願い事

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願い事

 私はいじめられている。  少し前のほんの小さな出来事がきっかけとなって始まった。  しかしそれが次第にエスカレートして、私の心はとうとう穏やかではなくなってしまった。そんな私の脳裏によぎるのは『自殺』のニ文字である。  そして私は、それを今日。決行する。 「それじゃあ、また明日学校でね〜。キャハハハ」  いじめっ子たちは、汚い笑い声を残して去っていった。  私は放課後、一人教室に残った。いつも通りいじめられて、普段なら心に黒雲が立ち込める感覚があった。しかしこれも今日で最後なのだと思うと、なんだか愛おしすら感じるようになる。……私ってついに壊れたのかな。そう考えるとなんだかおかしくって、誰もいない教室の中で、一人笑みをこぼした。  階段を登り、ドアを開ける。外気と触れ、生を実感する。  遠くから聞こえる車の音を認識して、あたりの静けさを感じる。心は荒んでしまったが、こんな穏やかな日を命日とできるなんてとても素晴らしいことじゃないか。  屋上の縁へ歩みを進め、靴と靴下を脱ぐ。もういちいち小言を言われることなどないというのに、律儀に靴を揃える。  今まで屋上などほとんど来たことはなかったが、改めて見るといい眺めだと思う。  空が橙色に染まっている。もう時期藍色に変わって行くだろう。  さあ、もう未練もクソもないはずだ。飛ぼう。  そう思いながら、体重を前に倒そうとする。しかしここで想定外のことが起こる。 「……っ」  全身に汗が吹き出してくる。そしてだんだん足元も震えてくる。  恐怖。ここに来て体が死に面しているという事実を認識し始めた。  体を前に倒すというだけなのにまるで別の人の体を操っているように思うように動かない。  頬に汗が伝う。やがてそれは顎に到達して一雫が落ちて行く。雫はすぐに見えなくなり、屋上から地面までの高さを表していた。  気づけばどこからかひぐらしの声が聞こえる。それが私の恐怖を駆り立てる。  怖い。でも飛ばなきゃまたいじめられる。でも怖い。いじめられる。怖い。 「――何してんの?」  ひぐらしの合唱が消える。私の耳には一つの澄んだ声が耳の側で言われたような気がした。  私は慌てて振り返る。金髪で、ピアスも空いていて、制服の着方もまるでなっていない男子。  そう。この派手な見た目と、それに伴った不真面目さ。学校の中でも有名な石黒敏樹君だ。 「まさか自殺?」  彼が続けて言葉を紡ぐ。しかし私の耳には届かない。なぜ彼がここにいるのか全力で考える。しかし謎の後ろめたさが、脳の働きを妨害する。ひとまずありきたりな言葉を口にする。 「あなたには関係ない」  私は毅然と答えた。内心は割と動揺しているのだが。 「あっそう」  彼はニヤニヤしながら答える。一体どういうつもりなのだろうか。そして何を考えているのかその場で座り込んだ。 「ちょっと何してんの?」  私はイライラしてそう言い放った。 「どうせ死ぬんでしょ?気にしないでよ」  自殺をすることは流石にバレているだろうがそんなことはどうでもよかった。この人は一体どういう神経をしているのだろうか。 「もういい」  私はそう言い放ち、靴を履いた。今日はもう帰ろう。そう思い、屋内へ繋ぐドアに向かって歩き始めた。 「待てよ」 「……何よ」  律儀に止まる義理などないのだが、立ち止まってみる。彼は相変わらずニヤニヤしている。 「いや、今日は死なないんだろ?だったら暇つぶしに俺と話してかね?」 「嫌だ」  即答した。私の視線は彼から屋上と屋内を繋ぐ扉に移され、再び歩き始める。 「……いじめられてるんだろ?」  私は再び足を止めてしまった。いじめは基本誰もいなくなった放課後にされるため、そんなことを知っている人などいないと思っていた。 「……どうして知ってるの?」 「さぁ?」  私の問いに彼は曖昧に返事をして、再び私に向き直った。まぁこの人のことだ。どこかで盗み見るくらいはできたかもしれない。 「どーせ誰にも相談なんてしてないんだろ?だったら俺にだけは少し愚痴くらい吐いていけよ」 「私の自殺を止める気?」  私は思ったことをそのまま口にした。 「いや。単なる興味?かな。」  話せば話すほどこの人の考えていることがわからなくなる。  しかし私は彼のいう通りに少しだけ愚痴って行くことにした。なぜそうしたのかはわからない。共感して欲しかったのかもしれないし、本当は助けてほしいのかもしれない。もうすぐに失う命を惜しんだのかもしれない。 「はぁ……。少しだけね」 「そういや名前は?」 「……古賀結弦」  私はいじめられていることをざっくりと話していった。
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