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第5話
一瞬だけ目を瞑ったつもりの京哉だったが、気付くと霧島の力強い腕に抱かれていた。そのまま寝室のダブルベッドに運ばれて横にさせられる。
前髪をかき分けられ目を覗き込まれた。
「何か欲しいものはあるか?」
「ん……少しだけ、水飲みたいです」
我ながら喘ぎ疲れて酷い声をしていた。慌てた風に霧島はグラスに水を汲んでくると、口移しで何度も飲ませてくれる。そのあとも湯で絞ってきたバスタオルで京哉の躰を拭ったり下着とパジャマを着せたりとなかなかに忙しい。
行為のあと甲斐甲斐しく世話を焼くのは霧島の趣味のようなもので、分かっていて京哉も好きにさせているのだ。尤も京哉は動くに動けないのだが。ブルーの毛布を被せられて上からしっかりと抱き締められ、京哉は低い声を聞く。
「すまん、京哉」
「何で謝るんですか、あんなに良かったのに……って、意識のない僕にまで?」
「すまん、気付くまで時間が掛かった。痛いも苦しいも分からんうちに私は……のめり込んで溺れ切っていた。本当にすまない」
「大丈夫ですよ、時間が経ったら平気なのはいつもと同じですから」
「本当にお前を壊していないか? 今日は何故か知らんが……私もアレだったしな」
「平気ですって。僕がミテクレよりもタフなのは忍さんも知っているでしょう。それよりも風邪を引く前に貴方も着替えて一緒に寝て下さい」
「ああ、分かった」
素直に霧島は京哉とお揃いの黒いシルクサテンのパジャマに着替えた。そして京哉の右側に潜り込むと左腕で腕枕をする。抱き込んだ京哉に足まで絡めた。
「忍さん、おやすみなさい……忍さん?」
既に霧島は規則正しい寝息を立てていた。京哉も温かな胸に抱かれて目を瞑る。
◇◇◇◇
普段より二十分早い六時十分に起きた霧島は、京哉が作った朝食のご飯と味噌汁に焼鮭とハムエッグにサラダをバリバリと食したのち、京哉と一緒に着替えてベルトの上に手錠ホルダーと特殊警棒にスペアマガジンが二本入ったパウチを着けた帯革を締めた。
ショルダーホルスタの銃も装着してスーツのジャケットを羽織り、しっかりコートも着ると火元と戸締りを確認し、マンションの部屋を出る。
外に出るとこの辺りでは珍しく昨夜の雪がそのまま残った銀世界だった。
ザクザクに凍った雪を踏み締めて月極駐車場まで歩くと、愛車の白いセダンも雪だるま状態だ。二人でウィンドウに積もって凍った雪をバサバサ落として乗り込む。
いつもならジャンケンして負けた方が運転するのだが、道が混むことも考えて本日はより運転の巧みな霧島がステアリングを握った。
京哉は冷え切った指をヒータで溶かしている。
タイヤはスタッドレスなので、さほど心配は要らない。だが最短でバイパスに乗ってみると、やはり普段に比べて流れが悪かった。それでも余裕ある運転で京哉に声を掛ける。
「煙草、吸っても構わんぞ」
「お言葉に甘えます」
「それとだな……京哉、お前じつは足腰の調子が拙いだろう?」
「……うっ! ホントにほんの少しだけです。時間が経てば治りますから」
年上の愛し人が原因は己というのを嫌というほど自覚しているのは分かっているので、なるべく萎れているのを見ないよう京哉は煙草を吸い始めた。僅かにサイドウィンドウを下げて紫煙を逃がす。
そうしているうちに白藤市内に入った。するともう周囲は高低様々なビルの林立である。その谷間には高速の高架も見えた。
だがそんな表通りをまともに走っていたら遅刻してしまう。そこで霧島は普通なら選ばないような狭い路地や一方通行路を駆使して通勤ラッシュを避け、出発して五十分足らずで県警本部庁舎裏の関係者専用駐車場に白いセダンを乗り入れていた。
降車すると二人は古臭くも重々しいレンガ風の外観を持った十六階建て本部庁舎裏口から入り、階段を二階まで駆け上って左側一枚目のドアを開ける。そこが機捜の詰め所だ。
まずはオスの三毛猫のミケが「ニャー」と鳴きながら足に巻きついて出迎える。以前の特別任務の結果として押しつけられたミケは非常に気性の荒いケダモノだが、今日は機嫌がいい。
本当は京哉は飼いたかったがマンションはペット禁止で、仕方なくここにつれてきたのだ。ここは二十四時間必ず誰か詰めているので安心でもある。
霧島隊長ともども特別任務で留守にしても、猫好きの同志でエサやトイレの当番も決めてあり、広いのでミケにとっては却って居心地がいいようだ。
足に絡まるミケに難儀しながら中に入ると、霧島隊長の姿を見て隊員たちが立ち上がり身を折る敬礼をする。霧島警視はラフな挙手敬礼で答礼し隊長らしくデスクに就いた。秘書たる京哉は給湯室に向かい、皆に茶を配る準備をする。
ここでは三班に分かれてローテーションで二十四時間勤務に就いているが、この時間は昨日朝から勤務して今朝下番する隊員と、今朝から上番する隊員とでごった返しているため人数も多い。三往復して在庁者に茶を配給し終えると、やっと京哉もデスクに就いた。
すると八時半の定時ギリギリに副隊長の小田切警部が駆け込んでくる。
二十六歳の小田切もキャリアで霧島の二期後輩だ。京哉と同じSATの非常勤狙撃班員でもある。霧島に少し足らないくらいの長身で男女を問わない恋愛遍歴を誇る自称・他称『人タラシ』だが、この県警内にある生活安全部の生活保安課長であり昔馴染みの香坂警視と縒りを戻してから、やや落ち着きを見せるようになっていた。
落ち着く前はキャリアとは思えない所業で、この機捜に流されてきた過去を持つ。
現在は香坂警視という恋人兼監視役がついて、やや落ち着いたとはいえ『やや』でしかなく、自分の席に丸くなったミケを蹴り落とし、逆襲されて朝から流血の惨事である。
「何で俺の椅子か膝でばかり眠りたがるんだ!」
「貴様は所詮、猫のベッドだからな。そのくらいの役に立ってもいいだろう」
「毎度のことなんですから、いい加減に慣れて下さい」
冷たく霧島が言い放ち、隊員たちまでが笑う中、溜息をついた京哉は仕方なく救急箱を出してきた。大サーヴィスで処置もしてやる。スラックスを捲ると脛に見事な赤い三本線が刻まれていた。血を拭き取り消毒して傷薬を塗ると処置は終わりだ。
「やっぱり京哉くんは優しいなあ」
「しみじみしてないで、仕事ですよ、仕事」
霧島隊長から押しつけられた朝の交代の儀式を済ませて小田切がデスクに就くと、京哉は茶を淹れてやり、自分の席でノートパソコンを起動して本日の書類仕事を隊長と副隊長に容赦なく割り振りメールで送りつける。
もっと自分は忙しく、暢気な上司二人に任せていては到底間に合わない書類の代書に取り掛かった。
そうしてノートパソコンのキィを超速で叩きながらも、時折霧島と小田切に鋭い目を向けて監視している。
霧島隊長からして『書類は腐らん』と豪語して憚らないため、オンライン麻雀や空戦ゲームに嵌ったり、一週間の献立レシピを検索したり、居眠りしたりといったことがないよう、厳重に見張っていなければならないのだ。
ボーッとしてエンジンの掛からない上司たちをその気にさせるまでが大変なのだが、まだ月曜ということもあって叱り飛ばすのは我慢していた。
その間に下番した隊員たちは三々五々帰って行き、上番した隊員たちは覆面での警邏に出掛けてゆく。
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