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第5話 熊さん、着々と寝床を整える
(あ~……このままここで押し倒してぇ)
ノエラの両頬を両手で固定して舌をからませ合いながら、ヴィリアムは心の底から思った。しかし、理性を司る頭の中の小さな人たちに奮起してもらい、自分のその欲望は鎖を巻き付けてどうにかおとなしくさせる。
「ごめん、ほんとにもう無理。我慢できない。一気に事を進めるけどいい?」
「え? あ、あの……」
家の外に残る雪もすべてとかしそうな熱い口付けが終わる。しかしノエラは、切羽詰まった表情のヴィリアムが言わんとしていることに合点がいかなかった。
「俺と結婚するにあたって、ノエラはグントバハロンに来てほしい。新居はすぐに探すけど少し時間がかかるかもしれないから、それまで俺の実家にいて? それと、グントバハロンだと労働が義務だからノエラにも何か仕事をしてほしいんだけど、薬師としての働き口があるといいよね? それも俺が探す。新居が見つかったらとりあえず引っ越して、生活が少し落ち着いたら結婚式ってことでいい? 式と言っても、俺の方の親戚を集めてお披露目パーティーをするくらいだけど。グントバハロンは宗教的な文化は少なくて、儀式とかそういうのは宗家とか、かなり古い名家とかぐらいしかしないからね。名のある良家だと畏まった結婚式をするけど、俺は普通の庶民だし。あ、でも、結婚を機に正式にハリーン家の家臣になることになったんだ。だから、ノエラには武家の知識を少し身に付けてほしいかな」
「え、えっと……」
怒涛の勢いで話すヴィリアムに、ノエラは不安そうな表情を浮かべた。
さすがに先走りすぎたと気付いたヴィリアムは、ノエラの頭をやさしくなでながら「ごめん」と一言謝り、ひとつずつ確認していった。
「ノエラ、グントバハロンに来てくれる?」
「はっ、はい。それは大丈夫です」
「この家を離れることになるけど本当に平気?」
「この家……」
ノエラはちらりと室内に視線をやった。
この家はノエラの父方の祖父母、つまり祖母マルトが祖父との結婚を機に建てた家だと聞いている。そこにノエラの父が生まれて、父と結婚した母が住んで、そして自分が産まれた。いわばフリオン家三代の思い出と歴史が詰まった家だ。
だが、その祖父母も両親も、もうこの世にはいない。母方の祖父母も、母が十代の頃に早世してしまったと聞いている。いまこの家の中に流れる息遣いは、ノエラただ一人のものだ。
「ここには家族との思い出があります。楽しかったこと、嬉しかったこと……でも、もう誰もいない。〝みんないなくなってしまった〟という悲しみも、ここにはあるんです。それが寂しいから……だから、ここを離れても平気です」
家族との温かい思い出がある場所。けれど、懐かしい記憶の数だけ、それがもう戻ってこない遠い昔のことで、今はもう誰もいないのだという現実も強調する。ここを離れることは、この家の片隅に降り積もっている悲しみと別れることができる、ということでもあるだろう。
「大丈夫だよ、ノエラ。グントバハロンに来てくれたら、絶対に君を寂しくさせない。当面は俺の実家に住んでもらうけど、実家には俺の両親と妹がいて、そりゃもう、全員身体が大きいからそれだけで存在感増し増しで、きっと暑苦しいくらいだから」
「ふふっ」
存在感増し増しというヴィリアムの面白い表現に、ノエラは小さく噴き出した。
それから、ヴィリアムは本当に言葉通り一気に事を進めた。まずはノエラと一緒にアマツリヤの役所へ行って、ノエラをグントバハロンに転出させる手続きを行った。ルティドロン国アマツリヤでのノエラの籍を消して、グントバハロンに移すことを請願する書類を作成してもらったのだ。それと同時に、ノエラの家の所有権などを、アマツリヤの町長に移譲する手続きも行った。それを終えると再びノエラの家に戻り、グントバハロンに引っ越すための荷造りを手伝った。荷造りと言っても家具等はすべて置いていくので、ノエラの衣服と薬師としての道具や薬草の残り、それから少しばかりの家族の遺品など思い出の品を箱詰めにする作業だ。
「服ぐらいならゼラスに乗せられそうだな」
「ゼラス?」
「ああ、俺の愛馬。ノエラを助けた時にもいただろ」
「あ、あの大きなお馬さんですか」
「そう、俺に似て妙に馬鹿デカいお馬さん」
ヴィリアムはそう言って笑った。「この体格で騎乗すると、俺が重すぎるのか普通サイズの軍馬じゃすぐ疲れちゃうんだよ」とヴィリアムが説明すると、ノエラも「なるほど」と言って笑った。
箱詰めできたものはヴィリアムが簡易物流拠点に持っていき、グントバハロンのマンダール家に届くように手配した。その間に、ノエラは顔見知りのところへ挨拶に行った。急ではあるが結婚してグントバハロンに行くこと、これまで祖母共々お世話になったことへの感謝を伝え、別れを済ませる。アマツリヤの人々は突然のノエラの結婚報告に驚きはしたが、彼女が祖母と二人で苦労していたことを知っていたので、みな口々に「幸せにね」と祝福してくれた。
陽が沈んでしまったのでさすがに今から国境を超える移動はできず、ヴィリアムはアマツリヤの軍会館に宿泊した。ノエラが「うちに泊まっていただいても大丈夫ですよ」と申し出てくれたが、いま同衾したら本当にノエラを抱いてしまいそうだったので、ヴィリアムの頭の中の理性さんたちが総出で「否」を合唱した。
(いろいろ落ち着いたらな。ノエラは最後の家族を亡くしてからまだ日が浅いし)
ヴィリアム以外には誰もいない軍会館の中で一人、ヴィリアムは自分にそう言い聞かせた。焦らなくても、かわいい獲物は自分のモノになったのだ。魅惑の食事はもう少しあとでも大丈夫のはずだ。今はとにかく、ノエラとの新生活を整えなければ。
そうして夜が明けて太陽が昇るとすぐに、ヴィリアムとノエラはゼラスに相乗りしてグントバハロンへ向かった。ヴィリアムに似て屈強な体格のゼラスは、増えた荷物と乗客の重みも気にせず、行きと同じく力強い足取りで走ってくれた。
昼過ぎにグントバハロンに着くと、ノエラはマンダール家に招かれた。しかしヴィリアムの家族は全員仕事に出払っていて、誰もいなかった。
「狭いけどここが俺の部屋。好きに使って」
一階にある台所や厠、浴室などを案内されたあと、ノエラは二階にあるヴィリアムの部屋に通された。
「好きに使う、ですか?」
「遠征任務が入ったらしばらく留守にすることもあるから。ああ、でも安心して。この家にいる間は君を抱いたりしないから」
「抱っ……!」
「さすがに、自分の両親がいる家じゃ抱けないからね。裸のノエラをかわいがるのは、新居に引っ越してからな」
ヴィリアムはそう言うとうんと背中を丸めてかがみ、ノエラの頬にちゅっ、と音を立ててキスをした。ノエラは顔を真っ赤にして口をぱくぱくと動かしたが、返事らしい返事はできなかった。
それからヴィリアムは、グントバハロンの首都であるこの城下町エンフェリダクスをノエラに案内した。買い物ができるところと、治安が悪いのでなるべく近寄らない方がいいところを重点的に教え込む。それと、ヴィリアムの職場でもある陸軍本部の敷地も案内した。
「一回の説明じゃ憶えきれないよね。困ったら妹のティルスを頼るといい。ちょっとがさつだけど、意外と面倒見はいいはずだから」
「ティルスさん……」
「うちの両親は、二人とも仕事好きでほとんど家にいないからね。あ、ここの食堂で夕飯用にお弁当を買うことが多いんだ」
ヴィリアムはそう言って大衆食堂を指差した。ノエラはきょとんとした表情で、大きな大衆食堂を観察する。
「グントバハロンは、国民全員に労働の義務がある。多寡は問わないから全員何かしら仕事をしなきゃいけないんだけど、そうすると、家族の食事の用意とかに手が回らないことは珍しくないんだ。うちの母親は木こりで外の仕事だから基本的に日が暮れると同時に帰ってくるけど、妹のティルスは勤務時間によっては帰宅が夜遅くになることもある。そういう人や家庭は、こういう食堂で食事をしたり、お弁当を買って家で食べたりするんだ」
「自分で作らない、ということですか」
「そういうこと。でも、グントバハロンじゃ珍しくないよ。自分ができないことはほかの誰かに頼る。それがその誰かの〝仕事〟になるし、〝仕事〟が増えれば国全体の経済も回る。食事だけじゃなくて、たとえば家の中の掃除とか洗濯とか、馬の手入れとか、グントバハロンの国民はみんな結構、気軽に人を頼るよ。もちろん対価が必要だけど、好きな仕事に打ち込めるなら安い出費だからね」
「本当に働き者が多いんですね、グントバハロンは」
グントバハロンという国名は、「働き者の国」という意味である。そしてその名のとおり、グントバハロンの人々は働くことを何よりも生きがいとする。農業、工業、商業、都市の運営や一般家庭の家事手伝い、武人として軍に入って戦うことなど仕事は千差万別だが、誰もがやりがいをもって毎日生き生きと働いている。グントバハロンが同盟国から頼られるほど強国なのは軍事力が高いからだけではなく、真面目で勤勉な数多くの働き者がいて、根本的に国力が高いからだ。
「ノエラも薬師の仕事が見つかったら、まずは仕事第一でいいよ。家の中のことは、最悪外注でだいたいが済むからね。でも、大きな家を取り仕切ることとかも大事な仕事だから、外の仕事と半々にしたい、って人もいるかな。仕事量の調整は任せるよ。うーん……誰か似た境遇で参考になる人がいるといいか。探しておくね。ってことで、ちょっと歩くけど〝ヤッタルデ〟って食堂で早い夕飯にしようか。妹のティルスがそこで働いてるんだ」
ヴィリアムはそう言ってノエラを案内した。そして、食堂の給仕係として働いているティルスとノエラは初対面した。ティルスは男性と並んでもほぼ同じ高さの身長で、ノエラはそんなにも背の高い同性を見るのは初めてだった。
ヴィリアムにするのと同じようにノエラが一生懸命に見上げて挨拶をすると、ティルスはニカッと笑った。
「ヴィリアムの妹のティルスだよ。よろしく、ノエラさん。いろいろ話したいけど、それは家でゆっくりね」
「ティルス、次の休みはいつだ」
「二日後だよ」
「じゃあその日、ノエラを顔見知りのところに案内してくれるか。俺は休暇が明日までだから、明後日は軍に行かないといけないんだ」
「いいよ~。ノエラさん、急に環境が変わってたいへんだと思うけど、うちの中は自由にくつろいでいいからね」
「は、はい」
「いや~。でもまさか、本当にお兄ちゃんの理想通りの女性がいるなんてねえ……これがウォンクゼアーザ様の〝祝福〟ってやつかしら。お兄ちゃんってば、理想を夢見すぎて逆にそれが〝白き心〟として認められたの?」
「知らん。余計なことは言わなくていい」
「はいはい。じゃ、ごゆっくり~」
ティルスは慌ただしく厨房に戻り、それからほかの客に出来上がった料理を運んだ。
ノエラは注文したリゾットをゆっくりと口にしながらヴィリアムに質問した。
「あの、ヴィリアムさんの理想の女性というのは?」
「うっ……それ、訊く?」
「あ、訊いちゃいけなかったですか」
「いや、駄目じゃないんだけど」
ヴィリアムは大きめにカットされたステーキ肉を咀嚼してから、少しだけ苦々しい表情で答えた。
「このあとうちの両親を見ればわかると思うんだけどさ、父はともかく俺の母はさ、あの妹よりももうちょい背が高くてさ」
「えっ、ティルスさんよりもですか!?」
「そう。おまけに、樹木を切り倒すことに生きがいを感じてる木こりなもんだから、まあ、その……女性とは思えないほど腕も足も太いんだよ、筋肉で」
「筋肉で……」
ノエラは思わずヴィリアムの言葉尻を反芻した。
「親父の趣味をどうこう言うつもりはないけどさ、物心ついた頃からそんなおふくろを見すぎたせいかな……どうも俺は、おふくろと正反対の女性が好きになってさ」
「正反対……ですか」
「そう」
ヴィリアムはナイフとフォークをテーブルに置くと、太い指を伸ばしてノエラの頬を人差し指でさすさす、とやさしくこすった。
「小柄で華奢で小動物みたいで、ちょこまかと動く愛らしい女性がタイプなんだ。俺なんかが抱きしめると潰れちゃいそうだけど、この腕の中にぎゅって閉じ込められるような……あー、つまり、ノエラがかわいくてすごく俺好み、ってこと」
「そ、そうですかっ」
ノエラは頬を赤く染めて俯いた。
小柄な自分では、大柄なヴィリアムには見合わない――そう思ったこともあった。彼と並ぶと、男女ではなく「大人と子供」という関係にしか見えないのではないかと。だがヴィリアムにとっての自分はどうやら、彼の好みそのままらしい。
「神様の〝祝福〟も〝白き心〟も俺は知らないけど、でも本当に、ノエラがかわいくていとしくて、めちゃくちゃ好きだよ。愛してる。早く新居を見つけて――」
そこでヴィリアムは声のボリュームを落とし、ノエラだけに聞こえる音量で妖艶にささやいた。
「――君をめちゃくちゃに抱きたい」
「っ……!」
「ははっ。ノエラ、顏が真っ赤」
「だ、だって……!」
ノエラの顔は熟れたリンゴのように真っ赤だった。その初々しい反応も愛おしくて、ヴィリアムはついつい破顔する。
そうして食事を終えた二人が家に帰ると、ちょうどヴィリアムの両親も帰宅していた。そこでヴィリアムは、ノエラを両親に紹介した。案の定ノエラは、そろいもそろって長身の二人を見上げるのに苦労した。ダイニングテーブルを挟んで向かい合って座っても座高が違うためか、ある程度見上げなければならないことに変わりはなく、申し訳ないと思いつつもヴィリアムはそんなノエラがかわいらしくて、終始頬がゆるみっぱなしだった。
「おやすみ、ノエラ」
「はい、おやすみなさい」
そして、ヴィリアムはノエラを背後から抱きしめながら眠りについた。
ノエラは来たばかりの家、ヴィリアムのベッド、そしてヴィリアムに抱きしめられている、という状況に緊張してなかなか寝付けない。そのせいなのか、忘れようと努力し続けてきた昔のことをふと思い出してしまった。
――なんだよそれ、気持ち悪い。お前みたいなおかしい女、抱けるか。
結婚まで考えたはずの、かつての恋人。いい雰囲気になって婚前交渉におよんだが、ノエラの体質を知るなり彼は顔色を変えた。それまで見せていた優しい姿はすべて嘘だったのかと思うほどに冷たく、ノエラを蔑んだ。
(ヴィリアムさんにも同じように思われたらどうしよう……)
ヴィリアムの寝息が規則正しく聞こえる。ルティドロンとグントバハロンを短期間で往復し、さらにノエラに街中を案内してくれたので、疲れてしまったのだろう。
――この家にいる間は君を抱いたりしないから。
――君をめちゃくちゃに抱きたい。
ヴィリアムはさりげなく、時には大胆に、ノエラを抱きたいという意思表示をしてくれる。好き合う者同士ならそれは当然だろう。
だが、その行為のことを考えるとノエラの中には大きな不安が渦巻く。もしもかつての恋人同様に幻滅されてしまったら――。ヴィリアムはいま見えているノエラに関しては好みだと言ってくれるが、果たしてセックスにおいても自分のこの身体は、彼の好みに合うだろうか。もしも好みでなかったら、嫌われてしまうだろうか。
(怖い……)
ルティドロンにヴィリアムが来てくれて嬉しかった。本当に嬉しかった。結婚を申し込まれて驚きもしたが、彼と一緒にいられるなら願ってもいないことだった。
けれど、だからこそ閨事を思うと不安になる。いまこうしてヴィリアムが隣にいてくれるからこそ余計に怖くなる。もしもヴィリアムに捨てられたら、かつての恋人の比ではないほどに落ち込み、絶望してしまうかもしれない。そうなったら立ち直れる気がしない。祖母マルトを失って流した涙よりももっと多くの涙を流してしまう気がする。
横向きのヴィリアムの腕に囲われながら、ノエラは小さな身体をさらに小さくして縮こまった。
◆◇◆◇◆
「おはよう、ノエラ。もしかしてあまり眠れなかった? 顔色が悪いな」
次の日、ノエラは遅く起きた。ヴィリアムの言うとおりなかなか寝付けず、少しばかり寝不足だった。
「ごめん、本当に一気にいろいろ進めてるからだよな。俺は今日もちょっと外に行くけど、ノエラは家の中でゆっくりしていていいよ」
「ヴィリアムさんは何しに行かれるんですか」
ヴィリアムは家の中で一番小さなマグカップに白湯を注ぐ。それを渡されたノエラは、ヴィリアムを見上げて尋ねた。
「新居探し。武家であるハリーン家の家臣になるから、たぶんハリーン家が融通してくれると思うんだ。ってことで、新居探しと言いつつ陸軍に行ってエンドリ隊長と話してくるよ。それが終わったら役所に行って婚姻の手続きかな。ルティドロン側の書類はあるし、あとはこっちでの手続きを済ませるだけだから」
「あの……私も行きます。だめですか」
ノエラはマグカップを両手で挟んだ。起き抜けの身体に、ほどよい白湯の温かさが心地よかった。
「もちろん、駄目じゃないよ。でも大丈夫? 身体は疲れてない?」
「大丈夫です。ヴィリアムさんと一緒にいたいです」
慣れない環境だからこそ――不安なことがあるからこそ、今はヴィリアムと一緒にいたい。ノエラはそう思った。
「朝からかわいいことを言うなあ。じゃあ一緒に行こう。エンドリ隊長にも紹介するよ」
「お手紙だけでしか知らなかった方に、ついに対面ですね」
「ノエラはかわいいからすぐ気に入られそうだ。心配だな」
ヴィリアムはノエラの右頬、それから左頬と順番に軽く口付けてから、ノエラの頭をやさしくなでた。そして二人は陸軍の庁舎へと向かった。
◆◇◆◇◆
「そうか、君がこの熊のような巨体を一撃で仕留めた凄腕のハンターか」
「エンドリ隊長、違います。まったくもって違うので全力で否定します」
「ふふっ」
応接室に通されたノエラは、ヴィリアムの上官であるエンドリ・ハリーンと対面した。第一陸軍第一陸上戦隊隊長のエンドリは、鼻の下に少しばかりの髭をたくわえた厚みのある男性だった。ヴィリアムより八歳上の三十三歳でどちらかというと若い方だが、隊長職にあるからなのか大勢の者を率いる力強さをどことなく感じ、リーダーシップの高い人物なのだと思われた。
「何も違わないだろう。お前が彼女を捜索しに行ったあの時は、一目惚れして嫁にするとはまったく思わなかったぞ。さぞや彼女のすべてがお前の心に刺さったに違いない」
「ちがっ……いや、まあ……その……」
エンドリに茶化されたヴィリアムは否定の言葉を紡ぎかけたが、確かにエンドリの言うとおりだ。約一年前のあの日、遭難していたノエラを見つけた瞬間にヴィリアムは心臓を射抜かれた。あまりにも理想どおりの、小柄で華奢で愛くるしいノエラにあっという間に心を奪われた。そんな出逢いなので、確かにノエラのことは、「大きな熊を一撃で仕留めた凄腕ハンター」と喩えても差し支えないかもしれない。
「ノエラくん、ヴィリアムはこのとおり熊のような大男だが、意外と繊細で細やかな気配りができる男だ。むさ苦しい見た目はどうしようもないが、どうか見捨てないでやってほしい」
「はい。あの……私こそ、ヴィリアムさんに釣り合わないのではないかと」
「そんなことはない。グントバハロン国の女性という女性に恐れられて恋人ができたこともない哀れなこの熊さんと結婚してくれるなど、あなたの心の大きさは天に広がる青空のごとく広い。体格があまりにも違うから釣り合わないなどと、そんなつまらないことを言う奴がいたら俺の前に連れてきなさい。我がハリーン家直伝の教育を施してあげよう」
「やめてください、エンドリ隊長。死人が出ます」
「武人ならば耐えられるだろう」
「武人じゃなかったら死んでしまいます。ハリーン家は根っからの武の家系なんですから」
何やら恐ろしいことを言っている気がしたがへたに返事をするのは難しそうなので、ノエラは少しだけ引きつった顔で苦笑した。
「それであの、新居のご相談なのですが」
「ああ、わかっている。お前を正式な家臣として召し抱えるハリーン家としても、本家の近くに住んでもらえると助かる。マンダールの家は城下町の南西だったな? 反対側で申し訳ないが、おそらく北東側の、ハリーン家の所領区画に住んでもらうことになる。特に希望がなければ、さくっとどこかに家を用意するがそれで構わないか」
「ノエラはどう?」
「え?」
急に話を振られて、ノエラは小首を傾げた。
「新しく住む家に、何か希望はある?」
「希望……えっと」
そこでノエラは、いま居候しているマンダール家の室内を思い出した。そして、おずおずと小さな希望を述べた。
「あの、あまり高くしないでもらえると嬉しいです」
「高く?」
「収納とか、台所の高さとか」
「あ……ああ、そうか」
ノエラが何を希望しているのかわからなかったヴィリアムだったが、彼女の言わんとしていることが理解できて噴き出すように笑った。
「エンドリ隊長、可能なら室内の様々なサイズはノエラに合わせてください」
「どういうことだ?」
「俺の家は両親が建てた家なんですが、二人とも高身長なので、家具とか戸棚の位置とかが全部高いんですよ。ノエラはしばらく俺の実家に住まわせるんですけど、あれじゃ皿を取り出すのも何か踏み台がないと無理だよね」
最後、ヴィリアムはノエラの方を向いて苦笑した。ノエラはこくりと頷いてから弱々しい声で言った。
「そうなんです……マンダール家の家は椅子やテーブルも全部高くて」
「ごめん、気付かなかった。あの家に住むのは少しの間だけだから我慢してもらうとしても、新居で同じことになったら嫌だよね。俺はかがめばいいだけだし、ノエラが住みやすい家にしよう」
「ふむ。そうなると、本人と少し密に連携をとらせてもらえた方がいいな。だがヴィリアムも俺も仕事がある。仕方ない、ここはノエラくんの先輩の力を借りるとしよう」
「先輩?」
ノエラに、このグントバハロンの知り合いはいない。「先輩」と呼ぶような親しい間柄の人物に心当たりなどないのだが、エンドリはいったい誰のことを指しているのだろうか。ノエラは不思議に思って小首を傾げた。
「まあ、細かいことは任せてくれ。ノエラくんは御祖母様を亡くされたばかりで、おまけにグントバハロンへ来たばかりだ。一気に環境が変わってきっと疲れも出るだろうから、焦らずゆっくりと慣れていけばいい。そのあたりのフォローも、先輩に頼むから気兼ねなく頼るといい」
エンドリが言った「先輩」が、まさかこの国を統治する宗家出身のお姫様だとは、この時のノエラに想像できるはずがなかった。
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