考試(中)

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考試(中)

 二日目、考試会場が大楽署から八月舎へと移った。  執務所の並びにある小部屋で朝から昼まで筆記試験を受ける。唯一の受験者に用意された卓子と椅子以外は、監視係のための椅子が部屋の前後に一脚ずつあるだけの殺風景な室内であった。  通されて暫くはそわそわとしていた青藍であったが、丁寧に墨を磨る内に動作と匂いで体が生家にいた頃を思い出したのか、以降は集中して取り組むことが出来た。  見直しを終え、解答用紙の束を提出する。一時休んでいるよう言い置いて、監視係は部屋を後にした。青藍は大きく伸びをすると、物がなくなり広々とした卓上に半身を伏せる。 「疲れた……」  幼少の頃から折に触れて師が知識を授けてくれた為に、殆ど首を捻らずに筆を走らせることが出来た。しかし、ずしりと重い巻子一本分の膨大な設問は、青藍の神経をひどく疲弊させた。  不慣れな椅子で姿勢正しく長時間の書き物をしたせいで、体中が悲鳴を上げている。半身を起こした青藍が肩を揉んでいると、部屋の前方にある扉を何者かが叩く音がした。反応する間もなく扉が開け放たれる。 「昼食だよー」 「どうも初めましてぇ。わぁ、瞳の綺麗な子だねぇ」 「よう、調子はどうだ」  青藍は突然の来訪に驚きつつ、慌てて立ち上がり男達を迎えた。先刻まで衣擦れの音が響く程であった室内が、俄かに騒々しくなった。  ずかずかとやって来た三人は、青藍の前に一人分の食事を置いた。大振りの肉団子が入った(あつもの)が、如何にも美味そうに湯気を立てている。 「有難うございます。西濱から参りました、燕青藍と申します。何__」 「いいからいいから」  両肩を押さえ付けられて、青藍は挨拶もそこそこに着席する。 「温かいうちに食いな。早く食わないと大角に持っていかれちまうぞ」 「印象悪くなること言わないでよぅ」  かわいい新入りにそんな意地悪はしないと、上背も横幅もある男が心外そうな顔をする。 「騒がしくてごめんね。どんな子か気になって押し掛けちゃった」  これまでに青藍が会った官人や楽師達は、考試の最中ということもあってか、西を除き皆一様に険しい顔をして口数が少なかった。面食らいながらも、賑やかさに頬が緩む。  三人の内、威勢の良い口調で話す年長の男に何か見覚えがある気がして、青藍は記憶を探っていた。男達は再度、青藍に食事を取るよう促すと、各々自己紹介を始める。青藍はまだ温かい饅頭を食みつつ聞いた。  三人の中で一番歳若い、中肉中背の男が徴博。多数の鐘を吊るした大型の打楽器、編鐘の奏者である。同班に銅鑼等を担当している徴がおり、紛らわしいので編徴(ヘンチョウ)と呼ばれているという。  でっぷりとした腹を抱えた大男が、土笛である塤を担当している角哲。親しみを込めて大角(ダイカク)と呼ばれているらしい。のんびりとした性格のようで、間延びした柔らかい話し方をする。  最後の一人は__ 「あの、もしや昨日、大楽署でお会いしましたか」 「おお、あの場で人の顔を覚えてるとは、余裕があって感心だな」  にぃと笑う男はやはり、初日に審査員として列座していた内の一人であった。他の審査員の正装とは違い、舞台衣装風の出で立ちが印象に残っていた。大角とは反対に細く引き締まった体をした男は羽偉(ウイ)と名乗る。  楽師でなく舞師、それも長だという。歳の頃は陶と同じかやや上といったところで、細く整えられた口髭を生やし、薄眉に鋭い目つきの三白眼。黙していると威圧感があるが、話してみれば気風が良い人物のようであった。 「舞師長だっていうのに、しょちゅうこっちに入り浸ってるんだよねぇ」  大角がけらけらと笑う。顎の肉がふるふると震えるのが面白い。 「馬鹿言え、お前らが寂しがるから仕方なく来てやってんだよ。それに来るのは昼飯時だけだろうが、人聞きの悪い」  三人は同期や同班と言う訳ではないが、家が近所で気が合うので日頃からつるんでいるのだと言った。城門の正面に通いの宮廷人とその家族が住む広い区域があるのだという。一帯を抜けると巨大な市があるので、いつか行こうと誘われた。 「おじさん達に囲まれていては食べ辛いだろうから、そろそろ失礼するよ」 「今度は一緒に食べようねぇ」 「昨日の調子でこの後も気張れよ。また聴きに来るからな」  青藍はやや圧倒されたまま、嵐のように去っていく三人を見送った。  楽しい人達だったな……静かになった部屋で肉団子を頬張りながらほっこりする。王都での不安な新生活に、光が差した気がした。
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