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婚活、そして出会い
【結婚相談所 愛の輪♥】
その看板を見上げて、やっぱり帰ろう、と私は思った。
スマホで口コミが良く、近場にある結婚相談所を探してたどり着いたそこは、薄汚れた白い壁の年季の入った建物で、入口脇に看板が立てかけられていた。
華やかさの欠片もない、とても結婚相談所とは思えない外観だったのだ。
本当にこんな結婚相談所に入会していいのだろうか?
私は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。
まだ入会すると決めたわけじゃない。
まずは話を聞いてみないと。
面談の申し込みをしたのは今から一週間前のことだった。
とにかく結婚したい。
次こそは運命の相手と出会いたい。
私は覚悟を決めて、ドアを叩いた。
出迎えてくれたのはこけしのような顔をした地味な印象の女性だった。グレーのスーツに、足元は白のスニーカーだ。
地味で、ダサい。
本当にこの結婚相談所でよかったのだろうか?
私の気持ちは早くもくじけそうだった。
「こんにちは。二時からご予約の立花さまでしょうか?」
「…はい」
「お待ちしておりました。こちらへ」
女性は微笑んで、幸薄い唇の口角をほんの少し上げた。
胸元の小さなプレートに峰川と書いてある。
私は勝手に、結婚相談所には華やかなイメージをもっていた。
偏見だが、結婚は“選ばれなければできないもの”だと思っている。
とくに結婚相談所というのは見た目と条件で判断されがちだ。
選ばれる女性になるためには、まず美しくなければ。
もちろん性格も大事だが、女性はそれなりに美しくなければそもそも相手にされない。
どんなに性格が良くても、見た目も良くなければそれを知ってもらうチャンスすらないのだ。
それとなく峰川の左手を見てみたが、指輪の有無は確認できなかった。
「こんにちは」
中へ入っていくと、40代から50代くらいの小綺麗な女性が会釈した。
「この相談所の仲人の和田です。今日はよろしくお願いします」
和田と名乗った女性は、美魔女と呼ぶのにふさわしかった。
黒髪のロングへアで毛先をゆるく巻き、白の膝丈ワンピースはジャストサイズで、スタイル抜群の体のラインがきれいに出ている。
肌も白くつやがあり、まるで陶器のようだ。
案内してくれた峰川と違い、和田は間違いなく選ばれる女性であった。
左手の薬指には、ダイヤモンドがついた指輪が光っている。
私は和田の指輪を見て思い直した。姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「立花葵です。こちらこそ、今日はよろしくお願いします」
和田と向かい合って着席し、面談が始まった。
面談が始まると同時に、峰川が紅茶を運んできた。
トレイを持つ左手の薬指に指輪はなかった。
「カモミールティーです。立花さん、アレルギーはない?」
紅茶をすすめながら、和田が訊いた。
「アレルギーは、たぶんないと思いますけど…」
「たぶん?」
「ええ。検査したことないんで」
「花粉症とかもないの?」
「ないですね」
「あら、羨ましいわぁ」
和田は可愛らしく微笑んだ。
テーブルには私が事前にメールで送付したアンケート用紙が置かれていた。
名前、年齢、職業などの自己紹介と、入会の動機や結婚相手の条件などが書かれている。
「立花葵さん、30歳。職業は会社員。家族構成は父、母、姉。お姉さんはご結婚されているのかしら?」
「はい。姉は20代で結婚して、子供も二人います」
「お姉さんとはいくつ違い?」
「4歳です」
ペンを持った和田は、用紙の姉の箇所に『34歳既婚』と書き足した。
「入会の動機はここにも簡単に書いてあるんだけど、立花さんの口から改めて聞いてもいいかしら?」
「……はい。入会の動機は、9年付き合った彼氏に婚約破棄されたからです」
和田が驚いて私を見ているような気がした。
私は目が合わないように、遠くを見つめていた。
事前の用紙には『元カレと婚約破棄になったから』としか書いていなかったせいだろう。
「9年っていうのは何歳から?」
「20歳からです」
「ということは20歳からお付き合いして29歳で婚約破棄、と」
「そうです」
「ちなみにお付き合いされたのはこの相手の他にも?」
「いえ。社会人になって付き合ったのは彼が初めてです。一応、学生の時も付き合ってるような人はいましたけど……」
私はそこで話すのを止めた。
いろんなことを思い出して、口に出すのが嫌になったからだ。
和田は何も言わず、私を待っているようだった。
頭の中にあふれた思い出を整理しながら、私はどこから話そうか迷った。
言いにくいことも、言いたくないこともたくさんあった。
けれど、誰かに話してしまいたい気持ちもあった。
私は最初から、ありのまま話すことにした。
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