4人が本棚に入れています
本棚に追加
第7話
本部庁舎前庭の駐車場を縦断し、表通りに覆面を出した霧島はゆったりとした運転で第一犯行現場である郊外を目指す。パトライトや緊急音は出さない。
「第二犯行現場の方が近いんだが、順番に回りたいからな」
「どうぞ、霧島警視のお好きなように」
ゆったりした運転を続ける霧島の横顔を京哉はじっと見つめた。いつも通り涼しい表情ながらシャープな輪郭は引き締まり、特別任務に就いている時より余程生き生きしているように思える。
じっと眺めているうちに二十分ほど経過し、第一犯行現場のマンションのふもとに辿り着いて霧島が路肩に覆面を駐めた。警察車両のプレートを出して降車する。
二人揃ってコートに袖を通しマンションを見上げると曇り空が目に入った。
素早く京哉は携帯で天気予報を確認する。
「このあと、また少し雪が降るみたいですよ」
「そうか。では、なるべく早く済ませよう」
捜査資料で読んだ通りにマンションのエントランスはオートロックも監視カメラもなかった。お蔭で二人はあっさりと侵入を果たす。入ってみると管理人室もない。
「セキュリティはうちのマンション以下だな」
「中の人間が武装してないんですから、大概それ以下だと思いますけどね」
エレベーターに乗って十二階建ての九階へと上がる。廊下を辿ると強殺のあった九〇七号室はすぐ分かった。まだ警備部の制服警察官が二名ドアの前で張り番していたからだ。
警察手帳を見せ、労いの言葉を掛ける。県警本部内で顔の売れた二人はそれだけで黄色いバリケードテープで規制線の張られた室内に入ることができた。
玄関で靴を脱ぐ際に靴箱の上に手向けられた花束が目を惹いた。おそらく手向けに来てこの警察官たちが預かったものと思われるが、薄紫色の紙に包まれグレイのリボンが掛かった花は上品な白百合で、だが見た目の清々しさとは対照的に芳醇な香りを放っていた。
「元・強行犯係で分かっていると思うが――」
「はい、何処にも触りませんから」
本当は覆面のトランクに靴の上から履くシューズカバー、通称ゲソ袋だの頭髪が落ちないよう被るキャップだの、『MIU』のジャンパーだのといったグッズも載せているのだが、既に鑑識作業は終わっているのと面倒臭いので使用しない。
ただ、あとで再び精密に指紋採取でも行った際に、自分たちの指紋が出ると厄介な上に犯行発覚直後の写真と相違があると困る。
まずは一通り部屋を巡った。キッチン、松方夫婦の寝室、娘の由衣の子供部屋、そして惨劇のあったリビングだ。
毛足の短い絨毯には黒々とした染みが何ヶ所にも広がり、それを囲むように鑑識のテープが貼られているが、異状といえばソファとロウテーブルが少しずれているだけで室内には特に荒れた様子はなかった。
事件が起こった時のまま保全されたリビングで霧島は黙ってチェスターコートのポケットに両手を突っ込んでいる。ダッフルコートの京哉も霧島に静かに従っていた。
取り敢えず納得したのか霧島は京哉を促して玄関に戻り靴を履いた。制服警察官に再び労いの声を掛け今度は非常階段で延々九階分を下る。勿論そこも抜かりなく捜査されていて、新たに何かを発見することもなかった。
一階に降りてエントランスから出ると再び覆面に乗る。発車して第二犯行現場までは十五分くらいだった。先程と同じく路肩に覆面を駐め目前の建物を二人で眺める。
それはマンションと名のついたアパートだった。三階建てだがモルタル張りで年代物の物件である。とてもではないが強盗が狙いそうな人種の住処とは思えない。
「ここの二階でお婆さんが殺されたんですよね?」
「二〇五号室だ。資料通りに監視カメラはないな」
「この中に数千万円があったなんて、ちょっと信じられないかも」
二階に階段で上がると、ここにも警備部の制服警察官二名の張り番がいた。労いの言葉を掛けて、あとは顔パスでバリケードテープを跨ぎ越し室内に入る。
するとここの玄関にもまた白百合の花束が手向けられていた。
「ここも殆ど荒れてないな」
綺麗に掃除も行き届いたキッチンの椅子が斜めに引かれ、その付近の床に血痕が残されている以外に異状はない。今にも主が帰ってきそうに京哉には思えた。
ここでも凶器は三本の果物ナイフだったが、流し台で発見されている。勿論証拠品として今は鑑識が回収してしまっているが一応二人も流し台を覗いた。
「何か感想はあるか?」
「うーん。マル害の荒木優子さんは綺麗好きだったんだなあ、としか……」
頷いた霧島と共に京哉も靴を履いてドアから出る。階段を降りて覆面に乗った。
第三犯行現場は真城市内で当然ながら遠く五十分近く掛かった。まだ帳場要員が捜査車両を駐めていることを考慮し、近所であるスーパーカガミヤの駐車場に覆面を置き歩いて現場に向かう。しなやかな足取りで歩を進める霧島に京哉は小声で言った。
「こんな平和な住宅街で強殺なんて、近所は戦々恐々ですよね」
「まあ、そうだろうな」
「何の手掛かりも得てないんじゃメディアの警察叩きも仕方ないかも知れませんね」
「ああ。だが何か……何か三件を結ぶ線がある筈だ」
それは京哉にも分かる。流しの犯行では、あそこまで綺麗には殺れない。その上に意外なまでの被害額もあった。マル害が巨額を持っていると知っていた点から、やはり顔見知りの犯行という線が強いのではないかと京哉は思っていた。
十二歳の少女にまで凶刃を向けた非情の殺人者像を思い描こうと努力しながら京哉は霧島に寄り添いつつ、歩き慣れたアスファルトの道を行く。所々に融け残りの雪があって気を付けなければ危ない。
細い路地で日陰になった場所ではそれが顕著で、などと思った矢先に滑りそうになり、間一髪で霧島の腕に救われた。温かく力強い。
そのまま人目も憚らずに手を繋いでくれて思い切り嬉しくなる。
そして第三犯行現場に近づき、ふと香りに気付いた。京哉は異常に嗅覚が鋭い。見回した挙げ句、まだかなり後方を歩いている人物に目を付けて霧島の手を引いた。
「何だ、どうした?」
「匂いです。これって他の現場でも……あっ、花束ですよ!」
「花束とは、あの百合の花か?」
「はい。あそこ、あのご婦人が持ってる花の香りと同じ、リボンも紙も同じです!」
言われてみれば霧島にも判別可能になった。こちらに近づいてくるご婦人を待ってからここはバンカケだ。バディの視力と嗅覚に舌を巻きつつご婦人に会釈した。
「ちょっとすみません、警察の者ですが」
中年の婦人が抱えた花束は薄紫の紙に包まれグレイのリボンを掛けられた白百合だった。第一・第二現場の玄関に手向けられていたのと、そっくり同じである。
霧島に倣い京哉も手帳を見せて中年の婦人に向き合った。
相手を緊張させない物腰で霧島が婦人に話し掛ける。
「お時間を取らせて申し訳ありませんが、お名前とご職業をお聞かせ願えますか?」
「あらあら、お顔の綺麗な刑事さんたちだこと」
にこにこしながら婦人は堂々と花束を京哉に預けると、ポケットから身分証らしきパスケースを取り出した。パスケースに収められた身分証を二人は覗き込む。
「伊原洋子さん、白藤市内の青峰大学にお勤めですか」
「ええ、そうですよ」
と、ふいに婦人は顔を曇らせ、
「優子さんたちの捜査をしてらっしゃるのね。早く犯人を捕まえて下さいな、安心して歩けやしない」
いちいち頷いて見せながら霧島は婦人に更に訊いた。
「優子さん、荒木優子さんのことですね?」
「ええ。さっきお花をお供えしてきて……ううっ、あんな目に遭って、可哀相に!」
笑っていたかと思えば、いきなり涙を零してハンカチで拭う婦人の精神安定を霧島は粘り強く待った。参考人として任意出頭を求めるには時間が掛かる。それよりここで喋って貰う方が早く、このご婦人も話しやすいだろうとの判断だ。
「――で、伊原さん。貴女は先程、松方さんご一家と荒木さん宅にその花を供えてきた。そして今から西田さん夫妻宅に供えに行く。違いますか?」
「いいえ、違わないわ」
「松方さんご一家と荒木さんに西田さんご夫妻は貴女とどんなご関係なのですか?」
「関係があるのは、精確にはわたしじゃなくて大学よ。松方ご夫婦は両方、西田さん夫妻は奥さんの幸子さんが青峰大学の同窓生なの。期は違いますけどね」
「えっ、じゃあ荒木優子さんも?」
あまりに遠い昔の話になりそうで、思わず横から京哉が口を出す。
「優子さんは違うわ。青峰大学を出たのは今はアメリカのシカゴにいる孫。ええ、訊きたいことは分かってるつもり。彼らは皆、大学に毎年寄付をしてくれていたのよ」
「寄付、ですか」
呟いた京哉に向かってご婦人は大きく頷いた。
「優子さんはね、今はお医者をしているお孫さんが青峰大学を出たっていうだけで、かなりの額の寄付を毎年してくれていたの。わたしは寄付金担当窓口係なのよ」
そこでご婦人は喋りながらも再びさめざめと泣き出す。
「多額の寄付のお礼にわたしが優子さんをお伺いし始めたのは一昨年からだったわ。今ではいいお友達だったのよ。それなのに……何て可哀相な優子さん、ううっ!」
ご婦人にそっと京哉が花束を返すと霧島はご婦人を解放した。
伊原洋子はハンカチを濡らしながらも、しっかりとした足取りで西田夫妻のマンションの方向へと歩み去った。それを見送りながら二人は暫し立ち止まる。
京哉は傍の電器店の前に灰皿を見つけて煙草を咥え火を点けた。紫煙を吐きながら首を傾げると霧島は頷く。
最初のコメントを投稿しよう!