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第13話
一方、携帯の着信と複数の銃声に気付いた京哉が非常階段四階の踊り場に駆け戻ったとき、そこには肩や腕から血を滲ませた男女五人がしゃがみこんでいた。
一瞥して重傷でないのを見取りながら所轄の白藤署にコールして救急要請をしたが肝心の霧島が見当たらない。
一般人にこれだけの怪我人を出し、なお霧島がホシを追うとは考えづらかった。
内容のない着信を受けただけだったが、それだけ霧島は急いでいたのだ。おまけに複数の銃声がして九ミリパラの空薬莢も複数落ちている状況から、霧島がランディ=フォードとやり合ったのは容易に想像できる。ランディが銃を持ち込んでいたのは誤算だった。
今更バディを一人にしたことを悔いても始まらない。やはり霧島は一般人の怪我を軽傷と見取って単身ランディを追ったのかと思い、無事らしい女性に訊いてみる。
「ここにあと二人、男の人がいませんでしたか?」
「あの、一人は階段を走って下りて、もう一人は、そこ……そこから落ちたんです」
「そこって……まさか、忍さん!?」
手すりから乗り出して見ると、アスファルトで整地された地上には既に人だかりができていた。そこで見え隠れするあの黒いロングコートとダークスーツは……。
身を翻し階段を駆け下りる間、あまりの恐怖に京哉は何も考えられなかった。思考を硬直させたまま息せき切って駆け付けると、固い地面に立つ人々をかき分ける。
「どいて、通して下さい!」
アスファルト上に仰臥した霧島は口の端と左こめかみから血を流し、目を瞑っていた。あとは綺麗なもので、整いすぎるほど端正な顔立ちと相まって、まるで美しい眠り人形のようだった。
「……忍さん?」
殆ど思考できず京哉は傍に膝をつくと、躰は勝手に動いてバイタルサインを看る。脈は意外にしっかりしていて、だが何処に損傷を受けているか分からないので動かせない。脳内出血や脊椎損傷なら致命傷化もあり得る。
「忍さん、忍さん!」
ひたすら何度も呼んでいるうちに霧島はうっすら目を開けた。しかし京哉を視界に映したかどうかも曖昧なまま、またまぶたを閉ざしてしまう。こちらの存在をちゃんと認識しているのかどうかも分からない。抱き締めたいが、それも拙いだろう。
どうすることもできず、ぼうっとしたまま傍に落ちていた霧島の銃を拾い上げた。無意識にマガジンを確かめると一発しか減っていない。マガジンを戻すと自分のベルトの後ろに差し込みジャケットで隠す。
このシグ・ザウエルP226は警察に登録してはあるが、潜入捜査に使用するため警察のマークやシリアルナンバが刻印されていない。その言い訳をするのは非常に難しそうだったからだ。
更にこれも外れ落ちていた京哉自身の伊達眼鏡も拾ってかける。すると割れも歪みもなく無事だったフレームのある視界を得て、僅かだが落ち着いて物事を考えられるようになった気がした。
全てを把握している者はいない混乱の極みだったものの、救急車は二台現着した。酷い出血こそなかったが状況的に一番重傷だと判断された霧島は、真っ先にストレッチャに固定されて救急車に乗せられた。勿論京哉も付き添う。
運ばれたのは過去何度も世話になっている白藤大学付属病院だった。
すぐさま一階の救命救急センターに霧島は搬送され、霧島自身も京哉も馴染みの医療スタッフに迎えられた。見守ることしかできない京哉に看護師が声を掛けてゆく。
「そんな顔しないの。大丈夫よ、まさか霧島さんが死ぬ訳ないでしょ」
何故か分からないが誰も彼もが霧島を普通の人間の範疇に置いていない中、意識を失ったままの本人の傍で京哉は検査結果を医師から知らされた。
「内臓にダメージはありません。ですが当然ながら全身の打撲の他、左腕尺骨と左第四肋骨にヒビが入っています。口からの出血は僅かに舌を噛んだだけでした。左こめかみの傷は打撲時の僅かな裂傷です。こめかみは縫うほどではないのでステリテープで処置済み、肋骨は自然治癒を待ちますが左腕は一応ギプスで固めましょう」
「はあ、それだけですか?」
「それだけです。ただ、頭を強打していますので二、三日は自宅で安静にさせて下さい。あとは目を覚まし次第帰っていいです。いやあ、しかし丈夫な躰ですねえ」
武道で鍛え上げた身体を持つ霧島である。咄嗟に受け身を取ったのかも知れないと京哉は思った。何はともあれ安堵でへたり込みそうになる。
だがそんな場合ではない。もう一台の救急車で運ばれた学生五人に対し既に白藤署が隣の部屋で聴取に入っている。
霧島は一発しか発砲していないとはいえ、ランディ=フォードことカール=フェリンガーとの銃撃戦に一般人の学生を巻き込んだのだ。特別任務に就いては語れない。適当な言い訳を練り上げなければならなかった。
学生たちが何をどう説明したのかも分からない以上、事実関係に整合性を持たせるのはかなり困難である。おまけに霧島の使用した銃は少々厄介なブツだ。
但し、あそこで他に落ちていたのも同じ九ミリパラの空薬莢だった。ここは都合良く全弾ランディが発射したと霧島に証言させるしかない。無論発射された弾丸のライフルマークは違う訳だが霧島の撃った弾が発見されない方に賭けるしかなかった。
そこまで考えて京哉はようやく何もかもを解決する手段を思い出し、一ノ瀬本部長に連絡を取る。京哉は銃撃戦までやらかして逃走したランディ=フォードことカール=フェリンガーを失尾したことを告げた。一ノ瀬本部長は全てにおいての根回しを約束してくれる。
《いやいや、霧島くんが生きていてくれて良かった。もしものことがあったら霧島会長に顔向けできんところだ。充分に休養して怪我を治すように伝えてくれたまえ》
それで電話を切ったが京哉は改めて不思議に思う。派手に目立つことは避けたいだろうにランディは五人もの学生の前で何故あのような真似をしたのだろう。霧島もそうだ。あんな狭い踊り場で何の関係もない学生を巻き込むとは、全く以て霧島らしくなかった。
それでもたった一発の発砲はランディを捉えた筈である。病院その他への手配は一ノ瀬本部長に任せてあった。これで引っ掛かってくれればいいのだが。
考えているうちに意識のない霧島の左腕のギプスは巻き終わり、当初の説明以外の異常は見られないということで眠り続ける霧島は一旦病室に移された。
ベッド傍のパイプ椅子に座り、京哉は愛しくも哀しい想いで霧島を眺める。これまでの特別任務でも幾度となく怪我を負ってきた霧島だ。躰の怪我だけではなく心まで目茶苦茶に傷つけられたこともあった。
やっとここ暫く落ち着いた日々を送れていたと思ったら、またもこんな有様だ。こめかみにはガーゼが貼られ、左腕はギプスで固められている。
全身の打撲も強打した頭も暫くは痛むだろうと、痛み止めも処方されて預かっていた。今も鎮痛剤の含まれた点滴中だ。まさに満身創痍だが、それでも起きれば普段と何ひとつ変わらない表情で、切れ長の目に京哉を安堵させる笑みを浮かべて見せるのだろう。
今更ながら霧島のバディを自負していたことに対する後悔が京哉の胸を圧した。
自分さえ霧島と関わりを持たなければ、バディにさえならなければ霧島はこんな目に遭わなかったのだ。きっと今頃は機捜隊長として生き生きと現場で指揮を執っていたに違いない……。
想いを指先にこめて前髪をかき分ける。立ち上がると霧島の乾いた唇にそっとキスをした。それが刺激になったか霧島のまぶたが僅かに震える。見守っていると五十センチくらいの至近距離で灰色の目が見開かれた。治療のためにカラーコンタクトは外されている。
「忍さん、気分はどうですか?」
返事を聞く前にドアがノックされた。ドアをスライドさせて入ってきたのは白藤署刑事課強行犯係の刑事二人で、霧島と京哉に堅い態度で身を折る敬礼をする。京哉も見知った所轄の刑事たちだ。
「霧島隊長。貴方があんな所で銃撃食らうとは穏やかじゃないですよ」
「おまけに隊長がホシに逃げられるとは妙な話だ。いったい何があったんです?」
白藤署員と京哉の視線を一身に浴びて霧島は切れ長の目に困惑を浮かべた。
「霧島隊長……それは私のことか?」
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