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第18話
「私は何処から落ちたんだ?」
「あそこの医学部棟の非常階段です。こっち、来て下さい」
まだ学生の姿も少ない中、京哉は建物を回り込芝生の間の小径を辿って医学部棟まで霧島をゆっくり歩かせる。まずは落ちて発見された現場だ。四階を仰ぎ見る。
「こんな高さをアスファルトに落ちて、よくそれだけで済みましたよね」
「我ながらそう思うが、ホシはどうして私を撃ち殺さなかったんだ?」
「そう言われれば。リムド弾じゃない九ミリパラのエンプティケースが落ちていた以上、銃はリボルバじゃなくて確実にオートです。今どき僕らサツカンみたいに五発のみってことはないだろうし、不自然かも」
「その点は留意だな。上に行く」
痛みを感じさせない動きで霧島は非常階段を上った。辿り着いた四階の踊り場はイエローテープで規制線が張られ制服巡査が二人張り番していた。顔パスでテープを跨ぐ。そうでなくとも狭い踊り場は隅々まで一目瞭然だった。僅かな血痕がまだ残っている。
「私の銃は満タンではなく弾薬が一発減っていた。そしてたった今、あんたは敵が五発と口にした。だが病院で刑事は『六発全弾』私を狙ったという学生の証言を披露した。ならば敵が五発発射し、私は基準の五発ではなくフルロード状態から一発応射したと考えるのが自然だ。つまり単に襲われた訳でなく私は敵と争ったことになる。そこで京哉、あんたはホシを知っているな?」
「留学生のランディ=フォードことアラキバ抵抗運動旅団のカール=フェリンガー」
「何故、白藤署の刑事に告げなかった?」
「独自の情報でソースを訊かれると厄介だったからです。それに調べれば薬学部三回生で留学生のランディ=フォードはすぐに割れる。でも何で僕が知っていると?」
「本当に捜一に協力か? それにしては得物が派手過ぎる。どうせ二人して管轄外を探っていたのだろう。管轄破りとかいう御法度を犯した挙げ句に余所には言えないことが多くて、あんたも嘘を吐くしかないのかも知れん」
まさに図星を指されて京哉は返す言葉もなく俯くしかない。霧島は続けた。
「サツカンらしく記憶を失くした奴には言えん守秘義務もあるのかも知れんし、それを責めるのは筋違いと私とて解る。だが他にも色々と分かることがある。まるでホシを知らなければ私が銃弾ぶちかまされ四階から落とされるような狙われ方をされて、バディのあんたが狙われない筈はない。京哉、あんたは落ち着きすぎている」
「そっか、敵わないなあ」
バリケードテープの中を霧島は仔細に観察する。灰皿まで撤去されていたが、風雨に晒された踊り場にはその大きな円筒形の跡がくっきりと残っていた。
「カール=フェリンガーは煙草を吸うのか?」
「えっ……そういえば、吸ってるところは見なかったですけど」
「なるほど。それなのにここの階段を使ったのはどうしてだ……分からんな」
呟くように言って霧島はポケットの煙草を弄んだ。京哉は長身を見上げて訊く。
「十時二十分からのゲノム情報学ですけど、忍さんは受講するつもりなんですか?」
「講義の前後に張り込む。五人の学生のうち、誰でもいいから捕まえたい」
階段を下りると少し歩き二人は少々の距離を空けてベンチに腰掛ける。京哉が携帯で調べ物をしている間に霧島は煙草タイムだ。そこで京哉が携帯の画面を見せる。
「例の学生五人の写真が出てきましたよ」
「ふむ。『第四十五期・青峰大学附属高等部』、卒業アルバムか」
「こんなものをネット上にアップするなんて迂闊だけど、僕らには有難いですね」
京哉は五人の顔写真を拡大表示して霧島に見せた。霧島は灰色の目で五人を眺め、京哉が特別任務の資料から抜き出したランディ=フォードも脳裏に焼きつける。
「ランディ=フォードは潜った。私たちをまた狙う可能性は?」
「皆無とは言えません。でも貴方が一射当ててますから今すぐはないと思います」
「表に出ておびき出そうと思ったが、それだと望み薄だな」
「囮捜査のつもりだったんですか? その躰で?」
「どうあろうと私は記憶を取り戻す。ホシも挙げる」
「はいはい、分かった、分かりました。ゲノム情報学は薬学部のP6教室ですよ」
辿り着いたP6教室からは今朝の一コマ目を受講した学生らが溢れ出していた。人波に押し流されそうになるのを窓際の壁にへばりついて二人はやり過ごす。
教室内を見渡すと意外にも最後列にさっき写真を見たばかりの学生五人が固まっていた。
パソコン付き長机の間の階段を二人は上る。学生らに揃って手帳を見せた。次のゲノム情報学を受ける学生たちがポツポツと席を埋め始めた中、五人は顔をこわばらせて身構える。緊張をほぐすように京哉が微笑んで口火を切った。
「昨日あんなことがあったのに真面目、学生の鑑ですね。ところで留学生のランディ=フォードを知ってる筈ですよね、特に同じ薬学部の吉岡真理子さんは」
目をいっぱいに見開いて真理子は身じろぎもしない。それを見て霧島が訊いた。
「何故ランディ=フォードの名を明確に警察へと告げなかった?」
「……あんな銃で、逆恨みされたら怖いもの」
援護射撃のつもりか残りの四人も揃って頷き、輝明が逆に訊く。
「刑事さん、無事だったんですね」
「本当に無事なら良かったのだが、そうもいかなくてな」
「その腕以外に何処か怪我でも?」
「記憶が少しね。捜査も貴方たちに頼るしかなくて嫌な思いさせて悪いんだけど」
霧島の代わりに答えた京哉は顔を見合わせる五人を観察した。五人も黙ったきりで霧島と京哉、特に霧島を観察している。観察し窺い、何故か怯えまでも感じられる。
「記憶喪失ってヤツなのか?」
横柄とも取れる声を発した英俊は医学部の三回生、霧島の症状に興味を持ったらしい。だが霧島は普段と何ら変わらぬ涼しい顔つきで、その表情から何かを悟らせることはなかった。
「昨日、医学部棟で何があったのか教えてくれ」
霧島の問いに全員が互いに譲り合うような目をして輝明が代表で喋り出す。
「昨日も何度も刑事さんに訊かれて……僕と英俊が煙草を吸ってて、真理子と好美に淳一は付き合ってくれて皆でダベってたんです。今度の学祭とかコンパとかカラオケとか色々喋って」
「他に人は?」
「刑事さんだけでした。刑事さんは手すりに凭れていて、そこで急にランディ=フォードが階段を上ってきて、僕らがいるのに構わずに刑事さんに向かっていきなり銃を何発も撃った。僕ら痛いし吃驚して、何なのか分からないけれど、ランディが近づいてきて刑事さんを持ち上げて踊り場から外に落とした」
一人一人に状況を訊いたが誰もが殆ど同じ答えを返した。そこでタイムアップ、ゲノム情報学の講義が始まる。講義を受ける気のない霧島と京哉はこっそり退散した。
教室の外に出ると霧島は京哉を鋭く見る。
「おかしくないか、あの学生たちは」
「忍さんが発砲したとは一言も言いませんでしたね。白藤署の方にも六発全弾ランディが貴方に向けて撃ったって証言してる。それで僕は嘘がバレず却って助かったんですけど」
「混乱して私が撃ったのに気付かなかったのか」
「ド素人の学生だもん、可能性はありますよね」
「ランディ=フォードのヤサは分かるか?」
「調べれば分かるから、ちょっと待って下さい」
携帯に入れた捜査資料を掘り返すように京哉は言ったが、じつは密かに一ノ瀬本部長にメールを送り、欲しい情報を横流しして貰うのである。すぐに一ノ瀬本部長の秘書官からメールが来て答えが得られた。
おそらく一ノ瀬本部長は霧島の記憶喪失を霧島カンパニー会長に伝えるに伝えられず、必死で京哉たちに情報を流しているのだろう。
二人の独自捜査が進めば霧島の記憶も戻る可能性に繋がると一縷の望みをかけて。
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