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第11話
薬学部棟に辿り着くと入り口は正面エントランスと、建物両端にある非常階段の三ヶ所だった。開け放たれたエントランスからは、講義が終わったばかりなのか学生が溢れ出している。
一団が散ってゆくのを待って二人は薬学部棟に入り、階段で五階に上がった。
「P5……あった。結構広いんですね」
ドア口から覗いた教室は演壇が低く、学生の席が階段になっているすり鉢状の教室だった。今はまだ休憩時間でガランとしており、どの程度埋まるのかは量れない。
大学に縁のなかった京哉は物珍しさで暫し眺めてから廊下に戻る。
「九十分の前に一服させて下さい。非常階段の踊り場にも灰皿があった筈ですから」
「その目敏さでランディ=フォードも見つけてくれ」
廊下の端から非常階段に繋がるドアを出ると踊り場で数人の男女が飲料を片手に煙草を吸っていた。設置してあった自販機で霧島がホットの缶コーヒーを一本買う。
二人で交互に飲みながら京哉は早速の煙草タイムだ。ここで霧島もヒマ潰しに京哉から一本貰ってオイルライターで火を点けて貰う。元々大学時代までは喫煙者だったのだ。お蔭で今でも割と寛容である。
学生たちはラフなセーターにジーンズからスーツの者など様々で、これなら自分たちも浮かないだろうと思った霧島は甘かった。
京哉は敢えて言わなかったが、人目を惹きつけるほど端正な顔立ちをして図体は飛び抜けてデカく、格好は経済ヤクザだ。これで目立たない方がおかしい。
だが目立っているのは霧島だけでなく京哉も同様のようである。同性カップルがありふれている昨今であっても二人揃うと目立つこと請け合いで、そこに一本の缶コーヒーを分け合う親密さとペアリングがプラスされると、いつでも何処でも結構な話題提供者になってしまう。
だが本人たちにも、どうしようもない。
その場の全員が霧島と京哉をチラチラと見ては囁き合っていた。
「やはり学生にしては老けているだろうか?」
「まだ気にしてるんですか? そこがポイントじゃない気がしますけどね」
何れにせよ水族館の魚の気分で二人はランディ=フォードへの出方を相談する。
「せっかく同じ講義を取ってるんだから、まずはお友達作戦でいいですか?」
「以前にも言ったが、あくまで友達だぞ、友達」
「分かってますよ。でもアラキバ抵抗運動旅団の本拠地はテロ支援国家として名高いバルドールで、公用語は英語ですから忍さんに頑張って貰いますよ」
「喋るのは構わん。しかし私はお友達作戦に向いているような気がしないのだがな」
「丸投げはしません。相手は筋金入りのテロリスト、二人で牙城を崩さなきゃ」
ともかく方針が決まって煙草一本ずつを灰にした京哉と霧島は建物の中に入った。エアコンが利いているのでコートを脱ぐ。
すると霧島を二度見しない人間はいなくなったが、普段から知らない相手にも見られ慣れている本人はまるで無頓着だ。学生が吸い込まれていくP5教室にも当然のような顔をして踏み入る。
「まずランディ=フォードの近くの席を確保だな」
「お友達作戦開始ですね。まだ来て……いました、あの最後列です」
スナイパーの目を持つ京哉が先に見つけて霧島に囁いた。二人は何気ない素振りで階段を上がり、ランディ=フォードからひとつ空けた席に霧島、京哉の順で並んで腰掛ける。
目前の長机には一人一台のパソコンがあった。この辺りも結構なカネが掛かっていて上流階級者の子女御用達という設定がひしひしと伝わってくる。
誰も紙媒体のテキストなど持っていない。
そこで二人も本部長から預かったUSBフラッシュメモリを取り出した。
見下ろせば遠い演壇の横にホワイトボードと巨大ディスプレイがあり、せかせかと入ってきたスーツの男が準備に取り掛かっている。その男が講義をするのかと京哉が思っていたら次に仕立ての良いスーツを着た初老男が現れた。こちらが教授らしい。
パソコンに向かって学生の皆が一様にキィボードを操作し始める。そのタイミングを見計らい、霧島がUSBメモリを手にランディ=フォードに英語で話し掛けた。
「失礼。初めての講義なんだが、これ、どうするのか教えて貰えるか?」
突然訊かれて顔を向けたランディ=フォードは暗い目をしていた。翳りのある削げた頬を何ら動かさない無表情のまま、口元だけで抑揚のない英語を話す。
「ブートしてディスプレイ初期画面の指示通り出席にチェック、あとはテキストを見る。受講内容や音声を記録するなら、それも画面の指示に従う。これは自分の勝手」
「そうか、ありがとう」
霧島の礼も聞いているのかいないのか、ランディ=フォードは無言で前を向いてしまった。資料の写真よりも少し日焼けが褪せた男は友人が付近にいるでもなく、留学して間もないにしろフレンドリーなタイプには思えない。
尤も転戦に転戦を繰り広げるテロリスト集団アラキバ抵抗運動旅団員として武力闘争をする毎日から、こんな平和にいきなり身を浸しては馬鹿馬鹿しくもなるだろう。
チラリとこちらに向けた視線は氷を含んだようでキィボード操作も投げやりだ。
「落とし甲斐のありそうな相手だな」
「まあ、今日は最低でもあと一回、チャンスがありますからね」
囁き合っているうちに講義が始まる。マイクを通して細胞診断だの剖検だのという言葉が教室に流れる約九十分間、霧島は完全に耳を休めパソコンでオンライン麻雀に熱中した。ヒマは上手く潰せたがオーラスで親に放銃してしまい、悔いの残る結果となった。
やっと講義が終わると真面目に未知の言葉群を検索していた京哉と共に、十一時五十分から十三時までは昼休みである。二人は席を立ったランディ=フォードに合わせて腰を上げた。何気ない風を装いながらも京哉は率先してあとをついて行く。
ランディは薬学部棟を出て学生専用食堂のある三階建ての建物へと歩き出した。
珍しくハコテンで機嫌の良くない霧島は、京哉に対して一応アドヴァイスしておく。
「あまり急に近づきすぎると、あのタイプは警戒するぞ」
「分かってますけど、好奇心を振り翳せるのも最初だけじゃないですか」
確かにそう言えるが『お友達作戦』に向いていないと自覚のある霧島は、どうもあのランディの暗い目が気になっていた。幾ら興味のない相手でも普通は顔か顔の付近を見るものだ。だがランディはこちらの顔ではなく身体をぼんやり目に映していた。
そのランディ当人は白いシャツにジーンズ、上着は丈が長めの黒革のジャケットを羽織っている。他の人物と間違わぬよう黒髪を視界に入れながら霧島と京哉は学食へと足を踏み入れた。人の溢れる食堂内はかなりの騒がしさである。
二人はトレイを手に人を縫うようにして歩きながら、ターゲットと微妙な距離感を保ちつつ、現金と交換に適当なメニューのプレートを選んだ。そして次は思い切ってランディの向かい側に座る。だが気付いているだろうに相手は目も向けてこない。
食事も中盤で今度は京哉が口を開いた。勿論日本語でのチャレンジである。
「あのう、先程はどうも。僕が鳴海でこっちが霧島、社会人学生の三回生です」
「……三回生、ランディだ」
「ランディさんも次の免疫学、取ってますか?」
「ああ」
「そうですか」
とりつく島もないというのはこのことだ。さすがの京哉も引き下がって、プレートを空にする作業にいそしんだ。途中で出て行ったランディを追うことは敢えてしない。霧島の言う通りで、無闇に追い詰めても無駄に疑われるだけである。
がやがやと賑やかな中で食事を終えると学食を出て、小径沿いのベンチに二人は腰掛けた。哀れな依存症患者の煙草タイムである。青空に向かって京哉は至福の紫煙を吐いた。そんな京哉を眺めて霧島も幸せな気分に浸り、大欠伸をかます。
「ふあーあ。今日は顔見せというところだな。ランディは何処に住んでいるんだ?」
「そういえば訊くの忘れてました。本部長にメールして訊いてみますか?」
「二十四時間張れる訳でもないからいい。お前、惚れたふりでもしてみるか?」
「本気で言ってもいないクセに。もしかして忍さん、もう飽きてるとか?」
「ん、ああ、まあな。学生生活は現実だけで充分やったからな」
「てゆうか、特別任務に慣れ過ぎて平和じゃ物足りない体質になっちゃったとか?」
聞き流して霧島は再び大欠伸をかましながら、何もかも任せきったバディに訊いた。
「ふあーあ。それで次の免疫学は何処だ?」
「医学部棟の四階D4教室。医学部と合同みたいですね」
「まだ早いが移動するか。医学部棟の外の非常階段にも灰皿があったぞ」
「それはお気遣い頂いて、どうも。あと目的も忘れないで下さいね」
「分かっている。次のコマに出ていたら終わり次第、行確に入る」
行確とは行動確認で、つまり尾行だ。住所くらい知らないと話にならない。
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