Prelude

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 ――音楽はくすりになるのよ。誰かを癒すくすりに。  生前、母さんはよくこの言葉を僕に浴びせた。  確かに母さんのピアノはとても優しくて丁寧で、聴いている者全員が幸せになるような音色だった。赤ん坊の頃、夜中に泣き叫ぶ僕も母さんのピアノを聴けば静かになったそうな。この話は父から耳にたこができるほど聞いた。  今、居間を流れているのはベートーベンの悲愴の第二楽章だった。  母さんが生きていたときに録音されたCD。今時CDなんて古いかもしれないけれど、母さんの音を聴けるのはCDだけだった。父さんが買った、無駄に高いオーディオで再生されているから音質だけはよかった。  でも、これは母さんの音ではない。やっぱり録音は録音に過ぎない。僕が何度も救われた母さんのピアノはもっと煌びやかで繊細で、温かかった。  テストでうまくいかなかった時、お気に入りの時計が壊れた時、仲の良い友人が転校してしまった時、いつも僕を慰めてくれたのは母さんのピアノだった。どんな言葉よりも僕の心は安らいだ。  母さんのピアノは僕にとってまさしく「くすり」だった。  でも薬は摂りすぎると毒になる。  母さんにとって、母さんのピアノは「どく」だった。母さんは毎日ピアノを弾いていた。毎日毎日毎日、起きている時はほとんどずっと。それこそ精神を削るまで。    母さんはピアノを弾くのが大好きだったらしい。自分のために始めたピアノ、それはそれは楽しかったらしい。  ――母さんがピアニストになるまでは。  詳しくは知らないのだけれど、あんなに大好きだったピアノが職業になった途端に苦痛になったそうだ。生きるための手段になった瞬間、ピアノは母さんにとっての娯楽ではなくなったらしい。  ――毎日練習することより、ピアノを一瞬でも苦痛に感じたという事実が一番ショックだったの。  死ぬ数日前、珍しくワインを飲んだ母さんは静かにそう溢してそのまま寝潰れた。  僕はその横でひたすらバイオリンを奏で続けた。母さんが悪い夢を見ないように。せめて、夢の中では楽しくピアノが弾けるように。僕の音楽が母さんのくすりになるように。  そんなのは妄想でしかなかった。結局、僕が一番救いたかった人は、救うことができなかった。僕の音楽は母さんのくすりになれなかった。  そのあとからだった。僕がバイオリニストとしてコンサートをするようになったのは。ただ母さんが死んでどうすれば良いかわからなかったのかもしれない。理解ある母さんが死んで、僕には酒飲みの父とバイオリンしか残らなかったから。  コンサートを重ねていくうちに、僕の音楽は人を癒す力があると有名になった。母さん一人癒せなかったのに。とんだ皮肉だ。  でも、誰かのくすりになれるなら僕はバイオリンを弾き続ける。  ――音楽はくすりになるのよ。  母さんの言葉が確かに僕の中で息巻いていた。
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