第17話

1/1
前へ
/41ページ
次へ

第17話

 後始末をした京哉がマグカップを二つリビングに持ってくる。ロウテーブルにカップが置かれたタイミングで霧島は二人掛けソファを半分空けた。  京哉は嬉しそうに笑うと隣に着地する。  さすがに少々の隙間は空けていたが、霧島は何となく落ち着いた気分になって安堵した。火を点けた煙草を片手に気遣いで少し冷まされたカップを口に運ぶ。  訊きたいことは山ほどあったが霧島は黙ったまま喋らなかった。何故か言葉にならなかっただけでなく、妙に居心地がいい今を壊したくなかったのだ。  京哉がリモコンでTVを点ける。ニュースは連続強殺をメインに報道していた。 「三件六人は酷いな。私たちには関係ないのか?」 「ええと、半日だけ捜一に駆り出されて。だから学生のふりして潜入捜査という訳です。でも言った通り忍さんは機捜隊長、僕も機捜で貴方と副隊長の秘書ですからね」  ここぞとばかりに先の説明を補完し京哉は早口で失敗を糊塗する。自身でも考えた霧島はある程度納得してくれたらしい。けれど同時に更なる興味も湧いたようだ。 「ふむ、捜査一課で潜入捜査か。だがどうして青峰大学なんだ?」 「青峰大学の寄付金名簿に載ってた人ばかり狙った犯行だって忍さんが突き止めたんです。それで機捜の方がヒマだから聞き込みしてたんですよ」  記憶を失ったままなら京哉はそれでも構わなかった。ただ記憶がないならないで、これ以上霧島を傷つけたくない、特別任務なんぞに巻き込みたくないだけだった。 「機捜、白藤署と真城署管内の連続強殺、寄付金名簿……青峰大学で聞き込みか」 「忍さんはそんなこと考えなくてもいいんです、今は傷病休暇なんですから。あっ、それよりも忍さんの怪我の消毒をしなきゃだ。救急箱持ってきますね」  左こめかみの傷はガーゼが剥がされたまま、それを丁寧に消毒すると、京哉は防水ガーゼをなるべく小さく切って貼り付けてやる。腕にもギプスを巻こうとしたが、寝る時までは嫌だと霧島は拒否し、仕方なく京哉は引き下がって救急箱を片付けた。  とろとろと時間が経過し、二十二時を過ぎると京哉はまた霧島に薬を飲ませてベッドに連行だ。横にさせて毛布を被せると霧島は却って目が覚めたように京哉を凝視する。見られながら京哉は霧島に被せた毛布を軽く叩いて小声で挨拶した。 「おやすみなさい、忍さん」 「ん、ああ……あんた、いや、京哉?」 「何、どうかしましたか?」 「京哉は何処で寝るんだ?」  真剣に見返す霧島は本当に京哉を心配している。笑えず京哉も答えるしかない。 「僕はリビングのソファで寝るのが趣味なんです」 「これはダブルだぞ?」  再び言った霧島だったが京哉の困ったような顔に気付いて言い募ることを止めた。 「じゃあおやすみなさい。何かあったら起こしてくれて構いませんから」 「ん、ああ、分かった。おやすみ」  そう言って京哉を毛布一枚と共に送り出したが霧島は非常な違和感に戸惑い、暫くは目を瞑ることもできないでいた。片や京哉は京哉で何故ここまで意地になり、ドツボに嵌ってしまったのか自分でも分からない。  このままでは今まで幾度も二人で誓い合い、確かめ合ってきたものを、霧島が意識できなくなった途端に京哉が勝手に崩してしまうことになる。だが一方で霧島を傷つけたくない想いが強すぎて、京哉自身もどうしていいのか迷いに迷っているのだ。  考えつつ腕枕もなく自分の体温だけで温めるしかない毛布に呟きを染み込ませた。 「仕方ないよなあ……天秤のどっちにも忍さんだもんなあ」 ◇◇◇◇  あまり眠れなかった京哉は七時まで粘ってから起き出した。一ノ瀬本部長の意向で霧島の世話係たる京哉も同じく傷病休暇である。  どうせ出勤しないのだから早い気はしたが朝食は作らねばならない。敢えてパジャマのままエプロンを着けてキッチンに立った。  手早く煮干しで出汁を取り野菜を刻んで味噌汁を作る。同時進行で鮭の切り身を焼き、サラダを作ると最後にハムエッグを焼いた。ご飯はタイマーで炊けている。  そろそろ霧島の様子だけでも見に行こうと思った矢先に寝室から長身が現れた。 「ちょ、忍さん、貴方は何をしているんですか!」 「何って、青峰大学で聞き込みではなかったのか?」  驚いたのはドレスシャツにスラックス姿の霧島は既にショルダーホルスタで左脇に銃を吊り、ベルトの上から手錠ホルダーと特殊警棒にスペアマガジンパウチ付きの帯革まで締めていたからだ。ジャケットとコートを羽織れば出て行ける格好である。  京哉は額を押さえた。頭を打ったからなのか天然なのか。 「二、三日は安静って昨日貴方も聞いた筈です。大体貴方は身体中痛いでしょう?」 「だが眠れないんだ」 「眠れなくても寝るんです! さっさとパジャマに着替えて下さい!」 「嫌だ。失くしたものを取り返しに行く」 「……」  きっぱりと言い切られて京哉は困ったがこの行動パターンはいつもの霧島だった。そしてこういう時に霧島を翻意させるのは非常に困難だと知っている。天然どころかある意味において非常に残念な男だった。こちらの説明を全く理解していない。  まるで普段と変わらない霧島が着席し、京哉は味噌汁の椀とご飯を盛った茶碗を渡してやった。全てが揃うと二人して手を合わせてから食事に取り掛かる。 「今日の講義の予定は十時二十分からのゲノム情報学だったな」 「USBメモリのファイルを見たんですね。安静は何処にいっちゃったのかなあ?」 「私に銃弾をぶちかまして投げ落とした奴のヒントが欲しい。西条輝明と今井英俊、村上好美に中島淳一と吉岡真理子の全員に話を訊く。まずはそこからだ」  病院で一度聞いただけの名を覚えているのはさすがだが、京哉は柳眉をひそめた。 「怪我をした輝明と英俊、好美の三人は休んでるかも知れません。吉岡真理子と中島淳一だってショックだっただろうし、通学してるかどうかは疑問だと思いますけど」 「それならそれでいい。私が落とされた現場だけでも見たい」 「うーん。じゃあその代わり腕にはギプスを巻かせて貰いますからね」  愛し人はまたも返事せず、京哉は柳眉をひそめたまま食事を終え、後片付けをしてコーヒーのマグカップを手にリビングに移った。二人で煙草タイム、プラスして京哉はノートパソコンでネットを泳ぐ。検索した片端から読み上げてやった。 「西条輝明は国会議員の西条剛志(つよし)の息子。吉岡真理子は県会議員の吉岡哲治(てつじ)の娘。今井英俊は今井美容外科院長の今井信吾(しんご)の息子。中島淳一と村上好美も親は会社社長ですね」 「で、それがどうかしたのか?」 「そうそうたるメンバーですよ。巻き込まれただけとはいえ、息子や娘にいつまでも警察がまとわりつくのを、この親たちは歓迎しないだろうと予想がつきませんか?」 「被害者としては普通、犯人逮捕を望むものではないのか?」 「そんなことは帳場がやってますよ、貴方が私怨で動かなくても」 「私怨か。だが大事なことを忘れている気がするんだ」 「そりゃあ当然でしょうね、記憶を失くしちゃったんですから」 「それだけでなく違う何か……どうしても行かなくてはならない気がしているんだ」  もどかしいというより悔しげな切れ長の目に京哉は思わず頷かされていた。 「そっか。いいですよ、分かりました。何処まででも付き合いますから」 「県警本部の機捜に出勤しなくていいのか?」 「昨日のうちに貴方は傷病休暇、僕は有休の手続きをしたから心配しないで下さい」  本部長の厚意を説明すれば特別任務に言及せねばならず、京哉は軽く嘘をつく。 「あんたまで休ませて悪いな」 「何も悪くないですよ、僕の勝手なんですから。でもこれは交換条件です」  そう言って京哉が持ち出したのは霧島のギプスとアームホルダーだ。眉間にシワを寄せた霧島の左腕にギプスを装着し包帯を巻きつけてギプスを固定すると、首から腕をアームホルダーで吊らせる。そうしておいて京哉は寝室でスーツに着替えた。  銃も忘れなく左懐に吊り、その他警官グッズも帯革ごと締めて装着しジャケットを着る。  霧島にもジャケットを着せてコートを羽織らせ、京哉もコートを着ると出掛ける準備は整った。室内点検してから部屋を出てキィロックする。  途中にあるコンビニで煙草を買ってから月極駐車場の愛車に辿り着く。車の運転は覚えているという本人申告を信用せず、京哉がステアリングを握った。青峰大学の外来者駐車場がある裏門に着いたのは九時過ぎだった。  難なく手帳で裏門の守衛をクリアして駐車場に白いセダンを駐め、降車してみると建物の蔭になったそこにはまだ先日の雪が融け残っていた。それを知りつつ京哉は片腕を吊った霧島ばかり気にしてしまい、氷と化した残雪を踏んで足を滑らせる。  だが危ういところで霧島が右腕を差し出してくれて救われた。そのまま京哉は年上の愛し人の右手を握って歩こうとしたが、自然な動きで霧島は手を引っ込める。  何事も変わらない昨日とそっくり同じ日常のようだが、じつはとんでもなく遠ざかってしまったのだと京哉は改めて思わざるを得なかった。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加