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第1話
「惑星警察だ、武器を捨てて両手を頭の上で組め!」
という大喝の半分も言い終えぬうちに、大出力レーザーがシドの頭を薙いだ。危うく相棒のハイファと共に『梅干し本舗・紀州屋』の半ば閉まりかけたシャッターの陰に飛び込む。
「ちょ、シド、大丈夫?」
「大丈夫じゃねぇよ! 髪が焦げた、これでも頭髪量を気にするお年頃なんだぞ!」
「貴方、男性ホルモン出過ぎだもんね」
「くそう、ハゲたら二十年は掛かる裁判起こして、むしり取ってやる!」
唸りつつも漂う梅干しの匂いに酸っぱいもの嫌いのシドは顔をしかめた。
その間も前方のATMコーナーからはレーザーがバリバリと降り注いでくる。リアルマネーなど入っていない機器をダマくらかしてクレジットを盗もうとしたケチな二人組は、シドとハイファに見つかり居直って、こそ泥からたった今、強盗に変身したのだ。
「あのー、出て貰わないと店、閉められないんですが」
キモノ風の制服を着た梅干し屋のバイトがせっつく。
「もうちょっと待っとけ! ハイファ、やるぞ」
「あっ、待って。そこの人、これ持っててくれる?」
買い物袋を梅干し屋のバイトに預けて「割れ物注意だからね」と念を押した。卵と豆腐が入っているのだ。それからやっと銃を手にしてシドに合図する。
「準備よーし。いつでも」
「俺が先に出る。……三、二、一、ファイア!」
愛銃を手に躍り出たシドはATMの透明な壁越しに銃弾を叩き込んだ。速射で放った二発は狙いたがわず一人の男の右腕に着弾。腕はレーザーガンを握ったままゴトリと地に落ちる。
一方のハイファはそこまで優しくはない、こちらも同時に撃ち込んだダブルタップは、もう一人の男の腹を目茶苦茶にしていた。
「ハイファ、リモータ発振で署に同報、及び救急要請」
「アイ・サー」
左手首に嵌めた輪っか、マルチコミュニケータのリモータでハイファは緊急機と救急機を呼ぶ。それが終わるとバイトから買い物袋を取り戻し、シドとともに梅干し屋から出た。
背後でガラガラピシャンとシャッターが閉まる。
ここは地下ショッピングモールのプロムナードである。辺りは悲鳴と野次馬のざわめき、我が身に異変ありと騒ぐATMのブザーで大した盛り上がりだった。
血だらけのATMにシドは踏み込み、ベルトの後ろに着けたリングから捕縛用の樹脂製結束バンドを抜き出すと、泡を吹いて気絶している男の腕を絞め上げ止血処置する。腹に風穴の空いた男は救急がくるまで放っておくしかない。
それだけ終えるとATMの傍のベンチにハイファと並んで腰を下ろした。二人同時に自分のリモータを見る。十九時十八分だった。署を出たのは定時の十七時半だ。
揃って溜息をついたのちハイファが尖った声を出す。
「シド、いい加減にしないと晩ご飯が遅くなるからね。タマもお腹空かせるし」
「俺のせいみたいに言うんじゃねぇよ」
「だって署を出てひったくりに置き引き、喧嘩の仲裁にこのタタキで四件目だよ?」
「だから俺がやってる訳じゃねぇって何度言えば分かるんだよ!」
シドの目が険しくなったが、ハイファの愚痴は止まらない。
「昼間だって宝飾店と合法ドラッグ店のタタキを連続狙撃逮捕、AD世紀から三千年の宇宙時代に、それも汎銀河一の治安の良さを誇るこの地球本星セントラルエリアでありえないって、ヴィンティス課長が泣いてたじゃない」
「そいつは俺のせいか? 組んで一年半、バディのお前が一番知ってるだろうが!」
「出会って八年半の付き合いで知ってるから言ってるの、イヴェントストライカ」
さらりと言ってハイファはシドを見つめた。
シドこと若宮志度、惑星警察刑事である。その名の通り三千年前の大陸大改造計画以前に存在した旧東洋の島国出身者の末裔で、前髪が長めの艶やかな髪も切れ長の目も黒い。
身に着けているのは綿のシャツとコットンパンツというラフなものだが、上から羽織ったチャコールグレイで裾が長めのジャケットは六十万クレジットという高額特殊アイテムだ。
これは挟まれた特殊ゲルによって余程の至近距離でもなければ四十五口径弾をぶち込まれても打撲程度で済ませ、生地はレーザーの射線もある程度弾くシールドファイバ製の対衝撃ジャケットである。もう何度も命を拾っていて、外出時には欠かせないシドの制服だった。
そんなものを着て歩かなければならないくらいにクリティカルな日々を送る『イヴェントストライカ』であるが、いかつい強面ではなく造作は極めて整い端正だ。
不機嫌のオーラを発しながらも常のポーカーフェイスを崩さない、この完全ストレート性癖だった男を、七年間もの片想いをようやく実らせハイファが堕としたのは約一年半前のことだった。
今では指にお揃いのリングまで光っていて、つい今し方文句を垂れたばかりだというのに勝手に頬が緩んでしまう。にこにこ。
片やシドは嫌味な仇名を口にしたハイファを睨みつけた。
ハイファことハイファス=ファサルート、こちらも勿論惑星警察刑事だ。背こそ低くないが華奢に見えるほど躰は細く薄い。ドレスシャツとソフトスーツを身に着けている。タイは締めていない。
シャギーを入れた明るい金髪は後ろ髪だけ長く、うなじ辺りで縛ってしっぽにしていた。さらさらのしっぽの先は背の半ばまで届いている。瞳は優しげな若草色だ。
七年来の親友だったこの男にうっかり堕ちてしまったのは不覚だったが、そのノーブルな微笑みは神をも堕とす勢いで文句なく美人である。
だが女性と見紛うほどのなよやかな外見にも関わらず、性格はノンバイナリー寄りでありながら一癖ある薄愛主義者で、そもそも本業はテラ連邦軍人なのだ。一年半前から惑星警察に出向中の身の上だった。
そしてテラ連邦軍に於いては中央情報局第二部別室という、一般人には殆ど名称すら知られていない部署に所属している。
中央情報局第二部別室、その存在を知る者は単に別室と呼ぶ。
別室は、あまたのテラ系星系を統括するテラ連邦議会を裏から支える存在で、『巨大テラ連邦の利のために』を合い言葉に、目的を達するためなら喩え非合法な手段であってもためらいなく執る超法規的スパイの実働部隊であった。
そんな所でハイファが何をしていたかといえば、やはりスパイだった。
宇宙を駆け巡るスパイだったハイファは、バイである身とミテクレとを武器に、敵をタラしては情報を分捕るといった、なかなかにエグい手法ながらまさにカラダを張って任務をこなしていたのだ。
だが七年もの想いの蓄積故か、約一年半前にシドと結ばれた途端、突如としてそれまでのような任務が遂行不可能になった。敵をタラしてもその先ができない、平たく云えばシド以外を受け付けない、シドとしかことに及べない躰になってしまったというのである。
使えなくなったハイファは丁度その頃別室戦術コンが吐いた御託宣、『昨今の事件傾向による恒常的警察力の必要性』なるものに従って惑星警察に出向という名目の左遷となり、シドとの公私に渡る二十四時間バディシステムが出来上がったのだった。
しかし別室は出向させても放っておいてくれるようなスイートな機関ではなく未だに任務を振ってくる。そしてそれは統括機関の違いをものともせず、今ではシドにまで名指しで降ってくるのである――。
「あ、銀行のセキュリティだ」
ハイファの視線をシドも追う。専用の入り口があるほど広いとはいえ地下プロムナード、やや遠慮がちにサイレンを鳴らして近づいてくるBELには警備会社のロゴが入っていた。BELは反重力装置を備えた垂直離着陸機で、小さめのデルタ翼がついている。
「一番乗りが民間とはな」
「民間は何処もキビシイからねえ」
降りてきた警備員らに指示を出しているうちに署からの緊急機も現着した。
ランディングした緊急機から降機したのはシドとハイファの同輩、太陽系広域惑星警察セントラル地方七分署・刑事部機動捜査課の深夜番と鑑識の一団である。
「課業終了後たった一時間四十五分で三度目の同報ありがとうございます。これはこれは大変にイヴェントストライカらしい現場ですね。お蔭で深夜番も飽きません」
涼しげに言ったのはマイヤー警部補で広域惑星警察大学校・通称ポリスアカデミーでのシドの先輩だ。血に染まったATMのボックスを感慨深げに眺めている。
「こいつは酷いっスね。シド先輩、イヴェントストライカ大炸裂じゃ……うぐっ!」
デカい声で仇名を叫んだ後輩ヤマサキにシドは膝蹴りを入れた。
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