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 私は急いで教壇に行った。教師の右手首は痛々しく(えぐ)られて、鮮血が溢れ出ていた。床には血痕が付着したナイフが生々しく転がっていた。  私はふと自分の右手首を見た。包帯が(ほぐ)れて、色白の肌が見えた。見るからに輝かしく健康そうな肌があった。私は(ひざまず)き、鮮血が溢れ出る教師の右手首を強く握り締めた。私の口の中から漏れる血の残り香が沈黙に漂う教師の血の匂いと重なった。私は止めどもなく流れ出る涙に堪えながら立ち上がった。 「皆さん、聞いて。私、東大を受験するの。担任の先生と約束したの。絶対に合格するって。この約束、笑うなら笑うがいいわ。吉田君、私、医者になるわ。お互い頑張りましょうね」  私は言いたいことを言い放って教室を後にした。遠くからパトカーのサイレン音が聞こえてくる。この世の現実というものが迫って来る。いや、すでに現実の真っ只中なのだ。通行人が私の姿を見て薄ら笑いをしているではないか。こんな情景は今まで他人事として受け流してきたはずなのに、今は、あの通行人の眼差しは、私の心の裡を見透かしているように思えてならない。「おまえは出来の悪い女子高生の一人に過ぎないのよ。救いようのない無能者なのさ」と語っている。そう思ってしまう自分が情けないというこの現実。悔しい、この着ている制服を脱いで、あの通行人に投げつけてやりたい。しかし、今の私は、この情景をねじ伏せるしかないのだ。それが真っ当な人間である私には相応しい試練であり、何も怖がることはないのだ。担任の先生の輝く大らかな瞳を記憶に留め、この別れを真っ当な人間としての私の出発点にするんだ。                  ー了ー
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