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──あれから千五百と少しが経過したあくる日──
キーン…コーン…カーン…コーン…
この国の学校の鐘の音を聴いた回数ももう四桁回は突破しているのではないだろうか。「かつて」聴いた優美な鐘の音よりかは上品さこそは感じないが日々の安らぎは前よりも強く感じる。
「袁助またチャイムの音聞いてるよ、ほんと頭はいいのに変わったやつだよなー」
近くからは誰かの陰口が聞こえてくる。今日いきなり始まったわけではなくこれもまた日々の鐘の音と共に起こる風物詩だ。
(また名も知らぬ物が私を奇妙な肉の塊のような目で見ている。実に哀れなことだ、どれだけ見ようとも私が見たいのは彼らではないというのに。)
私は彼らの産まれるずっと千年以上前から一人の男しか待っていない。彼、李徴が別れの咆哮を上げてから私は懸命に役人の仕事を務め、彼の妻子を養っていった。それらの日々は時の流れも分からぬほど忙しく、弱音を吐く暇さえ存在しなかった。しかし心の中ではずっと絶え間なく旧友と再び会える日々を待っていた。それは妻を亡くした時も、自らが病に犯された時すらも消えることなく、ついには死ぬ瞬間すら消えなかった。目も見えず耳も聴こえなくなった往生際には「あぁ、遂に李徴に再開することは叶わなかった。積める徳は溢れるほどに積んだつもりではあったが今世ではもう叶うことはなさそうだ。来世こそは、来世こそは必ず見つけ出すからその時は後ろめたさも感じることなく共にかつての思い出を語り合おう、私の友李徴よ…。」
と想いを募らせ体を軽くしたものだ。
その想いが功を成したのか私は記憶を失わないまま来世に産まれ、そのまま様々な生を経由しながらも李徴を探し続けた。ある時は極寒の地に住む女に、ある時は群れを率いる虎よりも遥かに下劣な獣の長に…ただ動かず風に揺られるだけの雑草に生まれ変わったこともある。こうして何百年何千年と李徴を探し続け、なおも見つけることが出来ない私の心は次第に窮屈になり少しばかりか卑屈にもなっていた。こうして一人を好み、一日数回鳴る鐘の音に心を寄せるのはそのような心境によるものもあるのだろう。
──翌朝
「今日もこうして操られたかの様に皆がこの学校に集まっていくなぁ」
毎日の同じルーティンの繰り返しに私はこれまたいつも通り辟易とする。しかし今日はそんな中でもひとつの彩りがあった。私のクラスに一人新たな同胞が増えるそうだ。数日前からどこから情報が流れたのか転校生がまことしやかに噂されていたが、そのお披露目がどうやら今日だったみたいで、いつもとは違うその雰囲気に少し私の心はときめいていた。ただ、決して私はこの転校生が李徴だったなんて展開には期待していない。いや期待できなくなったというのが正しいだろうか。何か出会いの予感がする度に今までも期待しては散々裏切られてきたのだ。その度に何度神の呪いを疑っただろうか、今回も呪いは解けない、李徴に会えることはないと思っていた方が気も楽だろう。
「みんなもういるかー?今日はもうみんな知っていると思うが転校生の紹介するぞー入ってこい」
思案にふけっていると先生が教室に入ってきた。窓際のここからじゃよく見えないが背後には転校生と思われる姿がある。
(昔は先生を老師呼びしてよく怒られてたなぁ…)
過ぎた時間はいつも記憶の中で呼び戻すが、現実の時間は少しづつ進んでいく。そんな言葉にはしにくい寂しさをふと感じながら私は転校生を見た。その瞬間だった。
「はじめまして、大牙と言います。よろしくお願いしまーす」
私は目を見開いた。それは物凄く転校に慣れてそうな雰囲気だったからとか苗字は言わないのかよと思ったからそういった理由ではなく、この顔の堀の濃さ、服に少し着いている墨と思われる跡などが李徴にとてもよく似ていたからである。
「え、これは真か…?」
身体が自然と暑くなり、その興奮具合に自分で少し引く。しかしそんなことが果たして本当に有り得るのか…?
混乱する私を横目に大牙と名乗ったその少年は席に座るために移動した、その身体が私の横を通り過ぎようとした時に「帰り少し待っててくれ」と囁かれた。私は思わず「え」と口に出してしまったが、気づけば大牙はもう後ろの方に座っていた。
そうこうして下校の時間となった。かく言う私は朝の大牙の存在が頭を離れずに一日中彼のことで頭を溶かしていた。
「さ、さっき待つよう私に言ってたよね?」
窓際に座っている大牙に恐る恐る声をかける。他人に話しかける程度のことでこんなに緊張するのは今日がおそらく初めてだ。私から変な汗が流れるなか大牙はその口を開いた。
「久しぶりだな、袁傪」
「やはり其方は我が友李徴子ではないか?!」
李徴でないなら言うはずのない私の本当の名前を彼から聴いた途端に私は彼の、李徴の手を握っていた。
「これまで様々なものに生まれ変わり、袁助という仮の名を持った今遂に其方に会うことが出来た。一体今まで何をしていたんだ」
「すまなかった袁傪。俺も一刻も早く其方に再会したかったのだが、色々と障害があってな。思ったより遥かに時間がかかってしまったよ。」
「全然いいのだ、今ここで李徴に会えてそれまでの寂しさはもう忘れてしまったよ。互いに話したいことが沢山あるはずだ、今日は時間が許す限り話し合おう」
私は自分の目頭が熱くなっていくのを感じた。これまで本当に長かった、これまでの人生の間でここまで嬉しさがこみ上げてくるのは何百年ぶりだろうかと嬉しさのような、達成感のような感情で満たされていく。私と李徴はこれまでのことをめいいっぱい語り合った。
「…それにしてもよく私が袁傪だと気付いたな、李徴は割と顔つきは昔と変わらないけど私は生まれ変わりの末かなり昔と見た目が違うと思うのだが」
「それが実は袁傪がこの学校にいることが分かってたんだ」
「え?どういうことだ?」
私は目を丸くした。李徴が来たのは最初から私がここに通っていることを知っていたから?私の脳をもってしても状況をあまり理解できない。
「李徴は俺がここにいるのをどうして知ってんだ?」
少し間を置いて李徴は「話すと長くなるからなるべく短くまとめるが…」
ここから李徴の口により語られた内容は驚愕に値するものばかりだった。
「あの時俺は虎になってお前から姿を消しただろ?その後俺はずっと虎のまま一生を過ごしたんだ。虎の世界は人間の世界と変わらず大変だった。上下関係も厳しく飯にありつけない日も多く…そうやって虎として本能のまま過ごしていくうちに俺は次第に人間だった頃の記憶が薄れていき最期には袁傪以外のことを完全に忘れ去っていた。そして虎としても狂い続けて一体俺は死後、どのような地獄をさまようことになるのかと思っていたのだが俯きながら暗い道を歩いていたとき俺の眼前が急に眩しくなったんだ。」
「それでその光の招待はなんだったんだ」
李徴は話を続ける。
「驚いて前を見るとそこには人と獣が入り交じったような姿があった。俺は直感的にそれを神だと認識したんだ。神は哀れみを持った目で俺にこう語りかけた、「何故お前は一人の人間からこんな醜い獣の姿に成り下がったのか」と。」
「お前が虎となったのは神のせいではなかったのか?」私は李徴に問う。
「俺もそう思ったんだよ。だから「何故って、貴方が私に罰を下したからではないのですか、邪な心に狂った私に対して人智を超えた罰を」と。でも違ったみたいなんだ。」
「ではいったい…」
李徴は神が言うには…とその時を思い出しているかのように目を瞑り私に説明した。
「「お前が虎になったのは私のせいではないしなんなら今回で初めて人が虎になる姿を見た、おそらく呪いの類かがお前を好んだのだろうが呪いに好かれるほどお前は他よりも特殊な感情を持っていたのか?」ってさ、俺は呪いで虎になってみたいなんだ。不思議なこともあるもんだよな、だから俺が神なら呪いを解いて李徴の元に生まれ変わらせてくれと頼んだ。神も最初は渋っていたがとうとう諦めて袁傪に会うために俺に新しい命をくれたんだ」
ただの人間が虎になる時点でもうおかしな話ではあるが、やはり規模が大きすぎて聞いてて脳が疲れる。しかし俺はこの話でただ一つ確実に分かったことがある。それは李徴が永い時間の果てに私に会いに来てくれたこと、そして時代が変わっても私と李徴の友情は一切変わらなかったということ。私は非常に嬉しく思い、震えた声で「ずっと会えるのを待っていた、ありがとう」と呟いた。李徴は笑みを浮かべただ頷いたのだった。
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