弱い。国民全体が温厚な気質なので、戦うことを好む者が少ないのだ。その代わり、「耕す者の国」という国名が意味するように、やたらと作物を作ることに長けている。北方から流れてくる雪解け水によって土壌が潤っているという地理的条件もあるのだろうが、田畑で作る穀物、野菜、果物のほか、木の実やキノコ、もちろん酪農で得られる肉や牛乳、それらを加工した品々など、実にバラエティに富んだ食べ物を作るのだ。そしてその量は、ルティドロンの全国民が満腹になる分量をゆうに超える。ではその余剰分はどうなるのかというと、軍事支援を行ってくれるグントバハロン国へ送られる。自分で自分の身を守れない代わりに守ってくれるグントバハロン国へ、ルティドロンの民は喜んで食べ物という礼を差し出すのだ。これが、「ルティドロンはグントバハロンの台所」と揶揄されるゆえんである。
「あの、あの……すみません、すみませんが」
その時、エンドリとヴィリアムに声をかける者がいた。
二人はアマツリヤの街の北口に立っており、見張りのために街の外に残した第三班以外の撤収を指揮していた。その作業も終わり、さあ自分たちも今夜は街に戻るか、という頃合いだったのだが、そんな二人に声をかけたのは背中の丸まった老婆だった。
「グントバハロンの武人さんたちですよね。あの、あの……街の外でうちの子を……ノエラを見かけなかったでしょうか」
「確かに、我々は街の外にいて戻ってきたところですが」
「そのノエラというのは子供でしょうか」
「いいえ、いいえ」
足元と同じく口調の覚束ない老婆は、かなり老いているようだ。普通の女性ならヴィリアムのことは怖がって近寄りもしないが、老いて恐怖心を失っているのか、ヴィリアムとエンドリを懸命に見上げている。
関わらなくてもいいかと思ったが、必死な老婆を無下にすることもできず、ヴィリアムは老婆に詳細を尋ねた。
「女性ですかね。歳と背格好を教えてもらえますか」
「ノエラは二十歳で、茶色のローブを羽織っております。私の、私の……薬にするために、薬草を取りに行くと……雪がとけて、とけて、そろそろ新芽が出るからと」
「女性が一人で街の外へ?」
「ええ、ええ……止めたんですよ。でもね、慣れてるから平気と。日暮れ前には戻ると」
「今はもう日暮れですね」
ヴィリアムは西の空を見上げた。木々の合間からまだ陽光がまっすぐに指しているが、あと少しでその光も完全に西の地平に落ちて消えるだろう。
「エンドリ隊長」
「ああ、許可する。探しに行ってやれ。ただし、間もなく夜になる。無茶はするなよ」
ヴィリアムが視線で捜索許可を求めると、エンドリは頷いた。ヴィリアムは再度老婆に視線を戻すと、もう一度質問した。
「お婆さん、ほかにノエラさんの特徴はありませんか」
「特徴、特徴……そうね、そうね……ノエラはとてもかわいい子よ。くりっとした目でね、笑うとほっぺが丸くふくらんでとてもかわいいの」
「その目の色とか、髪の色とかは」
「目の色は水晶みたいな薄い紫色よ。髪の毛は薄茶色、とてもかわいいのよ」
「薬草を取りに行った場所はわかりますか」
「それは、たぶん、たぶん……そうね、北西のブナ樹林のあたりじゃないかしら。あのね、とてもかわいい孫なの……だから心配で、心配で」
老婆は薄暗くなりつつある北方を見やった。濁ったその目には、ありありと不安が浮かんでいる。それもそのはずだろう。孫娘が日暮れ時になっても帰ってきていないとすれば――それも、原住部族がうろついているかもしれない街の北側へ行ったままなのだとしたら。
「隊長、街に戻れない場合は、第三班と合流します」
「そうだな、それがいい。気を付けて行けよ」
「はい。お婆さん、ノエラさんは自分が捜してきます。もしかしたら行き違いになるかもしれませんし、お婆さんはご自宅で待っていてください」
「ええ、ええ……お願い、お願いします、大きな武人さん」
ヴィリアムはエンドリに再び敬礼の姿勢をとると、グントバハロンの遠征隊が間借りしている軍会館へ走った。装備品管理担当者から小さなランプを借りて腰にくくりつけると、厩舎で待機していた自分の愛馬にまたがる。そして街の北口へと馬を走らせ、北西を目指した。
冬が終わって春になりつつあると言っても、朝晩は冷える。まさか薄着はしていないだろうが、あまりにも見つけるのが遅くなると凍えて死んでしまうかもしれない。そうでなくても、夜の外は原住部族や野生の動物たちといった危険因子が多い。それらに遭遇していなくとも、明かりを失えば道と方角を失い、慣れている土地であっても帰還が難しくなるだろう。
(祖母のために、か。優しいな娘んだろうな)
街を出てしばらく、ブナ樹林に近付いたヴィリアムは馬を降りた。そして手綱を引きながら腰元のランプを手に取って掲げ、注意深く周囲を見渡しながら歩く。茶色いローブを羽織っているとのことだったが、残念ながらこの自然の中においてそれは目印にはならない。それどころか逆に茶色い土や木々にとけ込んでしまい、ノエラの姿を隠してしまうだろう。
「ノエラさーん。ノエラさーん、いますかー」
ヴィリアムはなるべく遠くへ向かって叫んだ。視界による捕捉が難しいと予想されるので、自分がノエラを見つけるよりもノエラに自分を見つけてもらった方がいいだろう。ランプの灯りはまだ十分時間灯っているので、この灯りが少しでも彼女の目に入ればいい。
「ノエラさーん」
野太いヴィリアムの声が、ブナ樹林に吸い込まれていく。
地面の雪は多くの場所でとけ始めており、いち早く頭を出してきたと思われる野草が茂っているのがちらほらと目に入った。しかし木の根の間にはまだ雪が残っており、雪解け水で地面はどこも全体的にぬかるんでいる。周囲の地形は起伏があって、思わぬところで急斜面になっていた。もしも運悪くすべって転んで斜面を落ちていってしまったら、自力で上ってくるのは難しいかもしれない。
「ノエラさーん」
二十歳の女性がこんな風に知らない男の、それも獣のような低い声で名前を呼ばれたら怖いだろうか。そう思ったヴィリアムは、呼ぶのではなく話しかけるように声を出した。
「あなたのお婆さんに頼まれて捜しにきましたー。自分は、グントバハロンの陸戦隊の者ですー。ノエラさーん、いたらお返事していただけますかー。一緒にアマツリヤの街へ帰りましょうー」
刻一刻と陽は沈んでいく。早く見つけなければ完全に日が暮れて、よりいっそう寒くなってしまう。それでもまだ諦めるタイミングではないと思い、ヴィリアムは懸命に叫びながら歩き回った。今回の任務のためにこのあたりの地理を頭の中に入れておいたおかげで、街の方角も第三班が野営している方角もわかる。自分の帰路は大丈夫だ。とにかくノエラを見つけなければ。
「ノエラさーん」
「あの……あの、ここです」
その時、とても小さな声ではあったが確かに女性のか細い声がした。
ヴィリアムは顔色を変え、その声の方角を探る。
「ノエラさん、どこですか。なんでもいいので、頑張って声を出してください」
「はい……あの……ここ……ここです……っ!」
振り絞るような健気な声。本人はとても頑張って出した大声なのだろうが、ヴィリアムは自分の声に比べるとなんとも頼りなく思えた。
しかし、彼女なりの大声のおかげで大方の位置がつかめたのでその方角へと歩いていき、ヴィリアムはランプを手前にかざした。そして斜面の下に、地面と一体化したような人影を見つけた。
「ノエラさんですか」
「そ、そうです」
「ここから降りるのは危険なので、安全な方から迂回します。もう少し待っていられますか」
「はい……」
ヴィリアムはランプを腰元に戻すと馬に乗った。北側へ進み、なだらかな坂を見つけるとノエラがいた方角へと下りていく。そしてノエラがいる場所に到着すると下馬して近付いた。
「大丈夫ですか」
「ええ……でも」
「っ……」
その時、ランプの灯りに照らされたノエラを至近距離で見たヴィリアムは固まった。
(か……かわっ……!)
かわいい――! とてつもなくかわいい。
なんだこの女性は! 冗談じゃなく本当に心の底からかわいい!
老婆は孫かわいさに誇張しているのだろうと思って真に受けなかったが、本当にノエラはかわいらしかった。ヴィリアムを見つめる目は丸っこくてくりっとしており、水晶のような薄い紫の瞳は不安と安堵が混ざっているのか今にも泣きそうなほど潤んでいる。肩にかかる茶色の髪は細くてさらさらで、指を通したらさぞや極上の手触りがするのだろう。白い肌の頬は寒さを感じているのか赤くなっており、笑えば確かに丸くふくらみそうだ。老婆が何ひとつ誇張などしていなかったことに、ヴィリアムはいっそ敬意を表したいと思った。
「あの?」
「えっ」
穴が開くほどじっとノエラを見つめていたヴィリアムは、きょとんとしたノエラの表情を見てはっとした。
彼女がかわいくて思わずまじまじと見惚れてしまったが、彼女の目に自分はどう映るだろうか。そんなこと、考えるまでもない。あまりにも雄々しすぎる巨躯に、背中には物騒な大槍。彼女の愛くるしい目と比べれば目付きは悪いし、助けに来たことはおそらく理解してもらえているだろうが、そうでなければきっと暴漢だと勘違いされるに違いない。
「す、すみません。助けに来ました。立てますか」
ヴィリアムはせめて口調では決して怖がらせたくないと思い、なるべく丁寧かつ優しい声で尋ねた。すると、ノエラは力なく首をふるふると横に振り、涙声で答えた。
「すべってここへ落ちて、足首を捻挫したようなんです。少しでも動かすと、とても痛くて……」
「足首ですか。左右どちらですか」
「えっと、左足です」
「わかりました、ちょっと待ってください。応急処置をします」
ヴィリアムはそう告げると、きょろきょろと周囲を見渡した。そしてちょうどいい長さの棒切れを見つけると、ノエラのすぐ傍に膝を突いた。
「この棒を添えて足を固定します。そうすれば、不用意に動くことはないはずです。街へ戻ったらすぐ医者に行って冷やしましょう。あの……失礼ですが、さわってもいいですか」
「え……あ、はい」
ノエラが頷いたので、ヴィリアムは迷彩柄の軍服の内ポケットから麻紐を取り出した。若い女性の足にふれている、などと余計なことは考えず、けがをした仲間の武人に処置をするつもりで淡々と木の棒をノエラの左足首に麻紐で固定する。途中で痛みが走ったのかノエラは「痛っ」と小さく呟いたが、それ以外はおとなしくヴィリアムにされるがままだった。
「荷物はそこの籠だけですか」
「はい……あ、中に薬草が」
「ええ、ありますよ」
地面に落ちていたバスケットを拾い上げ、中に緑色の葉が何種類か入っていることを確認して、ヴィリアムはそのバスケットをノエラに手渡した。
「その足じゃ乗馬は無理か」
座り込んだままのノエラと愛馬を見比べて、ヴィリアムは呟く。その時、ノエラが小さな声でくしゃみをした。どうやらだいぶここにいたことで、身体が冷えてきてしまっているらしい。
「あの、臭かったらすみません。でもないよりはましだと思うので」
ヴィリアムは着ていた迷彩柄の軍服の上着を脱ぐと、それをノエラの肩にかけた。そして小柄な彼女には大きすぎるとわかってはいても、袖を通してもらう。自分は黒い長袖のアンダーシャツだけになったが、ノエラと違ってまだそれほど寒くはないので平気だろう。
「バスケットは馬にくくりつけますね。それで、さらに申し訳ないんですが、街まであなたを抱えていきます」
「えっ」
「馬に二人乗りしてもいいんですが、たぶんあなたの足が痛いと思うので」
ノエラの困惑した表情に、ヴィリアムは「そうだよな」と心の中でため息をついた。
若い女性からしてみれば、こんな図体ばかり大きな初対面の武人に抱えられるなんて、恐怖でしかない。それはわかっている。だが、時間とノエラの足のことを考えると、最も楽で確実な方法で一刻も早く街に戻りたかった。近くで野営している第三班が見回りをしているので大丈夫だろうとは思うが、原住部族がいるかもしれないのだ。ちんたらしていれば狼のような獰猛な野生動物に遭遇する危険性も高まる。今はとにかく速やかに、街へ戻ることが最優先だ。
ヴィリアムはノエラに渡したバスケットを取り上げるようにして持ち上げ、それを愛馬の鞍にくくりつける。そして、ノエラの尻の下にさっと手を通すと、軽々と彼女の身体を持ち上げた。肘を曲げた左前腕に彼女の臀部がフィットするように調整する。
「不安定でしょうが、自分の首か頭に手を置いてバランスをとってください」
「は、はい」
「すみません。たいそう不快だろうと思いますが、街まで辛抱してください」
「はい……あ、いえ……その……ご迷惑おかけします」
ヴィリアムは右手で手綱を引くと、なだらかな坂の方へ向かって歩き出した。
(すげぇな……なんだこれ、中身あるのか?)
道すがら、ヴィリアムはしみじみ思った。
見た目からして小柄だということはわかったが、ノエラは華奢だった。まるで中身などないかのように感じるほど体重は軽く、その重さはヴィリアムにとってはないも等しい。最も重厚な鎧や膝当てなどで武装した時の方がよほど重苦しく感じるものだ。
しかし不思議なことに、左前腕に乗った彼女の臀部はふっくらとした感触がある。それに落ちないようにとヴィリアムにしがみついているためにヴィリアムの頬に時折当たる胸は、ごまかしきれないほどのやわらかさと弾力がある。自分の上着を着せていて厚みがあるはずなのにそう感じるということは、かなりの巨乳ではなかろうか。
(やべぇ、考えるな……紳士的に、紳士的に)
ノエラがあまりにも自分の理想をそのまま具現化したような女性だったので、ヴィリアムの下半身はうっかり滾りそうになった。しかしヴィリアムは鋼の自制心でなんとかその欲望を押さえ、まっすぐにアマツリヤの街を目指す。馬で来た時よりも時間はかかったが、二人は野犬や原住部族と遭遇することもなく、無事にアマツリヤに到着した。
ヴィリアムはノエラに案内してもらって、まずは町医者をまっすぐに目指した。ノエラが捻挫の治療をしてもらうのを待ち、それが終わると再びノエラを抱え上げる。そして今度はノエラの自宅まで案内してもらい、老婆が待つ古臭い民家へ向かった。
「ノエラ、ああ、ノエラ!」
玄関のドアを開けてノエラの姿を確認した老婆は、涙を流してノエラを抱きしめた。
「おばあちゃん、ごめんね、心配かけて」
「ああ、いいのよ、いいのよ。あなたが無事でよかったわ」
再会する二人越しに、ヴィリアムは不躾かとは思ったがちらりと室内をぐるりと見渡した。決して広いとは言えない家の中にほかの家人の姿はなく、どうやら老婆とノエラは二人暮らしのようだ。
「大きな武人さん、ありがとう、ありがとうございました」
「いえ、孫娘さんが無事に見つかってよかったです。捻挫をしているようですが、二、三日安静にしていれば徐々に良くなるそうです」
医者から聞いた容体を、ヴィリアムは老婆に告げる。
「あ、あの、本当にありがとうございました。まさか助けが来るなんて思ってなくて……私、あのままあそこで死んじゃうのかと思ってました」
ノエラも老婆と同じように深々と頭を下げてお礼を言った。ヴィリアムは苦笑して「次は足元にお気を付けください」と言い残すと、小さなその家を後にした。
ヴィリアムの左腕にはしばらくノエラの重みが残っていた気がしたが、朝になればそれはあっけなく消えていた。
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