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第1話
「だーっ! 何で俺たちだけこんなに働かされるんだよ!」
咥え煙草の灰が落ち、焦げ穴の開いた書類をクシャクシャに丸めて、シドは左隣のデスクに着いた後輩のヤマサキに投げつけた。
書類はヤマサキの頭にヒットして弾み、ダストボックスにナイスインする。
「やめて下さいよ、シド先輩。八つ当たりしたって始末書は減らないっスよ」
「デッカいお世話だ、この野郎」
腹立ち紛れにシドは書き損じ書類でこさえたハリセンでヤマサキの頭を張り飛ばした。書類も午後からだけで二十一枚ともなればハリセンも分厚く結構いい音がする。
「痛っ、酷いなあ」
ヤマサキは手にしていた愛娘サヤカ嬢の3Dポラを大事そうにデスクに置いた。そして指折り数え出す。
「今日は朝っぱらから強盗二件にひったくり二件、昼には通り魔一件に痴漢が一件。イヴェントストライカの面目躍如だったそうじゃないっスか」
「その二つ銘を口にするな」
ペシリ。
「それもタタキ二件と通り魔は狙撃逮捕、衆人環視の発砲で始末書が三枚っスよね」
バシッ!
「今週に入って始末書も二桁の大台に乗ったってハナシっスよね」
スパーン!
「ヴィンティス課長も連続狙撃逮捕を聞いて、血圧が下がってずっと沈没っスよ」
「俺のせいじゃねぇだろっ!」
ハリセンを振りかぶったシドを、右隣のデスクで書類にいそしんでいた相棒のハイファが冷静な声で止めた。
「シド、もう定時十五分前だって分かってる? 遊んでないでさっさと書いてよね」
言われてシドは左手首に装着したリモータを見た。
リモータは現代の高度文明圏に暮らす者には必要不可欠な機器で、携帯コンでありマルチコミュニケータでもあった。
現金を持たない現代人の財布でもあり、身分を証明するための星系政府登録IDコードもこれに入っている。
上流階級者などはこれに護身用の麻痺レーザーを搭載していることもあった。
だがシドは単に時間を見ただけ、なるほど十七時十五分である。
そして辺りを見回した。
他課の下請けから帰ってきてくつろぐ者、噂話に花を咲かせる者、ホロTVに見入る者、深夜番を賭けてギリギリまでシノギを削るカードゲームに熱中する者……。
終業十五分前にして誰も仕事などしてはいなかった。
ここは太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課の刑事部屋だが、今どき刑事、イコール忙しいというのは成立しない。
同僚の皆がヒマそうなのを目にしてシドの機嫌は更に悪くなる。だが自分よりもハイファの機嫌が悪くなる方がコワいので、アンフェアを呪いつつもしぶしぶ書類に戻った。
AD世紀から三千年というこの宇宙時代に、報告書類は何と手書きと決まっているのだ。容易な改竄や機密漏洩防止のために結局落ち着いたローテクで、筆跡は内容とともに捜査戦術コンに査定され、デジタル化されて法務局の中枢コンにファイリングされる。故にどれだけヒマそうでも他人に押し付ける訳にはいかない。
事務支援ツールとしてのアンドロイドがいた時代もあったらしいが、そんなモンに頼っちゃいけないと我らが地球連邦は全廃してしまったらしい。
今ではご禁制項目トップ品である。高度なテクノロジーはあれど、人間主体の社会システム維持と資本主義を支える需要と供給のため、ヒューマノイドへのAI搭載は規制が掛かっているのだ。
酷い右下がりの文字で書類を埋めるシドをハイファはチラリと窺った。
シド、フルネームは若宮志度という。職業は勿論、惑星警察の刑事である。
三千年前の大陸大改造計画前に存在した旧東洋の島国出身者の末裔らしく、髪も切れ長の目も黒い。前髪が長めの黒髪は艶やかで天使の輪ができていた。
口の悪さが台無しにしている感はあったが、身に着けた綿のシャツとコットンパンツがラフすぎて勿体ないような極めて端正な顔立ちをしている。書類地獄でブチ切れている今はともかく、普段は大抵ポーカーフェイスを崩さない。
この完全ストレート性癖の男を堕とすまで、ハイファは出会って一目惚れしたその日から、何と七年もの歳月を費やしたのだ。
今は従来通りの親友であり、公私に渡るバディであり、一生涯のパートナーだ。ペアリングまで嵌めている。微笑みがとまらない。
「何ボーッと見てんだ、ハイファ。お前も他人事じゃねぇぞ」
「大丈夫だよ、手は動いてるもん。残り三枚と始末書だもんね」
「スパイの書類は心がこもってねぇから早いんだよな」
「それ、大きな声で言わないで!」
「お前の方が声デカいって。大体、誰も聞いちゃいねぇよ」
スパイ呼ばわりに反応しつつも書類に向かうハイファをシドは暫し眺めた。
相変わらずの美人だが正真正銘男性で、本名をハイファス=ファサルートという。
身長こそ低くないが躰はごく細く薄い。身に着けているのはドレスシャツにソフトスーツでタイは締めていなかった。シャギーを入れた明るい金髪の髪は後ろ髪だけが長く、腰近くまで流れているのをうなじの辺りで縛ってしっぽにしている。
瞳は優しげな若草色で誰が見てもノーブルな美人だった。
そして職業はシドと同じく惑星警察の刑事であるが、女性と見紛うほどになよやかな外見に反して現役軍人でもあった。テラ連邦軍から惑星警察に出向中の身なのだ。
軍にあっては中央情報局第二部別室という、一般人には聞き慣れない部署に所属していた。
中央情報局第二部別室、その存在を知る者は単に別室と呼ぶ。
別室はあまたのテラ系星系を統括するテラ連邦議会を裏から支える陰の存在で『巨大テラ連邦の利のために』を合い言葉に、目的のためなら喩え非合法な手段であってもためらいなく執る超法規的スパイの実働部隊だった。
そこでは汎銀河で予測存在数がたったの五桁というサイキ持ち、いわゆる超能力者をも複数擁し、日々諜報と謀略の情報戦に明け暮れているのである。
そんな別室でハイファが何をしていたかと云えばやはりスパイで、ノンバイナリー寄りのメンタルとバイである身とミテクレとを利用し、敵をタラしては情報を盗み出すといった非常にえげつない手法ながらも、まさにカラダを張って仕事をこなしていたのだ。
だが一年と少し前に転機が訪れた。
まだ出向前のハイファが別室任務で、ある事件の捜査をするために刑事のフリをし、七年来の親友であり想い人でもあったシドと初めて組んだのだ。
二人の捜査の甲斐あってホシは当局に拘束された。だがそれだけで済まなかった。ホシが雇ったサイキ持ちに二人は暗殺されかけたのだ。
敵のサイキ持ちが手にしたビームライフルはシドを照準していた。だがビームの一撃を食らったのはハイファだった。咄嗟にシドを庇ったのだ。
お蔭でハイファの上半身は半分以上が培養移植モノである。
しかし奇跡的に一命を取り留め、病院で目覚めたハイファを待っていたのはシドの一世一代の告白という嬉しいサプライズだった。失くしたと思った瞬間、シドは失くしたくない存在にやっと気付いたのである。そしてシドは言ったのだ。
『この俺をやる』と。
当然ながらハイファは天にも昇る気持ちだった。十六歳で出会って以来果敢にアタックし続けてきたとはいえ想い人は異性しか恋愛対象にしない主義で、一生を片想いで過ごす覚悟をしていたのだ。こんな幸せが降ってくるとは思いも寄らなかった。
七年越しの愛にとうとう応えたシド自身ですら、まさか親友に転ぶなどとは思ってもみず、二人ともに青天の霹靂だったのである。
ともあれ二人はこうして結ばれたのだが、その影響が思わぬ処にまで波及した。
シドがハイファの想いに応えて抱いた途端に、ハイファはそれまでのような別室任務が遂行不可能になってしまったのだ。敵をタラしてもその先ができない、シド以外を受け付けない、シドとしかことに及べない体になってしまったのである。
何度も任務に失敗し、あわや別室をクビかというところを丁度その頃別室戦術コンが吐いた『昨今の事件傾向による恒常的警察力の必要性』なる御託宣が救った。
そうしてハイファはクビの代わりに惑星警察に出向という名目の左遷となり、本人には嬉しいシドとの二十四時間バディシステムが誕生したのだった。
シドにしても堕ちてしまった以上はハイファが他人を抱き、また抱かれるのは当然ながら悔しくも辛かった。
故にハイファの左遷バンザイ渡りに舟だったのである。
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