厄介なウイルス

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   2023年は世界中に蔓延した C ウイルスの対策が進み、その騒ぎは国内ではようやく落ち着きをみせ、指定感染症としては二類から五類に格下げされ、ウイルスへのワクチン接種を国民が無償で受けられるサービスも当たり前になった。    フリーターの大村のもとにも市役所発行のワクチン接種希望サービスの封書が届き、彼はいつものようにネット予約して、当日、打ってもらうべく家を出た。 「もう四回目だし、だっるいなぁ~」それが大村の正直な感想だった。  医院に辿り着いた大村はおでこの体温を計ってもらい、平熱とわかるやすぐに接種会場へと通された。 「大村さん、大村さーん。どうぞこのドアからお入りください」  診察室に通される。中ではカルテを見る医者と、看護師と、研修中の薬剤師と思われる人が待機していた。 「はい……はい、カルテは問題なし。え、大村さん、左利きですか、じゃあ右腕に打ちますね。はーい左向いて……はい、終わりましたよ」 「どうも、ありがとうございます」今回も痛みはまったく感じなかった。現代の医療革新にはほとほと頭が下がる。 「じゃあ、解熱剤を渡しときますね」そう言われて大村はハッとした。そういえば発熱などの副反応に備えて解熱剤を処方されるんだっけ。  過去三回ワクチンを打ったときはたいした副反応は出なかったので、接種後二日も経てばワクチンのことなど頭から忘れ去っていた。解熱剤も今やどこに保管してあるのかもわからない。  大村は念のため新しいのを受け取っておこうと左手を出した。    だが医者は、おもむろに丸椅子から立ち上がると、部屋のどんつきまで歩いて行った。  そこで胸に下げたID カードを掲げる。すると何もなかったはずの漆喰の壁から「認証シマシタ」という電子音声が聞こえてきて、足元から完全に壁と同化して隠されていた五十センチ角の引き出しが、ぶっしゅわわわ~と煙を上げながら現れた。  おそらくドライアイスで内容物を冷蔵管理しておいたのであろう。  その一部始終を大村は驚きのまなこで見つめ続ける。    医者はその引き出しから、ティッシュ箱ぐらいの大きさの、鍵付きの小物入れを取り出した。  その素材は黒の鋼鉄製でできており、市販の金づちで叩いたぐらいではビクともしなさそうだ。  小物入れに鍵穴は三か所ついていた。そこで看護師と薬剤師も立ち上がり、胸に下げていた専用の鍵を取り出した。  小物入れはカルテを置いていた机の上にそっと置かれ、医者と看護師と薬剤師がそれぞれの胸に下げていた鍵をそれぞれの鍵穴に差し込み、慎重にタイミングを計っている。状況説明は格好良くても、大の大人三人が頬を突き合わせて机に群がっている様は、そこらの養豚場で見る光景に似ていた。 「スリー、ツー、ワンでいくぞ。みんな」医者が言う。 「はい」 「了解しました」 そして医者が号令をかける。 「スリー、ツー、ワン!」  三人が同時に差し込んだ鍵を右に回す。ガチリ、と厳重な金庫が開いたような音が聞こえ、ばねの力でゆっくりと小物入れが開いた。  中には、ベルベットのフェルトの中央に、一錠の黒い錠剤がちょこんと置いてあった。 「大村さん、手を出して。両手をおわん型に」  そう言われて彼は慌てて手を出す。薬剤師は持っていたピンセットで黒い錠剤をぷるぷる震える手でつまむと、慎重に大村の手の平の上へと移動させて、ポトッと黒い錠剤を大村の手に乗せた。  医者はホーッと安堵のため息をつき、言った。 「じゃ、大村さん。これ解熱剤ね」 「いや使えるかぁ!」大村は即座に突っ込んだ。そのまま弁舌激しくまくし立てる。 「ちょっと待ってくださいよ、これが解熱剤? 今までポンとお守り感覚で渡してくれてたやつでしょ? いつから解熱剤はそんな松茸レベルの高級品に昇格したんですか? いつからハリウッド女優が所有する天然ブルーダイヤモンド級の厳重な保管レベルを要するようになったんすか? その白い壁の隠し棚、絶対発見不可能でしょ、最先端の科学技術の粋を集めていますよね? それでいて三人がそれぞれ息を合わせて鍵を回さないと開かない小物入れってなんなんすか! 失敗したら爆破でもするんすか? でなければ二十四時間強制ロックかかるとかそんな機能ついてたんすか? 患者にまた明日来てくださいねーって言うつもりだったん? 第一解熱剤よりワクチンのほうが遥かに開発コスト高いでしょ! それにこれほど厳重に保管されてた錠剤がただの解熱剤の訳ないじゃないですか! むしろ政府が極秘に開発した痕跡も残さない青酸カリの亜種って説明されたほうがまだ納得がいくってもんですよ! とにかく僕はこんなもの飲めませんよぉぉ!」  そこまで一気呵成に突っ込みをいれた大村は、相手がにやにやと相好を崩していることに気が付いた。医者が口を開く。 「はっはっは、冗談だよ大村くん」 「へ?」 「うちの先生は時折こういう冗談を挟むのよ」看護師が助け舟を出した。 「て、ことはこの錠剤は……」 「ただの市販の健康サプリのカプセルだよ。ちょうど解熱剤が君の前の患者で無くなったから、いいタイミングだから君にドッキリを仕掛けてみようと思ったんだ。君はまだ若いし、きっといい反応をすると期待してたからね」薬剤師が説明する。 「ちょっともう、人が悪いっすよ、皆さん~」大村がぶーたれる。  四人の間にほがらかな笑いが起こった。  やがて気分が落ち着いてくると、医者は今後の説明をした。 「じゃあ大村さん、このあとお仕事とか予定ありますか」 「はい、まあ一応リモートで軽作業みたいなものが」 「ワクチンの副反応はおそらく今夜がピークですので、受付で別紙に住所氏名を記入してください。夕方頃にこの研修の薬剤師さんが直接解熱剤をお届けにあがりますので、よろしくお願いします」 「えっ薬剤師さんがそんな配送サービスみたいなことやるんですか」 「近所づきあいを大切にしようとうちの医院で始めた独自のサービスなのでね、人件費の削減も兼ねて」 「ありがとうございます」  大村は診察室を出たあと、説明通りに受付で住所と名前を記入して、帰宅した。
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