4人が本棚に入れています
本棚に追加
第3話
やがて緊急音が響いて足音が近づいた。最初の一団にいた男が京哉の肩を小突く。
「京哉、何でお前がこんな所で死体なんか作ってんだ!」
「僕が作った訳じゃないって、信輔」
それは京哉の真城署時代のバディだった。どうやら信輔は今夜の当直だったらしく非常に不機嫌で、だが霧島警視を前にしてそれ以上は当たり散らす訳にもいかず、ムッとしている。深夜番は連絡員というだけでなく案件が起これば大量の書類も待っているのだ。
そのまま鑑識が仕事を始め、暫く経って刑事たちにも入室許可が下りる。皆がどやどやと入って行った。その頃には県警捜査一課も現着しており、京哉と霧島もお馴染みの顔が臨場する。
当然ながら機捜も現着したが単なる事実確認程度だ。マル害が死んで半日以上も経過した案件には首を突っ込まない。機捜はあくまで初動捜査において覆面パトカーでの機動力を求められるだけだ。
それでも起こった案件の概要を知っておくのは霧島隊長の方針である。状況を所轄署員から聞き、居合わせた霧島と少々話をしてから機捜隊員らはまた警邏に戻って行った。
そのうち人の輪から出てきた信輔が再び京哉の肩を小突いて吐き捨てる。
「間違いねぇな、一連の件とホシは同じだ……くそっ!」
「同じって、もしかして先週から白藤市内で二件起こってる強殺のことか?」
「ああ。得物が果物ナイフ三丁ってのも、ごっそりカネを盗られてるのも一緒だ。三丁の果物ナイフについては報道規制をかけてる。これでホシが別なら俺は捜一に異動してもいい」
「失敗しといて勝手に昇格するなよ」
元バディと馬鹿を言いつつも、つい最近二件連続で発生した強盗殺人を思い出し、京哉と霧島は顔を見合わせた。そこに所轄の他の刑事課員がやって来て申し訳なさそうに霧島と京哉に署への同行を促す。
パトカーで運ばれた真城署で簡単な事情聴取をされ、面倒を省略するため探せば見つかる指紋を取って渡すと二人はもう釈放だった。ついでと言っては何だが住処のマンション近くのコンビニまでパトカーで送って貰う。
コンビニで京哉は煙草を買い求め、顔見知りとなった男性店長に肉まんを二個サーヴィスして貰い、霧島と一緒に食べながら雪の中をマンションまで歩いた。
部屋に帰り着くとコートを脱いでマフラーを外し、吊った銃もショルダーホルスタごと外して、まずは風邪予防に手洗いとうがいをする。そうして霧島は黒いエプロンをしてキッチンに立ち、京哉は換気扇の下で数時間ぶりの煙草を吸った。
「時間も遅い上にローズマリーの入手不成功に終わったからな、メニュー変更だ。ポットローストではなく簡単に焼くだけ、ソテーにするがいいか?」
「いいですよ。何か手伝えることがあったら言って下さい」
「ではTVを点けてニュースに合わせてくれ。お前は風呂に入ってきていいぞ」
「了解、お先に頂きます」
そう言いながらも京哉はTVニュースを眺め始める。全国版のトップニュースで白藤市内での強殺二件が報じられた。首都圏下でも特筆すべき大都市の白藤市での強殺案件である。未だ何の手掛かりも掴んでいない警察はボコボコに貶されていた。
事件があったのは知っていたが京哉は機捜でも秘書で内勤だ。詳しい内容は知らなかったため真剣に見入る。
だが今日と似たようなマンションで一件では老婦人、一件では十二歳の少女を含む一家三人が刺殺され、かなりの額のカネを盗られたという報道だけで拍子抜けするほどあっさりニュースは終わってしまった。
「――京哉? 京哉!」
「あ、はい。何ですか、忍さん?」
「先に風呂に入れと言っただろう。薄っぺらい躰が冷え切っている筈だぞ」
「そうでした、すみません。入ってきます」
寝室でセーターを脱いで洗面所に向かい、衣服を脱ぐ片端から洗濯乾燥機に放り込む。バスルームに入ってみると、いつの間にかバスタブに湯が湛えられていた。霧島の気遣いを有難く思いながらシャンプーとボディソープで全身泡だらけにして薄いヒゲも剃る。
一気に泡を流してバスタブの湯に浸かると心地良さに溜息が洩れた。
しっかり温まってから上がりバスタオルで躰を拭うと警察官にしては少々長めの髪もドライヤーで乾かす。寝室で下着と黒いシルクサテンのパジャマを身に着け、少し考えてからクローゼットの引き出しを開けて霧島のカーディガンを拝借し羽織った。
かなりオーバーサイズのカーディガンを羽織ってキッチンに出て行くと、京哉が出てくる時間を見計らっていたらしく、丁度コールスローサラダの載ったプレートに霧島が出来上がった豚肉のソテー・香味ソースがけを盛り付けていた。
電気ポットの湯で京哉がインスタント味噌汁を作っている間に、ホカホカのご飯も茶碗に盛られる。
「わあ、美味しそう。でも夜中になっちゃいましたね」
「真夜中に食ったからといって、へこたれる胃袋ではあるまい」
「へこたれるどころかお腹が空いて胃袋が逃げ出しそうですよ。頂きまーす」
「頂きます。こら、そんなに慌てて食うと喉に詰まるぞ」
笑いながら霧島はおかずを肴にしてカットグラスのウィスキーを飲んでいた。ストレートでごくごく飲む男を数秒間だけ目で咎めたが、アルコールに非常に強い霧島は何処吹く風だ。そうして飲みながら京哉をじっと見つめている。
だが京哉は食べるのと背後のリビングにあるTVから流れてくる深夜ニュースを聞き取るのとで忙しい。
お蔭で年上の愛し人の視線にまるで気付かずにいた。
「今日の二人殺害で都合六人も殺されたなんて、所轄も捜一も大変そうですねえ」
「京哉、食っている間くらいは仕事から離れたらどうだ?」
「十二歳の女の子まで殺すなんて酷いなあ。まともじゃないですよね」
「京哉。いいから食うなら集中して食え」
「前の二件とも数千万円も盗られたなんて、そんなお金の所在を知ってたとは知り合いの線でしょうか? ということは今日の殺しの現場にも大金があったのかなあ?」
「おい……京哉」
溜息を洩らした霧島は、ふいにテーブルに身を乗り出して京哉の鼻を摘んだ。
「んっ! 痛たた、何するんですか、忍さん!」
「死体のことばかり考えていないで、生きている人間を考えてくれたらどうだ?」
「別にご飯中にオロクのことを考えるほど、僕だって悪趣味じゃありません……って、もしかして忍さんって案件に嫉妬してるんですか?」
「嫉妬したら悪いのか? どうせ明日から考えるヒマはあるんだ。せっかくの連休最終日くらい私のことを考えてくれ。だから……なあ、今晩、いいだろう?」
切れ長の目が婀娜っぽいような色を帯び、京哉は頬に血を上らせる。低く甘い声に弱いのを知った上でのストレートな求めに、だが事実を突きつけ反論した。
「昨日だってあんなに。お蔭で今日は昼まで立てなかったのもご存じの筈ですが」
「昨日は昨日だ。だが明日は仕事だからな、優しくすると約束しよう」
「誰かさんの『優しく』ほどアテにならないものはないんですけどね」
「本当に優しくする。来週の食事当番を賭けてもいい」
「本当ですね? 後悔しても知りませんよ?」
もうこの段階で乗せられてしまったのにも気付かず、京哉も挑戦的に身を乗り出してしまっていた。年上の愛し人が頷くのを見てさっさと目前のものを平らげ、後片付けまで請け負って霧島をバスルームへと追いやる。
換気扇の下で食後の煙草を二本吸うと、食器を洗浄機に入れてスイッチを回し、また煙草を咥えてオイルライターで火を点けた。
やがて霧島がバスローブ姿で出てくる。そうして未だ挑戦的な目をした京哉が寝室に向かおうとするのを腕を掴んで留めた。怪訝な思いで京哉は灰色の目を見上げる。
「せっかく賭けたんです。しましょう!」
「お前は本当に色気がないな。そういう奴にはこうしてやる」
強く腕を引かれ、京哉は霧島の分厚い胸板にぶつかるようにして抱き竦められた。その胸から霧島が愛用していて京哉も大好きなオード・トワレ、ペンハリガンのブレナムブーケが香る。
普段は現場に匂いを残せないからと言ってつけてくれないが、行為の時だけはこうして香らせてくれるのだ。やや苦み走った柑橘系の匂いが香る。
最初のコメントを投稿しよう!