腐朽世界のレイハーネフ

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 街の外に出るには、都市を囲む壁に設けられた門を抜けなければならない。  『都市国家』は城塞都市ほど物々しい壁があるわけではなく、馬や人が越えられない程度の高さの石組みと、国境を兼ねた自由往来のできる門があるだけだ。門は東西南北四つあり、人間同士の戦乱でも起きない限り閉ざされることは無いと聞く。  アズハとココネは家から目と鼻の先の広場の入口へとやってきた。  そこは朝市で売られる新鮮な食材を求める人々が大勢集まり、活気に満ち溢れていた。  広場の中央には四方の水路から流れてくる水を溜める池があり、涼しげな水音が響いている。腰ほどの高さの石組みで囲まれた水溜は、直径10メルテ(※1メルテ=約1メートル)程もある大きなもので、周りでは自由市場(バザール)が開かれている。  小さな屋台や広げた布の上に売り手が陣取り、色とりどりの果物や干し肉、穀物などの食料、衣類、香辛料が並べて売られている。  人々の笑い声や威勢のいい声に満ちた広場。それはパンの販売個数制限が嘘かと思えるほどいつもと変わらない景色だった。 「水、汲むから」  小さな声でボソリと告げると、アズハは水場へと向かった。  正直こういう喧噪に満ちた場所は苦手だった。願わくは国立図書館か部屋で一日中古代文明の本を読んでいたい。  出不精なのは妹のココネも同じらしく、アズハの家に来てからというもの、必要な時以外は表に出たがらない。それは慣れない異国で戸惑っているだけなのか、余程外で怖い目にあって来たからなのか。 口数の少ないココネが自分から話す事は無かったし、アズハも聞こうとはしなかった。  ココネにとってその距離感が居心地がよかったらしく、ぶっきらぼうでまるで愛想の無いアズハを、ココネは慕うようになっていた。  池の脇から流れ出る自由に使える水道で顔を洗い歯を磨く。アズハは背負い袋の中から水筒を取り出すと新鮮な水を汲んだ。  乾燥しているこの地では、長旅をするのなら水は必需品だ。  ココネは水筒を持ってきてはいないらしいが、カズリの祭儀を行う場所は街から二人の脚でも夕方までには帰って来れる程の道のりだ。なんとかなるだろう、とアズハはさして気にも留めなかった。  ――と。 「……あれ?」  気が付くと、ココネが見当たらない。  きょろきょろと市場を見回すと、――いた! 「ねーねー? 遊びにいこうよ~」 「いーじゃんかよー?」 「ぁ……ぁぅ、あの、その」  ――ナ、ナンパされてる……。  あわあわと目を白黒させ、完全に挙動不審のココネを囲むガラの悪い男二人組。  放っておこうか、という考えが一瞬頭をよぎるが、そうもいかない。  母親の「何かあったら承知しないよ」の言葉と共に、窓から逆さ吊りにされた自分の幻影が浮かんだからだ。  ほんの少しの勇気を振り絞り、駆け寄る。 「ココネ、行くよ」  アズハはココネに低めの声をかけ、男二人はとりあえず無視。  あん? という顔でアズハを睨む男達の隙間からココネが素早く逃げ出した。アズハの背後に回り込んで細い指が袖をぎゅっと掴む。 「なにてめー横から……」  相手が眉を吊り上げて言いかけた瞬間、アズハはココネの手を掴んで脱兎のように駆け出した。とにかく関わらないに限る。後ろから男達の気怠い舌打ちが投げつけられた。  人混みに紛れて駆け抜けて、一区画先の路地を曲がったところでようやく一息つく。 「はぁっ!」 「はぁはぁ……」  アズハは握っていた手を投げつけるように振りほどいた。 「あのさ! 頼むから面倒に巻き込まないでよ、ね?」  一人で来ていればそもそもしなくていい苦労のはず。アズハは肩で息をしながら目をぱちくりとさせる『妹』に苦々しく言い放つ。 「……ごめん、なさい」 「う……。もう、いいけどさ」  小さくしょげた様子のココネにアズハは短く嘆息すると、再び門を目指して歩きはじめた。  アズハが時折振り返ると、ココネはすぐ後ろをしっかりとついてくる。  二人は大勢の人ごみの中を縫うように進んだ。 (つづく)
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