第12話

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第12話

 煙草を消した京哉は霧島と一緒に歩き出した。  真冬とはいえ外は雲ひとつない青空で、九十分も教室でじっとしているのは勿体ないような日和に、霧島は大欠伸が止まらない。  医学部棟に着くと正面エントランスではなく非常階段から四階まで上がる。踊り場では薬学部と同じく十名前後の男女が飲料や携帯を手にし、煙草を吸っていた。  一旦ドアから廊下に入った霧島が眠気覚ましのホットコーヒーの缶を持って戻る。京哉は九十分を前に意地汚くチェーンスモークだ。ここに集まるメンバーは殆ど決まっているのか二人の闖入者にはまた、よそよそしくも好奇の目が注がれている。  意に介さず霧島と京哉は交互にコーヒーを飲んだ。霧島はそれでも眠気が振り払えず、京哉から再び煙草を貰って吸い始める。観察されてばかりでもなく灰を生産しながら霧島は男女比が殆ど同じの、まだあどけなさを残した学生たちを眺めた。  良家の子女が多いという話だったが彼らは至って普通だった。口々に他愛もないことを喋っては笑い合っている。少々五月蠅いくらいで、やはり皆、元気だ。全員が煙草を吸っている訳でもなく仲間に付き合っているらしい者もいた。  やがて予鈴が鳴って半数以上が煙草を消し、仲間と共にドアから建物に入って行った。霧島と京哉以外に残ったのは五名、男性三人に女性二人だ。途端に静かになる。  コーヒーを空にした京哉が霧島の腕をつついた。 「始まる前にお手洗いに行ってきます」 「そのまま席を取っておいてくれ」 「分かりました」  京哉から煙草のパッケージとオイルライターを投げられて左手だけで次々キャッチし、スーツのポケットに収めた。まだ火を点けたばかりの煙草を吸いながら霧島は踊り場の手すりに背を預ける。真冬の寒風が前髪を揺らした。少し離れた所で男女がまた喋り始める。  草色のワンピースを着た女性が重く溜息をつきながら暗い口調で言った。 「これでやっと一億八千万円、残り一億二千万円なんて、とても無理だわ」 「無理なんかじゃない、今までの苦労は何だったって言うんだ!」  背の高い男が身振りも大仰に声を張り上げ、次には低く続ける。 「あと三件、いや二件でカタをつけよう。それなりの獲物を見つけるから」  違う男が飲料に口をつけながら渋い顔をした。 「テルアキ、情報工学部のお前や薬学部のマリコはいいさ、寄付金名簿とにらめっこして獲物を見つけて道具を準備するだけなんだからな」 「段取りをつけるのに直接電話するのも記録が残る。それなりに危ない橋なんだぞ」 「俺よりマシだろ? 医学部ってだけで実働隊に回された俺の気持ちも考えてくれ」 「それはもう言わない約束だろう、ヒデトシ。お前も納得して協力したじゃないか」 「だからってジュンイチとヨシミはいい、自分がカジノでカモられて作った法外な借金だからな。けど俺はもう嫌だ。真っ平だよ。ジュンイチ、ヨシミ。次回からはお前ら二人でやってくれ」  小男のジュンイチと少々ふくよかなヨシミは黙って俯き、唇を噛んでいた。そこでリーダー格らしいテルアキが二人の肩を安心させるように軽く叩く。 「中等部からの仲間を裏切るつもりか、ヒデトシ。仲間同士助け合おうって決めたじゃないか。海外のカジノツアーだって皆で行ったんだろ、まさかヤクザの柏仁(はくじん)会が絡んでるとは知らずに。柏仁会ですら大誤算だったのに、運が悪すぎたよ」 「途中まではあんなに愉しかったのに、向こうのカジノを仕切ってるマフィアがテロリストの、それもアラキバ抵抗運動旅団なんかと繋がってたとは……くそっ、国際的なテロリストなんかに関わるなんて!」 「落ち着け、ヒデトシ。現実問題としてたまたまターゲットにされたのがジュンイチとヨシミだっただけだ。それにカモにされた二人とも、これもたまたま親の会社が経営不振で泣きつく訳にもいかないんだ。どれだけ困っているか考えてやれよ」 「そこまで言うなら親が国会議員のお前が親に泣きついて助けてやったらどうだ?」 「冗談言うな。そんなことをしたら、僕は家を勘当されるよ」  結局リーダー格でジュンイチとヨシミを庇うテルアキも自分が可愛いようだ。親にも内緒で友達同士、違法海外カジノツアーに出掛けたはいいがカモられたらしい。ヤクザやマフィアにテロリストまで絡んだ厄介事を親に告白する勇気はないのだろう。  そういった勇気はないが、ヒデトシはこのサークル内での自分の立場が相当不満で頑なになっている。どんな貧乏クジを引かされたのか。 「親に言ったら勘当されるのは俺もだ。だが当のジュンイチとヨシミは仕方ない。けれど俺ばっかり実動隊なのが嫌なんだよ。仲間を言い張るなら一度くらいテルアキもマリコも『寄付金の増額願い』に、直接お宅訪問してみたらどうなんだ?」 「僕たちだって捕まれば共同正犯なんだぞ」 「ほらみろ、そんな理屈をこねて、やっぱり現場は嫌なんだろう?」 「だからその話はもうした筈、適材適所ってことで――」 「俺があんなことに適してるとでも言うのか? ふざけないでくれ」  思わず零れた失言をテルアキは謝った。だがヒデトシは目に怒りを溜めたまま首を横に振る。頬をやや紅潮させてテルアキに食い下がった。 「お前も一度でも泣かれて縋りつかれて……三人がかりとはいえ、あんな切れ味の悪いもので刺して、直接あの血を浴びてみれば、俺の気持ちも分かるだろう。医学部の実習で慣れてるからって俺ばかり使わないでくれ。フェアじゃない」 「そう言わず頼む、ヒデトシ。ジュンイチとヨシミだけじゃ心許ない。分かるだろ、お前が上手くやってくれたお蔭で三件とも成功したんだ。あと二件、いや一件でも。それで暴力団やテロリストなんかに関わるのは終わりだ――」  ゆっくりと煙草を灰にしながら、霧島は頭の半分で冷静に彼らの話を分析し、残り半分では目が眩みそうな怒りを感じていた。  彼らの話では何処の国のカジノか分からないが、素人をカモにして億単位の借金を背負わせる辺りから、マフィアが経営して法外なレートで陥れる闇カジノだろう。  マフィアが饗する甘い毒のような娯楽に人々は群がる。  そこにアラキバ抵抗運動旅団が目をつけ、海外のマフィア及び日本の暴力団と手を組んだ。アラキバ抵抗運動旅団はこの青峰大学内で甘言に乗せてツアー客を募る。募ったツアー客のガイドはこの辺りに拠点を置く指定暴力団の柏仁会だ。  そして柏仁会の案内で海外のカジノに行ってみれば、マフィアが手ぐすね引いてカモを待ち構えている。  柏仁会と海外マフィアとアラキバ抵抗運動旅団は巻き上げたカネを何割かずつ取り分と決め、見た目が学生でも通るランディが回収人として青峰大学に潜ったのだ。  そんなツアーを直接ランディが企画したかどうかは定かではない。あれは饒舌なタイプに思えないので、他にも仲間がいるのかも知れなかった。  特別任務の完遂だけでなく連続強殺のホシまで確保できるという喜びなど霧島は微塵も感じていなかった。感じていたのは激しい怒りと気味の悪さである。  ここに愚かな、いや、愚かという言葉では表現不可能なグロテスクな若者五人がいた。幼稚な保身の化け物だ。殺めた六人に対する申し訳なさや後悔どころか、憐憫の情の一片も持ち合わせないのが現実だった。何が『フェアじゃない』だと霧島は歯を食い縛る。  あの死体となった六人は、こんなにも馬鹿げた理由で命を絶たれたのだ。  まず検挙対象は複数だが素人の若者という思いが霧島の判断を狂わせた。とてもではないが今は行確を就けて泳がせ、準備万端整えてから逮捕に踏み切るという単純な計算すらできないほど、怒りが突き抜けてしまったのである。  芳醇な白百合の幻臭を感じながら、辛うじて携帯で京哉に内容のない送信をしたのち、振り向きざまに懐のシグに手をやった。ただ抜く気は全くなかった。それでも相手は五人もいるのだ。抵抗された場合の、いわば保険程度のつもりだった。  潜入中なので特殊警棒も持ち合わせていない。いつでも抜ける体勢で霧島は五名に対し低く通る声を出す。 「県警機動捜査隊だ、連続強盗殺人の――」  口上も最後までは言えない。非常階段から上ってきたランディ=フォードことカール=フェリンガーが顔を覗かせ、ジャケットの前を払ってコンシールドしていた腹のインサイドパンツホルスタからタンカラーのコンパクトな銃を抜き出していた。    その素早さは霧島の左脇の銃を見抜いていたに違いなかった。  講義前に顔を見ず身体を見ていた意味を霧島はこのとき知った。  五人に構わずランディが一射を放つ。テルアキの右腕から血飛沫が上がった。二射目が手すりに跳弾し火花が散る。咄嗟に霧島も銃を抜いてはいたが叫び、立ち、しゃがんでは泣いて喚く五人が邪魔で撃てない。絶対に誤射はできない。一方で更に連射された。  超至近から放たれた銃弾は男女を掠め、背後の手すりが付いた壁に着弾。続けざまに響く撃発音と怪我の痛みで誰かが甲高い悲鳴を上げる。  丁度同時に二人がしゃがんだ一瞬を逃さず霧島、発砲。可能な限りジャスティスショットを狙いランディの右肩に九ミリパラをぶち込む。ヒット。  黒革のジャケットから血飛沫が舞った。  被弾した衝撃でバランスを崩したランディは躰を回転させながら階段を踏み外し、数段を転がり落ちる。だが直前に発射されていたランディの銃弾が霧島のこめかみを擦過。  本能的に銃弾を避けようと頭を強く振ったことで眩暈を覚えた途端に脚をすくわれた。何人かの声を聞きながら背中に手すりの感触を感じた一瞬後には、霧島の躰は宙に投げ出されていた。  無重力を味わい身構えた次の瞬間、背から地面に叩きつけられる――。
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