5、永遠の祈り

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5、永遠の祈り

 灯篭(とうろう)流しが行われる河辺の会場にはお年寄りだけでなく、若い人も大勢訪れていた。  厄災から三十年を経た鎮魂への祈りを込めた灯篭流しではあるが、世間には未だ納得できるだけの原因が明確に明かされていない不安が残っている。  それでも、死者の魂を弔おうと今年も祈りが捧げられる。 「特別観覧席までご案内しますから、どうぞついて来てください」  チラホラと人が集まり始める中、私たちは先導する実椿(みつば)さんに連れられ、一般の人が入れない特別観覧席まで案内された。  間隔に余裕ある観覧席には住職や町内関係者が多いようで、全体を通して見ると比較的年配の人が多い。巫女服姿の女性が目立って見えるほどだった。 「冷たい天然氷も出してますから、少し始まるまでゆっくり過ごしていてくださいませ」    母性のある落ち着いた物腰で天然氷を私たちに勧めてくれる実椿さん。  そのまま地元の知り合いが大勢集まる関係者への挨拶回りを始めて、私たちの前から一旦離れて行った。 「綺麗な人だね」  光がしみじみと言った。光は挨拶回りを丁寧にお辞儀を繰り返しながら勤しむ巫女装束姿の実椿さんを見つめていた。 「うん、お母さんの五歳くらい年下だったと思う。まだ未婚のままなのが本人は恥ずかしいみたいだけど」  私は三十年前の厄災発生時、凛音(りんね)お母様が高校一年生で実椿さんが小学生だったことを思い出して言った。  跡継ぎが一早く見つかった方が、両親の肩の荷も下りる事情もあり、見た目には分からないが本人は焦っているところもあるそうだ。 「跡継ぎとか、家の事情に巻き込まれると面倒ね……」  面倒事は嫌いそうな舞が呟く。舞本人の恋愛話について聞いたことが一度もなかったから、理想の相手も含め、どんな人を好きになってきたのかは気になるところだ。逆鱗に触れそうで直接聞く勇気はないけど。 「昔は家柄の縛りがあるから、家族も協力してくれて許嫁とか相手探しに苦労しない側面もあったと思うけど、それでも理想の相手に巡り合える保証はないから、何が正解か分からないね」  私が口にしたのは一般論だったが、少し共感しにくい話題だったのか、舞は複雑そうな視線を送っていた。  舞は少女漫画好きだから、恋愛結婚でよく言われる理想的な運命の出会いへの憧れが強いのかもしれないと、私の勝手な推測が浮かび上がった。  私たちはここまで足場の悪い林道を歩いてきたこともあり、一息つこうとお皿の上に山のように盛り上がった天然氷のかき氷を三人で一緒に掬いながら食べた。  口いっぱいに広がるキンキンに冷えた天然氷を食べて満足した私たちは挨拶回りを終えた実椿さんと再び合流し、上流の川辺に並んだ。  すっかり暗くなった空の下、無数の提灯をつけた万灯船(まんどうせん)が川を下っていく。    どこからともなく聞こえてきた鈴の音が響き渡って、その音が消えると途端に大勢の人で賑わう会場が静かになった。  人の気配が消えていくような錯覚を覚えるほどに静寂に包まれる会場。  静けさに代わって川のせせらぎを私は聞きながら、隣にいる実椿さんの様子を伺った。 「お姉ちゃん達は安心して眠ることが出来ているのかしらね」  自分の身体から発したのか判断出来なかったが、実椿さんの言葉の後に風が吹いた。  短い言葉で、たったそれだけの呟きだったが私は重く受け止めた。 「魔法使いだったんですよね……二人とも。私も14少女漂流記の中で見ただけで会ったことがあるわけではないですが……」  映像アーカイヴの中で鑑賞した二人の姿が頭に蘇る。映画などではないリアルな光景、それは今も頭の中から消えることはない。 「二人とも優しくて思いやりがあって、私の理想だったわ。  厄災が終わってから、二人のように早く大人っぽくなりたいって思って、頑張って背伸びをしようとしてた。  ごめんなさい、古い話しをして。  懐かしくて、思い出すのも辛くなってしまうわね……。  ダメね……稗田さんは関係ないのに……誰かを責めたくなってしまうのは、嫌になるわね」  切ない表情をずっと浮かべながら感傷に浸るように灯篭の灯りをじっと眺める実椿さん。    本当の真実を全部知ってしまった時、あれが天災などではないと知った時、こんなに優しい実椿さんでも誰かを許せないと思ってしまうのだろうか。  そんなことをふと考えてしまって、言葉に詰まってしまう。未だ誰もあの地下書庫に連れて行って、映像を見せる覚悟が出来ないのは、きっと私にあるそういう今まであった意識が今になって”変わってしまう”ことへの怖さからなんだろう。  直接的には無関係な私が、傷ついた人の意識を変えてしまう、そんな身勝手なことをしてしまうのが、たまらなく怖いのだ。 「魔法使いの最後はいつだって哀しいものでした。  でも、きっと二人は天で見守ってくれていますよ。  人のために、命を懸けて戦っていたんですから」  心からそうであってほしいと願いながら私は言った。 「そうね……その方が二人のためよね。  もしも、まだ未練を残して天に昇ることを許されないのなら、どうか、安心して眠ることが出来ることを願おうって思っていたけど。  もう、稗田さんの言葉を信じることにするわ。  きっと、空の向こうで私たちの事を見守ってくれているって」  悲しみに暮れる時間が終わることはない。  それでも、実椿さんは前を向いて、ゆっくりと灯篭を川へと向けた。  実椿さんの言葉をじっと聞いていた私は、余計なことを言ってしまいそうになるのをグッと堪えるので精一杯だった。  温かい灯りの付いた灯篭からゆっくりと手を離し、流れていくのを確認すると実椿さんは神妙な面持ちで手を合わせ祈りを捧げる。  私も、光も、舞も実椿さんをお手本にゆっくりと灯篭を川に送る。  人々の祈りを載せて、一斉に川に流れていく姿は、確かに魂が天に昇っていくようだった。  長く静止する祈りの時間、私も横で一緒に祈りながらそっと横目で綺麗な横顔をした実椿さんの姿を確認すると、段々と切ない感情を堪えられず一筋の涙が美しい瞳から零れ落ちていた。  大切な人の事を思い出して……声を聞いているのかもしれない。天に昇って行った人の声を。  私は……誰の声も聞こえては来なかった。  嫌な想像だけど、まだ、本当の別れを私は知らないのかもしれない。  そう思うと、たくさんの死を経験し見守って来たにも関わらず、死を実感できていない自分を恐ろしく感じた。    ”私の中にある魔女の血は、まだ、私に悲しませることを許さないのだろう” 「ごめんなさいね、人様の前でみっともない……」  目を開き、瞳を潤ませながら私の視線に気付いた実椿さんは言った。  私よりもずっと、人に寄り添っていると感じて、余計に胸が苦しくなった。 「いいえ、大切な人を亡くして涙を流せないことの方が悲しいことです。  私は祖母を亡くした葬儀の時に涙を流すことが出来ませんでした。  祖母の代わりに葬儀に行った時も……その時は自分には心がないんじゃないかと惨めになりました。でも本当は祖母の死を現実のものとして受け止められなかっただけなんです。  もういない、もう会えなくなってしまった人を大切に想うなら、泣いて悲しむ時間を過ごすのも生きている私たちにとって大事な使命だと思います」  ――迷いながらも、頭から絞り出した私の言葉を実椿さんは聞いて、また一つ、大粒の涙を流した。
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