第2話

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第2話

 運転しながらもチラリと霧島の怜悧さすら感じさせる端正な顔を窺う。目を瞑った今は出来のいい眠り人形のようだった。  喩え奇人・変人でも中身の出来は抜群に良くて、最難関の国家公務員総合職試験を突破したキャリアであるために二十八歳の若さで警視の階級にあり、機動捜査隊・通称機捜の隊長を拝命しているのだ。  それだけではない。先程は悪性の風邪のせいで空振りしていたが、あらゆる武道の全国大会で優勝を飾っている猛者でもある。まさに眉目秀麗・文武両道を地でゆく男だった。  おまけに巨大総合商社・霧島カンパニー会長御曹司でもあった。故に警察を辞めた日には霧島カンパニー本社社長の椅子が待っているのだが、本人は現場のノンキャリア組を背負うことを至上とし、辞めるつもりは欠片もないらしい。  それどころか実父の会長をクソ親父呼ばわりし毛嫌いしている。京哉の方が会長を御前と呼び親しんでいるくらいだ。  とにかくこれだけ揃えば女性の興味を引くには充分だろう。事実『県警本部版・抱かれたい男ランキング』ではここ数期連続トップを独走している。だが本人は全く隠す気もない同性愛者なので、お蔭で京哉はやや安心していられるのだ。  ともかく京哉は運転に支障がない程度に霧島の寝顔を鑑賞し続けた。毎日一緒に眠っているのに見飽きることなく様子を窺っては微笑む。 「京哉、あまり私を見るな。機捜隊員が事故ったら洒落にならん」 「あ、はい。起きていたんですね。眠れませんか?」 「風邪だからといって、させてくれなかっただろう。お預けを食ったお蔭で昨夜はしこたま寝たからな」 「だって熱まであったから。完全に治るまではさせません」 「私の妻なら熱冷ましに協力してくれてもいいと思うのだがな」 「いい加減な民間伝承を楯に屁理屈こいても、だめなものはだめです」  少々拗ねて霧島は再び寝たふりをした。そうしながらも四歳年下の恋人が幸せそうに笑っていて結構なことだと思う。  高二の冬に女手ひとつで育ててくれた母親を犯罪被害者として亡くし、天涯孤独の身となって大学進学を諦め、警察学校を受験し合格して入校したのは良かったが、それでもなお京哉の不幸は続いたのである。  抜きんでた射撃の腕に目を付けられ、与党重鎮と警察庁(サッチョウ)上層部の一部に霧島カンパニーがつるんで組織した暗殺肯定派に陥れられ、本業の警察官をする傍ら五年間も政敵や産業スパイを暗殺するスナイパーとして嵌められていたのだ。  だがこの自分と出会って心を決めスナイパー引退宣言をしてくれた。  しかしあっさり引退させて貰えると京哉自身も思っておらず、『知りすぎた男』として自分も暗殺されると予測し覚悟を決めた上で引退宣言していたのである。  そして京哉は自ら出向き、予定通りに殺されるつもりで複数の銃口の前に立った。  数秒、遅れていたら京哉はこの世にいなかっただろう。だが間一髪で霧島が部下を率いてなだれ込み京哉を助けることができた。  更には分かっていたことだが現場が霧島カンパニー白藤支社の持ちビル地下だったのも物議を醸した。メディアも先陣を切って踏み込んだ機捜隊長の霧島忍警視について様々な説を立てては無責任な報道合戦をしてくれた。  身内であろうと検挙のために踏み込む正義漢、身内を臨場させて手心を加える警察の出来レース、など。  京哉の命を救うことと、ガサ令状(フダ)なしでも踏み込める千載一遇のチャンスを逃したくなかった霧島本人は、ある計画と警察官としての存在意義に則って動いただけなのだが、霧島カンパニー次期本社社長と目される身は何かにつけて派手なのだ。  何れにせよどんな横やりも入れられたくなかった霧島は隠密作戦で機捜だけを動かし、京哉の救出に動いた。だが霧島一人で為せたことではない。  正義も不正もなく、ただ霧島に同調してくれた部下の機捜隊員たちも同じく警察官としての存在意義を懸けて動いたからこそ京哉もこうして生きているのだ。  そのガサ入れの後に霧島は職権濫用を理由に異例とも云える厳しい懲戒処分を食らったが、京哉の命に代えられない上に何ひとつ後ろめたいことはしていないので後悔は全くしていない。  だから普通なら懲戒を食らうと以降の昇任が事実上不可能となるので誰もが依願退職するが、霧島は粛々と処分を受け警察を辞めなかった。  他にも辞めなかった理由がある。京哉が暗殺スナイプする現場を偶然見てしまって以来、霧島は暗殺肯定派の一斉検挙を目論んで独り密かにプランを立て、様々に変化する要因をも全て計算して綿密な計画を実行中だったのだ。  イレギュラーな要素が満載だったにも関わらず、霧島は見事に計画成功に持ち込んだ。京哉が捕まると拙いので関係者の罪状は『汚職』にせざるを得なかったが、最終的には警視庁を動かし与党議員やサッチョウの幹部まで検挙させるに至った。  つまり当時の本部長が暗殺肯定派だったため八つ当たり的に厳しい処分を食らうことすら計算の一要素に過ぎず、警察機構に残ったのは暗殺肯定派の一斉検挙及び県警本部長の実質的な辞任と新本部長に暗殺反対派の人物を迎えるという、己の描いたシナリオを内側から見守るためでもあったのだ。  しかしあの一連の流れが霧島の描いたシナリオ通りだったという事実を知る者は非常に少ない。直接的・間接的問わず動かした人物はサッチョウの監察官室に所属する特別監察チームの人間や警視庁の公安警察に捜査二課や機動隊、各本部の組織犯罪対策本部の薬銃課や、結果としてサッチョウ長官まで動いたと思われる。  その一連のシナリオが霧島の目論見だと見破ったのは京哉だけだ。  ともかくその件で霧島カンパニーはメディアに叩かれ、株価が大暴落して窮地に立たされたが、何とか数ヶ月間をしのいで現在は持ち直し、却って上昇傾向にあった。  ある意味、禊を済ませた霧島カンパニー自体はいいとして、霧島会長の裏の悪事の証拠さえ掴めたら逮捕も辞さないと霧島は息巻いているものの、霧島会長はその上を行く狸である。  そして秘されたと云えば鳴海京哉というスナイパーの存在は警察の総力を以て隠蔽された。  けれど京哉自身は自分が撃ち砕いてきた人々を忘れられないという。それにスナイパーだった経験を買われて京哉は県警本部長直々にスペシャル・アサルト・チーム、いわゆるSAT(サット)に非常勤ながら狙撃班員として任命されていた。  嫌ならトリガを引かなければいいのだ。逆を言えば必要な時にトリガを引けない人間はSATに必要ない。故に拒否することもできたであろうに、必要な人間がいないから埋めてくれと乞われて京哉は受けた。  わざわざ本部長に対し『必要なら貴方だって撃てる』とまで宣言し、今後もトリガを引き続けることを選んだ。  そんな京哉は己の意志で撃った時はともかく、命令されて殺した時はPTSDで直後に酷い高熱を発する。暗殺スナイプで心の一部が壊れてしまったほど傷ついていても、スナイピングは誰にでもできることではない。  だからこそやれる者がやるしかなく、それを承知している京哉自身が受けるのだ。  心が壊れかけても必要なら撃てる。霧島は自分にはない強さだと思う。  京哉がそういう男だからこそ自分は惚れたのだろう。憧れたと言っていいかも知れない。一生涯のパートナーとして二人で誓いを立て、また相棒(バディ)として二人で何もかも背負ってゆく覚悟はできている。  この先の一生、どんなものでも一緒に見てゆくと誓い合ったのだ。  霧島は自分と京哉の左薬指に嵌ったペアリングを確かめ、また目を瞑った。
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