厄介なウイルス

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「はぁー、一杯食わされたなぁ、まいったまいった」  自宅に帰った大村はコップの水を飲んでひと心地ついた。    テーブルの上には接種完了を示すシールつきの接種券と、無数の郵便物が無造作に置かれてある。  フリマサイトから注文した商品を、自宅の郵便受けから回収し、開封するのが彼の一日の最大の楽しみであった。 「ふふ、ああこれ、欲しかったやつだ……あっ、こっちのモンケロの激レアカード、スレ傷ついてんじゃん……まあいいか元手はタダだし」    実は大村は、二年前からまったく仕事をしていない。  その頃から働きもせず、フリマサイトでの転売で生計を立てている……いわゆる転売屋であった。  しかもただの転売屋ではない。追跡証明のない普通郵便での配送を条件に超高額トレーディングカードを出品している迂闊な人間をターゲットに、大量に購入しては、数日後商品が手元にきたにも関わらず「まだ届いていない」とクレームを出すことで、郵送事故を装う詐欺まがいの行為をしている。  大手フリマサイトでは郵送事故と判断した場合、購入側、出品側両方に代金が補填される仕組みになっている。かくして大村は一円もかけずに転売用商品を仕入れることができる訳だ、彼はそんな悪質な詐欺を繰り返していた。  むろん四度五度と繰り返していてはアカウントは凍結される。しかし大村はダークウェブで配布されているプログラムを活用して、複数のアカウントを持っていたし、何よりフリマアプリは規模を問わなければそこら中に存在していた。知名度の低いフリマアプリほど、本人確認の徹底が行き渡っていないという弱点も把握していた。  今日もフリマサイトを開き、元手ゼロで手に入れた人気商品を高額で出品すると共に、仕入先には未着のクレームを送信する。  大村の手口に気づいた相手からは「てめぇさっさと到着報告しろ糞野郎!」とか「常習犯ですね。金輪際あなたとは取引致しません」または「お前はフリマ界隈に棲むウイルスだ」などと罵詈雑言の雨が降り注いだ。しかし大村にはそんな罵倒コメントなど毎日のように目にしていたので、まったくのノーダメージだった。相手がこちらをブロックしようが、まだターゲットはごろごろ居る。 「くっくっく……人の痛みさえ無視すれば、こんなに生きやすい世の中もなかろうて」  ほくそ笑む大村。  ちなみにアカウントに登録した氏名と電話番号も偽物であるが、住所だけはちゃんと正確に登録してある。詐欺とはいえ、目当ての商品を入手するためにも、住所まで詐称する訳にはいかないからだ。    それではいつか騙された被害者が激昂して大村宅まで押しかける可能性があるのではないか? と疑問に思う諸兄もいるかもしれないが、今のところ実害はゼロである。というのも、大村の鋭い観察眼でターゲットを品定めしているおかげである。彼は九州住まいであるが、詐欺のターゲットにするのはほとんど関東圏、東北圏、北海道在住の出品者に限定していた。  わざわざ遠い九州まで足を運ぶ奇特な出品者などいない。それに金額も補填されて損害もゼロなのだから、一日も経てば怒りなど雲散霧消する。  たまに人気商品の誘惑に圧され、地元九州に住む出品相手からも購入することもあるが、ちゃんと相手のプロフィールを読んで、気が小さそうだな、とか毎日激務に追われてかかずらっている暇もなさそうだな、とか危険性がないことを判断した上で購入するのだ。大村のフリマでのアイコンが毒々しいガイコツなのはそういう人種への牽制の意味もあった。  大村がパソコンでの作業を終えた頃、インターフォンが鳴った。そういえばもう5時だ。 「どうも、薬剤師です。解熱剤をお持ちしました」 「わざわざありがとうございました」ドアを開け、解熱剤の入った袋を受け取る大村。 「いえいえどういたしまして。“肉切包丁”さん」 「えっ、どうしてそれを……あっ、やばっ」 「あなたに一か月前に売ったモンケロプラチナカード、二時間前に出品されてましたね。おかしいですね、確か郵送事故でお手元に届かなかったんじゃないですか?」 「僕のアカウントを知ってるってことは……あなたがプラチナカードの出品者……?」大村の額にじわりと汗が滲み出る。 「一か月前の私はフリマサイト初心者で、右も左もわからなかった。とりあえずプラチナカードを売りさばいて、生活の足しにしたかった。急な物入りが続いていたのでね。それを、あんたみたいな詐欺師に買われて、結局お金が補填されるまで二週間かかったんだ。それまで毎日カップラーメン生活。ずいぶん恨みましたよ、あなたを」 「どうして僕が肉切包丁だと……」 「どうせ送付先は偽名でしょうから、住所だけはメモしていたんです。まあ薬剤師の仕事に忙殺されていたんで、そんな恨みの件なんかすっかり忘れていたんですけどね、でも解熱剤をお届けするために大村さんの住所を確認したら、ズバリじゃないですか。こんな千載一遇のチャンスを逃すと思いますか?」  しまった。モンケロのプラチナカードは大人気商品だったから仕方なく同じ県内の出品者から購入していたのだ。それが目の前にいる薬剤師が正体だったとは……大村の読み通り仕事が忙しくて実害はないと踏んでいたのだが、神様もとんだ意地悪をする。 「ほっ本人だからってなんなんだよ! てめえナイフとか持って刃傷沙汰でも起こすつもりか! 変な動きしたらすぐに大声あげるからな!」 「ふふ……安心してください大村さん。僕はこれでも薬剤師ですよ。ただあなたに解熱剤を渡しに来ただけです。“普通の”解熱剤をね」 「うっ!」薬の入った袋を思わず強く握る大村。薬剤師は「それじゃ、ご自愛ください」と言って踵を返して去っていった。  その日の夜、大村は原因不明の高熱が出た。  体温を計る。8度7分。これは微妙な数字だ。  通常7度5分を超えたら解熱剤を服用すべしとガイドラインには書かれている。  しかし例の薬剤師の得体のしれない解熱剤だけは服用する訳にはいかない。  8度台を維持したまま、一時間が経過する。つらい。頭がぼーっとして何も作業ができない。  かといって8度台で病院に駆け込んだり、救急車を呼んだのでは、医者の間での物笑いの種になるのではないかとプライドが邪魔して電話することができなかった。  また一時間が経過する。8度9分になった。しんどい。十秒経つだけでもしんどい。時間があっという間に過ぎ去る薬が欲しい。  薬……薬……大村は過去のワクチン接種のときにもらった解熱剤のありかを探す。しかし一向に見つからない。  さらに三十分が経った。熱は下がらない。息切れもする。大村はこれはワクチンの副反応ではなく、ウイルスの初期症状ではないかと疑うようになった。今日の行きのバスは混んでいた。もしやそこで……。 「国内の累計死者数が七万人を突破した」……「四十度の熱が数日間続く」……スマホで検索をかける度、恐怖におののくようになった。  そして深夜、大村はついに夕方薬剤師からもらった解熱剤を手に取った。手のひらに白い錠剤をのせ、コップに水を満たす。 「……大丈夫、あれはただのハッタリだ。腐っても奴は薬剤師。薬剤師としての矜持があるはず。仮にこれが毒物だとしたら、奴も罪に問われる。そんなリスクを相手が犯すはずがない……」  大村は解熱剤を口に放り込む。 「人を一人でも多く救いたい、そんな情熱で、きっと夢を叶えたんだろう? ……頼むぜ」  彼は祈るような気持ちで、一気に水入りのコップをあおった。  数時間後、人の世にはびこっていた迷惑極まりないウイルスがまた一つ、世間から姿を消した。 (終)
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