第14話

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第14話

「って、ちょっと、忍さん……霧島警視?」  声に反応して霧島は視線を巡らせた。京哉の目をじっと見返す。 「あんたの声、ずっと聞いていた気がするな」 「……僕のことが分かりますか?」 「何と呼んだらいい?」 「京哉……鳴海京哉。まさか覚えてないんですか?」  真顔で考え込む霧島を前に京哉は泣きたくなった。ナースコールを押して医師を要請する。  やってきた医師は京哉と白藤署員が見守る前で霧島に幾つもの質問をし、ついでに躰の診察もしてから深い溜息を洩らした。そして居合わせた三人に告げる。 「これはおそらく逆行性健忘ですね。精神科にも診せる必要がありますが、いわゆる記憶喪失ってヤツでしょう。だが運が良かった。生活に必要な知識全般が残っています。拙い場合は赤ん坊並みに言葉まで忘れるケースもありますからね」  答えは分かっている気がしたが、一応京哉は恐る恐る医師に訊いた。 「あのう……治るんでしょうか?」 「分かりません。何かのきっかけで記憶を取り戻すこともあれば、忘れたままで人生を積み重ねていく人もいます。焦っても仕方がないですから様子を見ましょう。一時的なもので明日の朝、目が覚めたら思い出しているかも知れませんよ」  医師は気楽な調子だ。精神科の医師もやってくる。だが外科医と同じく質問し答えさせただけで結果も変わらない。外科医は霧島の点滴を外すと殊更明るく言った。 「では退院して構いません」 「こんな状態で退院ですか?」  訊いたのは京哉ではなく白藤署員の片割れだった。県警一有名なカップルでペアリングまで嵌めている二人である。同棲しているのも知っているのか、霧島本人よりも京哉を心配してくれた挙げ句の質問らしかったが、精神科医はやたらと朗らかに笑いながら頷く。 「入院しているよりも外界の刺激があった方が記憶も戻りやすいですからねえ」  微妙な想いで聞いている京哉も、じつは以前に特別任務で撃たれたショックで記憶を失くし、精神的に十二歳まで後退してしまったことがあった。  だがその時も霧島は変わらず京哉に接し、時に細やかに気遣ってケアしてくれた。お蔭で記憶を取り戻すまで何の不安もなく京哉は過ごすことができたのだ。  記憶喪失でも霧島は霧島である。過不足なく不安も抱かず生活できるよう次は自分が霧島のケアをする番だと心の中で自身に活を入れる。  そこで第一関門は所轄署員たちだった。有名私立大学のキャンパス銃撃事件を背負った白藤署員らは霧島に食い下がっても無駄だと知って、当然ながら矛先を京哉に向けたのだ。 「いったいあんたらは、あそこで何をしてたんだ?」 「お宅の署と真城署の抱えた連続強殺はご存じですよね?」 「当たり前だ、俺たちは帳場を抜けてきてんだぜ。だがそいつがどうかしたのか?」 「真城署のヤマの第一発見者が隊長と僕なんです。一応マル目なので捜一課長に許可を貰って各現場を巡っていたら、隊長が青峰大学に寄付していたというマル害の共通点を突き止めたんです。既に捜一の三係長を通して帳場に上げてありますが」 「確かに寄付金名簿の件は聞いてる。大金星を捨てるとは、お宅の隊長らしいが」  だがもう片方の刑事はさすがに誤魔化せず、さらに突っ込んでくる。 「しかし何だって機動捜査隊長が銃撃戦なのか知りたいんだがなあ」 「警邏ついでに寄付金供与者名簿を閲覧できないかと寄ってみたんですが……」 「名簿って、あんたのダンナが上げた時点で帳場がとっくに押収してる筈だぞ?」 「管轄破りですよね、すみません」 「別にそれくらいなら仁義を切るまでもない、謝るには及ばんよ。警視殿である、あんたのダンナを止め得るのは、現場レヴェルじゃ捜査一課長くらいのものだからな」  もう一人の刑事もまるで謎だらけの案件に溜息をついて頭を振った。 「だからって青峰大学医学部棟でのあれは何だったんだ?」 「僕がお手洗いを借りている間のことで僕にも何があったのか……学生の怪我は?」 「情報工学部の西条(さいじょう)輝明(てるあき)と医学部の今井(いまい)英俊(ひでとし)が腕の掠り傷。医学部の村上(むらかみ)好美(よしみ)が肩の掠り傷。医学部の中島(なかじま)淳一(じゅんいち)と薬学部の吉岡(よしおか)真理子(まりこ)の二名は無事。そりゃあショックはあるだろうが怪我は本当に大したことない。全員もう家に帰した」 「そうですか、良かった。で、彼らは何て言ってたんですか?」 「全員三回生で友人同士。煙草を吸う輝明と英俊に付き合って皆でダベっていたら、非常階段を上ってきた男がいきなり発砲したと全員が口を揃えて言っている。確実なマル目は怪我をしていない吉岡真理子だと踏んでよくよく訊いたが、証言ではホシは同じ薬学部三回生だろうって話だ」 「霧島隊長のことは?」 「六発全弾、あんたのダンナを狙ったらしい。至近距離でぶちかましておいて、その男が手すりの外に投げ落としたんだとさ。霧島隊長殿のことだ、過去に挙げたホシは数知れずだ。何処で恨み買ってるか分かったもんじゃない。厄介なヤマだぜ、全く」  刑事たちは溜息二重奏ののち、京哉にラフな敬礼を寄越した。 「あんたのダンナの記憶が戻ったら、是非とも一緒に白藤署に遊びに来てくれ」 「機動捜査隊長・霧島忍警視殿、お大事に。そっちのあんたもな」  出て行く刑事二人を見送り、京哉は色々と曖昧なまま解放されたことに感謝した。まださっきの今で一ノ瀬本部長の根回し前である。講義を受けていた事実まで探り出されたら言い訳も立たない。取り敢えずあれこれ追求されずに済んでホッとした。  ――で、大問題だ。  京哉自身は活を入れても霧島は分かっていてしかるべき記憶が抜け落ちている訳で、不安や支障に困惑もある筈だ。それがいつまで続くか一生なのかも分からない。  そんな霧島をなるべく自然な形でずっと支えて行けたらと京哉は思っていた。 「忍さん、帰れますか?」 「ああ……鳴海京哉さんか?」 「京哉です。貴方はそう呼んで下さい」 「ふ……ん。分かった」  支えようとしたが京哉が触れる前に霧島は自力で起き出した。痛み止めが効いているのか動きはスムーズだ。椅子に置いていたショルダーホルスタを自然な動きで装着する。ホルスタが空なのに少し戸惑った風なのを見取って京哉はベルトの後ろに差していた銃を手渡した。  霧島は滑らかな動きで残弾をチェックしてショルダーホルスタに収め、ようやく落ち着いたようだ。手を貸して京哉はアームホルダーで左腕を吊らせる。  チェスターコートを右袖だけ通して羽織らせると霧島をゆっくり歩かせて病室を出た。エレベーターで一階に降り、外に出ると病院前で客待ちをしていたタクシーに乗り込む。
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