第4話

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第4話

 思い起こせば八年半前、二人の出会いとなった戦技競技会でのことだった。  共に十六歳だったシドとハイファは、統括組織も違うのに敷地が隣というだけで毎年行われる、ポリアカ初期生とテラ連邦軍部内幹部候補生の対抗戦技競技会で動標部門にエントリーし、戦競の歴史に残る熾烈な争いを演じた。  二人の争いはレーザーハンドガンでは決着がつかず、有反動・パウダーカートリッジ式の旧式銃までが持ち出され、それすら二百発を超えるに至る。  そしてふいにハイファが大きく的を外した。勿論ワザとである。  勝ちを譲られ、勝手に勝負を降りられてシドが喜ぶ筈もない。食ってかかったシドに対しにこにこ笑いながらハイファは筋肉疲労で震える手を差し出し握手を求め、衆目を集めた上で言い放ったのだ、『惚れたから負け』と。  周囲は呆気にとられた。シド本人も例外ではなかった。唖然としたシドにハイファはそのまま抱きついて、ディープキスをかましたのだった。当時ウブだったシドは、柔らかな舌で口の中と思考を掻き回されて真っ白になった。  だが囃し立てるギャラリーの声で我に返り、会心の回し蹴りでその場の決着はつけた。ハイファは笑顔のままぶっ倒れた。  しかしそれで終わりとはいかなかったのである。  夜の部の打ち上げでシドは先輩たち(代表・当時マイヤー巡査長)にしこたま呑まされ『あんな美人に告られっ放しか?』と煽られたらしい。シドは『いいや、男がすたる!』と言ったらしい。勢いで軍の隊舎まで押しかけたらしい。  そしてあろうことかハイファを押し倒してヤってしまったらしいのだ。  そんなことまでしでかしておきながら、シドは何も覚えてはいなかったのである。  起きてみれば見知らぬ部屋でひとつベッドに一糸まとわぬ男が二人だ。シドは激しく勘違いをした。当時バイでタチだという噂のあったハイファに逆に自分がヤラれたのだと思い込み、何とそのまま七年の歳月が流れてしまったのである。  全ては一年半前に二人がちゃんと結ばれた際に明らかになってシドは仰天したのだが、ハイファはシドの親友の座を勝ち取るまで長い間苦労をし、シドは二度と失敗するものかと心に決めたあの夜以来、酔うことはなくなったのだった。  思い出話をしつつプレートを綺麗にしてしまうと、シドが後片付けを申し出た。 「お前はリフレッシャでも浴びてこい」 「じゃあ、お願いしちゃおうかな」 「磨いてこいよ」  耳許で囁かれ、ハイファは酔いだけではなく顔に血が上るのを感じ、そそくさとシドの部屋を出て自室に一時帰宅した。  残ったシドは食器を洗浄機に放り込んでテーブルを拭きコーヒーメーカをセットしてからバスルームに向かう。ポイポイと脱いだ服をダートレス――オートクリーニングマシン――に入れてボタンを押し、バスルームで頭からリフレッシャを浴びた。  温かな洗浄液で黒髪からつま先まで丁寧に洗い、熱めの湯で洗浄液を洗い流す。バスルームをドライモードにし全身を乾かしてバスタイムは完了だ。  寝室で下着とグレイッシュホワイトのパジャマを身に着けて出て行くと、もうハイファは戻ってきていた。キッチンと続き間のリビングで定位置の二人掛けソファに腰掛け、愛銃の分解清掃にいそしんでいる。オイルの匂いが漂っていた。  シドと色違いお揃いの紺のパジャマの背に解かれた長い金髪が流れている。 「コーヒー、先に貰ってるよ。って、貴方ちゃんと髪、乾かしたの?」 「寝るまでには乾くからいい」 「風邪引いても知らないからね。それと、もう終わるから煙草は少し待って」  頷いたシドは自分のマグカップにコーヒーを注ぎブランデーを垂らすと、定位置であるハイファの向かい、ロウテーブルを挟んだ一人掛けソファに腰を下ろす。  丁度手入れも終わったらしく、ハイファが愛銃をホルスタに仕舞うのを目にして、シドは煙草を咥えて火を点けた。手を洗ってきたハイファがソファに着地するなり、今度はその左手首が震え出す。リモータ発振だ。なかなかに忙しい。 「こんな時間に何処からだ?」 「ええと、FCから。決裁書類の催促と……これ」  見せられた小さな画面をシドは覗き込む。そこには意外な事実が書かれていた。 【スズモト製鋼及び(ディン)資源公司(コンス)の本社代表取締役専務が誘拐された模様 ――FC情報部門】  重大ニュースを独自ルートで入手すると、こうして知らせてくるのだ。しかし。  スズモト製鋼株式会社もディン資源公司も、このテラ本星セントラルエリアに本社を置く巨大企業である。それらの役員が誘拐されたなどという通報は、一分署から八分署まであるセントラルの何処の署にも入ってはいない筈だった。少なくともシドは耳にしていない。 「どういうことなんだ?」  顔を上げたシドはポーカーフェイスにも切れ長の目に煌めきを湛えている。ハイファは自分好みの刑事の表情にぞくりとしつつ、何気ない風に口を開いた。 「一応、僕にも注意喚起ってとこじゃない?」 「そいつは俺にも分かるが、スズモトとディンは――」 「それなりの大会社ともなれば役員が略取誘拐のリスクを背負うのは当たり前だし、でも本当に誘拐されちゃったら危機管理能力を疑われて、それこそ株価まで下がっちゃう。だから表沙汰にはしないことが殆どなんだよ」 「表沙汰にしねぇって……あっさりカネ払っちまうのかよ?」  そこに犯罪があるのにうやむやにされてしまうのがシドには悔しいのだ。それはハイファも分かっていたが、まんざら他人事でもないので肩を竦める。 「僕にだって誘拐保険くらいは掛けられてると思うよ」  それだけ言ってリモータ操作を始めた。暫くサボっていたら百近い数の書類が溜まってしまっていて驚く。せっせとハイファは署名しシドは咥え煙草で考えに耽った。 「さてと、終わった。九十二枚も溜まって……って、シド、何それっ!」  気付くとシドの膝にはタマが乗っており、野生のケダモノと戯れたシドの右手は流血の大惨事になっていたのである。 「シドに何すんのサ、このバカ猫!」 「やめろ、ハイファ! 猫のスプレッドは見たくねぇっ!」  テミスコピーを抜き出したハイファをシドは慌てて止めた。驚いてタマが床に飛び降り逃げる。ハイファはシドの右手を掴むと寝室に連行した。  ベッドに腰掛けさせておいてファーストエイドキットを出し、手当てに取りかかる。生温かい滅菌ジェルをかけ、乾くのを待ってから合成蛋白スプレーを吹きかけた。  手を振って乾かすシドにハイファは唇を尖らせて言う。 「子供じゃないんだから、いい加減にしてよね」 「あのヤクザ猫がだな……」 「脳ミソがつるんつるんの猫と同列に喧嘩してどうするんですか。ったく、銃を扱う大事な右手を、この人はもう!」  半ば呆れながらもハイファはシドの右手を取り、唇を押し当てる。だが逆に手首を掴まれて引き寄せられた。ベッドに腰掛けたままのシドはハイファの胸に顔を埋める形となる。 「ハイファ……なあ、いいだろ?」  躰を伝わって響いた愛し人の甘え声に、ハイファは素直に頷いた。
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