1人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
Interlude
「エゴサ」というものをしてみる。エゴサーチ、つまり自分で自分のことを調べることを指すらしい。
というわけで僕は動画投稿サイトで僕の名前を検索する。
一秒もしないうちに僕がバイオリンを弾いている姿がいくつも表示された。父さんが勝手に僕のコンサートを録画して投稿しているのだ。この前広告収入がうんたらかんたらと言っていたから、少しは儲かっているのかもしれない。全て酒に充てられたのだろうけれど。
適当に一番上にあった動画をクリックする。小さな画面の中で僕がバイオリンを弾いていた。そんなのはどうでもいい。音量をミュートにして僕はコメント欄を見て回る。これがエゴサだ。
コメント欄には匿名ということもあってみなが思い思いのことを書いていた。
――穏やかな音に癒されました。応援しています。
――これで十五歳!?
――何食ったんだらこんな演奏ができるんだろう。
――この音楽を聴いていたら幸せになれる。
みたいな温かなものもあれば、
――どうせ中学校も大して行ってないんだろ?
――○○の方が上手い。この人にお金を払う奴の気が知れない。
――これで幸せになるやついるのか?
――コンクールにほとんど出てないってことはその程度の実力なんだろうな。
みたいな誹謗中傷に近いものもある。別に僕は傷つかない。それで傷つくくらいなら音楽はもうやめているし、エゴサだってしない。
コーヒーを飲みながら画面をスクロールしていく。ただの文字の羅列をへぇと思いながら眺めていく。ネットって面白いなとさえ思えてくる。これ、匿名じゃなかったらみんなどんなことを書くんだろう。
ふとスクロールする手を止める。
――私はこの人がバイオリンを弾くことを幸せに感じてほしいと思った。
珍しく誹謗中傷でも根っからの賛辞でもないコメント。ただ、僕に宛てられた感想。
僕はバイオリンを弾くことを幸せに感じているはずだ。だから、バイオリニストになった。それなのに、このコメントは一体どういうことだろう。
ネット上のコメントに一々反応していられないが、これはどうしてか僕の目に留まり、脳裏にも焼き付いた。
――僕はバイオリンを弾くことが幸せだと感じることができているのだろうか。バイオリンを弾くことは、僕のくすりとなっているのだろうか。
……母さんみたいに、どくになってはいやしないか。
感情の行き場を見失ってどうしようもなくなった僕はバイオリンを弾いた。
母さんのグランドピアノの横で、ただ淡々と。
最初のコメントを投稿しよう!