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第46話
薬剤で意識を落とされていた京哉は撃たれた日の翌々日の昼に目を覚ました。予告されていたので霧島はその時をじっと傍で待ち続けた。吐息が掛かるほど近くで覗き込んでいると、瞼が震えて光を怖がるように少しずつ瞑った目が開けられた。
現れた黒い瞳が彷徨い灰色の目を捉えると、やっと安堵の色が浮かぶ。
「京哉、分かるな?」
「はい。おはようございます、忍さん」
「おはよう。気分はどうだ?」
「うーん、まだ起きてみないと……」
傷の具合を診ていた医師が頷いた。
「動脈を弾が掠ったとは思えないくらい奇跡的な回復力ですね。傷痕も綺麗ですよ。これなら予定通りに一週間で抜糸できるでしょう。シャワーも浴びていいですよ。但し左腕はあまり動かさないように。あと、過激な運動だけは控えて下さい」
そう言って医師は傷痕に防水ガーゼを貼り付け看護師二人と病室を出て行った。
ベッドから降りるときに京哉は少しふらつき、霧島がすかさず手を貸す。
「うっ、背中と腰、痛いかも」
「思い切りぶつけた上に、肩甲骨にはヒビだからな。痛みには薬を投与すると院長が言っていた。たぶん昼飯のあとで出るだろう。それまでの辛抱だ」
「うん。立っちゃうと楽かも。ここ、街の軍病院ですよね?」
「向こうは医務室に何もなくて応急処置と点滴に輸血だけしかできなかったからな」
「輸血って、血を?」
「ああ。私とハミッシュだけ血液型が適合したがハミッシュは撃たれたばかり、結局は私だけだ。六百五十ミリリットル、まだお前の躰の中を回っているぞ」
「忍さんの血が、僕の中に……六百五十ミリリットルも」
「以前お前も私にくれただろう、その礼だが……おい、何故そこで赤くなるんだ?」
何故か京哉自身も分からないまま、頬に血が上るのを抑えられずに逃げた。
「シャワー、浴びてきますっ!」
首を捻りながら霧島は立ってドアをロックしに行く。医師や看護師は勿論出入り可能だが、ワンクッションあると心の準備ができるからだ。
気付いてショルダーバッグから京哉の替えの下着を出した。患者用のぺらぺらガウンと下着を一緒にしてバスルーム前の洗濯乾燥機の上に置いてやる。
一方の京哉はシャワーを浴びながら火照った頬と脈の速さに困惑していた。
つまり平たく云えば『自分の体内に霧島がいる』というイメージからの下半身思考であり、血まで分け与えてくれた霧島に対する想いが一層募ったということなのだが、何せ起きたら違う場所に違う状況だ、論理的な説明を見いだせない。
困ったままで湯を浴びて備え付けのシャンプーとボディソープで全身洗ってすっきりし、バスルームを出て布で拭う頃にはまあいいやという気分になっている。
病室に出て行くと霧島を右腕だけで抱き締めた。霧島は長身を屈めてソフトキスをしてくれる。そして少し離れて年上の愛し人を見ると途端に心配になった。
「忍さん、顔色が悪いですよ。僕に沢山、血をくれたから……」
「大丈夫だ、体重から割り出した許容値だからな。却ってすっきりした、問題ない」
「そんな……寝るか座るかしてて下さいよ」
「お前が怪我人なんだぞ。って、まあ、一緒に座るか」
ソファに向かい合って座り霧島が携帯を見る。十二時、もうすぐ昼食だ。そう思った矢先にドア脇の出し入れ口が音を立てた。霧島が立って両手にひとつずつトレイを持って運ぶ。錠剤が載っている方のトレイを京哉の前に置いた。
「食欲はどうだ?」
「ん、結構食べられそうかも。頂きます」
二人で食事を始める。メニューは野菜と豆のシチューに黒っぽく固いパンと加工肉のソテーに、くし形に切ったオレンジだ。
ゆっくり二人で食うと、なかなか旨いと思いながら霧島が切り出す。
「食ってからでいいんだが、一ノ瀬本部長に報告せんとな」
「そういや僕、状況が分からないんですけど」
「それもそうか。ダーマーはプラーグから撤退。ハミッシュが交渉してレアメタル採掘に関する税率の引き下げを条件に残りの二社が発電所を買い上げ。ジョセ曰くハミッシュたちが武器を持った事実は上手く省いて欲しいということだ」
ちぎったパンを咀嚼して飲み込んだ京哉は首を傾げた。
「報告はいいですがその流れでハミッシュたちの戦いを省く意味があるんですか?」
肉をフォークで突き刺した手を止めて霧島は京哉を見つめる。
「二度と持たないと誓った武器を取ったんだぞ、それも元の仲間と殺り合うために」
「でも彼らの選択した行動は先進諸国でも悪事で問題視されているダーマー工業を捩じ伏せた。同時にダーマーと通じていた急進派武装勢力のやり方は非道で卑怯、元仲間であっても現在の暫定政府と相容れないと断じて一掃する行動力を示した。おまけにその行動力に裏打ちされた交渉力で残った二社を頷かせたんでしょう?」
「まあ、そういうことだな」
「その何処が悪いのか僕は分からないんですけど。かなりの高得点と思うんだけどなあ。考えようによっては先進諸国を救ったことにもなる訳ですし。円卓に就いての先進諸国との話し合いでハミッシュ大統領率いる新政権は決して引けを取らないと思いますよ」
「なるほど。だがお前も言っていなかったか、内ゲバや内紛は拙いと。だからこそジョセから『絶対に言うな』と頼まれたのだと思うぞ」
スプーンでシチューをすくいながら京哉は首を横に振る。
「結果オーライですよ。大体、忍さんだって僕と同じことを考えてたんでしょう?」
指摘されて霧島はシャープな頬に笑みを浮かべた。
「ああ、そうだな。お前も同じ意見かどうか知りたかっただけだ」
「相変わらず人が悪いんですから、もう」
「人が悪いと言えば、円卓に就く相手がクリーン過ぎるのも先進諸国は嫌う傾向にあるからな。黒い話のひとつやふたつ議題にできなければ渡り合えん」
「ふうん、そんなものなんですか。確かに遥か彼方から降ってくる特別任務もロクなものじゃありませんしね。じゃあ意見は一致ということで報告して下さい」
「分かった。上手く文面は練るから、まあ見ていろ」
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