花燭(四)

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花燭(四)

 七曜振りとなる王との対面、平素とは異なる衣装、幻想的で絢爛(けんらん)な装飾……新枕の憂鬱も忘れ気が高揚した青藍は、隣に座す偉丈夫と肩を寄せ合い仲睦まじく語り合った。  手持ちの灯りが尽きかけて客舎への帰りを急いだ早春の晩と違い、今日は祝い用の長大で華麗な蝋燭の炎が、東屋を明るく照らしている。 「山茱萸(サンシュユ)の効能について煌龍様が口を濁されたのがずっと気に掛っていて、ある時長春様にお尋ねしてしまったのです。まさか男、性機能に効くものだとは思わず、随分と気恥ずかしい思いをいたしました」  木に赤い実が()っているのに気づいた青藍は、過日の失敗談を打ち明けて、くつくつと笑われた。少し詰まった程度で効能を口に出来たのは大きな進歩だと、心の内で己を褒める。いつまでも純情ぶってはいられない。 「赦してくれ。折角の良い雰囲気を俗な話題で壊したくなかったのだ。霊妙な調べと思いがけぬ邂逅に少々酔っていた自覚はあるが、女の様に美しい顔をした正体不明の相手に聞かせる話でないと判断するだけの分別はあった」  王は微苦笑すると、長春が推察したのと殆ど同じ弁明をした。 「こうしていると、あの日を思い出す……」  光の花が咲き乱れる木々に目を細めながら、王がぽつりと漏らす。凛々しい横顔に暫時見惚れた青藍は、笑みを向けられ肩に手を回されると、その逞しい体に身を預けつつ頷いた。 「当初は随分と怯えられていたな。これから取って食われるかの様に」 「ふふ……あの時は本当に生きた心地がしなかったのです。勝手を咎められるかもしれない、明日からの入団考試が取り止めになったらどうしようと周章狼狽して……煌龍様は奇人相手に随分と丁寧に接してくださいましたけれど、(ただ)でさえ勝手をした負い目があったというのに、それまで身内以外の者と二人きりで相対した事がなかった人間の前へ煌龍様の様に立派な風体の殿方が現れたものですから、どうしても畏縮してしまって」  青藍は微苦笑しながら当時の心境を語った。 「今は勿論のこと平気ですが……それどころか、お会いできない日が続くと何だか胸が切なくて」  雰囲気につられて浮ついた事を口走った青藍は、羞恥からそっと顔を伏せた。隣でふ……と小さく笑う気配がする。 「それを聞いて安心した」  青藍は小首を傾げて上目遣いに王を見た。嬉しいと言われるのなら解るが、安心とは少々意外な言葉である。何か不安があったのだろうかと疑問に思った。 「酷く俺を怖れていただろう? 特に此処ひと月は、会う度に緊張が伝わって不憫に思う程だった。言葉を交わす内に緊張が解けると以前と同様笑みも見せるが、不用意に触れると飛び上がらんばかりで……」  咎めるでもなく、微苦笑に自責の色を滲ませ言う王に青藍は目を見開いた。房事の解禁が近いと予想していたので、無意識の内にそうした態度を取っていたらしい。申し訳ない事をしたと柳眉を(ひそ)める。 「本当ですか……? それは大変失礼いたしました。自分ではその積もりがなくて……」 「そう悲痛な顔をしないでくれ。何も(なじ)ろうというのではない」  王は小さく笑んで、赤い綾羅の上に置かれた青藍の手に自身の手を重ね置いた。温かく確りとした掌が、気に病むなと言っている。 「いい歳をしてお恥ずかしい話ですが、その、房事が、色々と不安で……自ずと無礼を働いていたのかも知れません」  聞き手によっては顏を(しか)める程の初心(うぶ)な告白に対し、王は愛しげに目を細めた。 「そうも煩慮していたとは、お前の心情を汲み取ってやれず悪い事をした」 「いいえ、私が小胆ですぐに物事を悪く考える性向であるのがいけないのです。以前、煌龍様は私に側妃教育に関して衆庶であれば不要の努力を強いていると仰いましたが、私の方こそ、普通であれば不要の辛抱を強いてきたというのに……」  つくづく扱い難い妃であることだと俯く青藍の額に、王は花鈿(かでん)を避けて軽く唇を押し当てた。 「俺の事は気にするな。しかし、同衾に関してそこまで心を悩ませていたか……」  呟いた後、暫し押し黙った王は、心苦しい顔をして瞳を揺らす青藍に向き直る。 「青藍、我々はこれから契りを結ぶ事になるが、褥の上でもその後も、お前が憂慮するような事は何一つ起こらない。どうか安心してその身を任せて欲しい。互いを愛しく思う者達が体を繋げる行為は決して悪行ではなく、今やお前は己の身を守る為に貞操を守る必要がないのだ。気乗りしない理由が番う相手にあるのでなければ、どうかこの俺を受け入れ、お前の全てを愛する権利を授けて欲しい」  柔らかい口調ながら臓腑が震える程に真剣な眼差しで懇願され、胸を高鳴らせた青藍は小さく返事をして頷いた。白く細い指の背に落とされる、恭しい口付け。  もう一方の手で五月蠅い胸を押さえながら、青藍は不意に、大抵の不安はいつの間にか去ってしまうものだという陶の言葉を思い出す。こうして良人の手を煩わせている現状も、(いず)れ追懐する日が来るのだろうかと思った。 「偶にはこうして外へ出て気晴らしをする必要があるな。後宮に籠っていては誰でも鬱屈する」 「……私、いつか煌龍様が行っていらっしゃる朝の鍛錬の様子を拝見してみたいです」  そんな事で良いのかと王は笑った。考えておこうと言われ、青藍は心が躍る。  以前からその雄姿を一度目にしたいと願っていた。武官に交ざって技を磨いているというので、中には星輔の姿もあるかも知れない。一言言葉を交わすことが出来たら尚嬉しい。 「紅梅殿へ戻る前に、少し歩こうか」  最後に少しの会話を楽しんだ後、(おもむろ)に王が立ち上がった。介添え不在では歩き難い裾長の綾羅を気にした青藍を、偉丈夫は難なく抱き上げる。尾長鳥のように下りた紅白の裾は、地に着くことなく優雅に揺れた。  東屋を左手から出て暫らく進み、眩い木々に沿って折り返す。危なげない(よう)し方に丁寧な足運び、耳元で囁かれる穏やかな低声。心地良さと夢のような光景に青藍は恍惚として、今にも蕩けてしまいそうな心地がした。  美々しい景色を堪能し、客舎側へと渡る短い橋に差し掛かった時、青藍はふと思いついた疑問を口にする。 「そういえば、近頃お越しにならなかったのは、煌龍様を怖れる私を気遣ってのことですか」  橋の上で歩みを止めた王は、青藍を見下ろすと片微笑んだ。その表情が酷く魅力的で、青藍は思わずどきりとする。 「いや、何者にも邪魔される事なくお前と愛し合う為、執務や謁見の予定を可能な限り繰り上げたからだ。私的な暇乞いをしたのは即位後初の事だが、周囲からは却って喜ばれた」  精悍な顔で艶っぽく微笑して青藍の頬を熱くさせた王は、最後に苦笑を漏らした。 「あい……え……」  見上げる青藍は、執務を前倒してまで一体何をするのかと困惑する。四半刻もあれば事が済むものと思っていた。 「はは、三日も請暇を得たからな。閨に籠って過ごすも良し、孔雀を見に行くのでも宝物見学をするのでも、お前の望む様に過ごそう」  不安な顔を笑われた青藍は、褥の上に限らず三日間良人を独占出来ると聞き、単純なことに表情を明るくする。少婦の反応を見て、偉丈夫は精悍な顔をこれ以上ない程に甘くし愛しさを溢れさせた。  近づく顔を、青藍は目を閉じて迎え入れる。  幾つもの灯りが設置された橋の上で、二人は口付けを交わし微笑み合った。  馬車に揺られて帰殿した青藍は、身を清める為に一たび王と別れた。綾羅を脱ぎ、頭上の装飾を取り払い、化粧を流して(くちすす)ぎ、用意された綿布で念入りに体を擦ると、巨大な陶器の(かめ)に肩まで浸かる。  水面には色とりどりの花が散らされており、今日が特別な日であることを印象付けていた。綺麗に咲いた花に悪い気がしつつ、湯と共に掬ってみる。香りは殆どしないものの、赤や橙色の花々は大いに青藍の目を楽しませ、華やいだ気分にさせた。  花を楽しみつつ直後に控える房事に緊張もして長湯をした青藍は、桃色に染まった肌がすっかり元の白さへ戻った頃、漸く甕を出た。  陰部のみを布で隠した心許ない姿で椅子に腰掛け、甘い香りが優しく漂う油を全身に塗り込まれる。  肌着の上に白と白藍を組み合わせた上等の寝衣を纏い、(くしけず)った髪を項の辺りで束ねられた。寝処へ向かう道すがら、下穿きを身に着けていない下半身を酷く無防備に感じ、また疚しい事をしている気も起って青藍は落ち着かなかった。  見慣れた自室の寝台の上に、先に寝支度を済ませた王が待っている。己を待つ間、寝台の端に背中を預け、半身を起こして読書に耽っていたらしい。その手には、後宮内にある書庫から先日借りてきた詩書があった。  行為を伴わない共寝であれば幾度となく経験があり、互いに寝衣姿で寝台に上がることは最早珍しくない。しかし、青藍は未知への恐怖で足が竦んだ。  開いていた書を閉じ、おいでと甘く招かれて、そろそろと寝台へ向かう。
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