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大型の満月が輝く夜の山野、道とも呼べないような野道に人の茂みに向かい語りかける影が映る。その人影の遠方には役人と思わしき姿が幾人か見えていてその光景は生贄の儀式とも見える異様な空気に包まれていた。
「李徴、もう私たちは再び合間見えることはできないのか?妻子の生活は必ず私が保証する。だがお前とのこんな別れ方は受け入れ難い。」
茂みに向かい語りかけるその男、袁傪は悲しみを込めた表情で呟く。
「袁傪、今すぐここを離れろ。俺はもう俺ではない、醜い獣と成り果てたのだ。俺の牙がその喉を貫く前に早く役人を引き連れ去るんだ。」
声の聞こえるその茂みの中から二つの黒い目が顔を出した。つり上がった白を黄に染めたその目は人間のそれとはかけ離れたものだった。
「もう人には戻れないのか?」
「戻れない。俺の本能がそう俺に囁いてい…うっ…」
茂みの主、李徴は苦しみだし月に向かい獣の声をあげた。すかさず二人から距離を取っていた役人たちが弓を茂みに向けて構える。
「今すぐ逃げろ、袁傪」
本能を耐え忍ぶような張り詰めた声で訴える旧友の姿に袁傪はとうとう背を向けその目に涙を浮かべながら走り出す。その真上に浮かぶ満月にはいつの間にか黒い雲がかかっていた。
「それでいい、それで良かったのだ」
人としての最期を迎える間際、誰に語るでもなく李徴はそう呟き暗闇へと沈んでいった。
──その後、袁傪たちは無事に麓まで降りたった。その道中には大型の虎と思われる猛々しい咆哮が二、三回聞こえたのだった。
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