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第8話
「あとは帳場から正式に参考人聴取するよう連絡を入れる」
「そっか。で、昨日の第三現場の西田夫妻宅には予定通りに行くんですか?」
「ここまで来たからな」
「それにしても寄付金とは目の付け所ですよね」
「寄付金供与名簿さえ見ればそれこそ高額寄付した金持ちの住所・氏名も分かるか」
「やっぱり名簿でビンゴだと思いますか?」
「今のところはそれしか繋がりが見えんし、他が出てこない以上、捨てられん」
「それで忍さんは大金星を捨てちゃうんですか?」
咥え煙草でわざと揶揄するように言うと、霧島は微笑んで携帯を取り出し捜査一課の三係長を呼び出した。そうしてたった今、得たばかりの情報を全て伝える。
情報を占有し個人でネタを追って、京哉の言う通りに大金星を挙げることも不可能ではないだろう。だが自分は外様で帳場要員でもないことを考慮し、それよりも人海戦術で追ってホシを早急に挙げる方を霧島は選んだのだった。
ためらいなく大金星を放棄した男の端正な顔を京哉は飽かず微笑んで見つめる。そして一本吸い終えると煙草休憩も切り上げ、二人は昨日の事件現場へと歩き始めた。
辿り着いたマンションの三階三〇八号室前で警備部の制服警察官たちを労い、白百合の香る玄関から室内に入れて貰う。改めて見回したが、やはりここも争った痕跡は僅かだ。リビングのソファとロウテーブルが多少ずれただけなのは松方一家の時と同じだった。
「ただ、ここでは廊下に死体があったんですよね」
「マル被は初めての抵抗にあった……それでドアを閉めることすら忘れたのか」
問うでもなく霧島は呟いてポケットに手を突っ込んだまま京哉と一緒に花束が手向けられた玄関を出た。階段を降りて外に出ると足早にスーパーカガミヤに駐めた覆面まで戻る。発車した途端にフロントガラスに湿った雪が当たり出した。
「ギリギリ、危なかったですね」
「ああ。日頃の行いがいいからな」
「冗談はともかく、貴方はいったいは何処に行くんですか?」
「青峰大学の様子だけでも眺めに行こうと思ったんだが」
「ふうん。それで貴方はもう十二時半をとっくに過ぎてることはご存じですか?」
「ん、ああ? 本当だな。すまん、腹が減っただろう?」
捜査となれば食事すら忘れてしまう男に京哉は柔らかな微笑みを向ける。
「いつもお腹を鳴らしてる人がこれなんですから、もう」
私立青峰大学は白藤市でも真城市と反対の海側で接する貝崎市寄りにあるので、かなり時間が掛かった。
それでも十三時半には辿り着き、青銅の柵沿いに覆面をゆっくりと走らせて内部を垣間見る。幸い雪も上がり晴れ間が見えていて大学の様子は大体分かった。
都市部でありながら広い敷地には贅沢に思えるほど緑が多い。主だった建物は四棟で一棟は細長いが十階建てほどもありそうなビル、あとの三棟は七階建て前後のどっしりとした建築物である。雪が融け残ったキャンパスを学生たちが歩いていた。
だが外から眺めて得られる情報など大したものではなく、自分で思いついておきながら霧島はすぐに飽きる。飽きると同時に本格的な空腹を覚えた。
「何処かで昼飯を食って帰るとするか」
「いいんですか、みんなは夜食も含めて一日四食幕の内弁当なのに抜け駆けして」
迷うということを知らない霧島は近所の仕出し屋に、三百六十五日毎食同じ幕の内しか注文しないのである。
「ここから本部に戻るまで私の腹が持たん。嫌ならお前だけ帰って幕の内を食え」
「いいえ、ご相伴に与らせて頂きます」
そのまま霧島は目についたカフェテリア風レストランの駐車場に覆面を入れた。入店すると青峰大学に近いからか若い男女で席は埋まっていたが、幸い喫煙可のカウンター席にふたつ並んだ空きを見つけてスツールに腰掛ける。
メニュー表を眺めて種類の違うランチセットをそれぞれ頼んだ。お絞りで手を拭くとまずは水をひとくち飲む。
そうしていそいそと京哉は煙草を咥えてオイルライターで火を点けた。
左隣で若い男が文庫本を読んでいた。背後のテーブル席では、かしましいお喋りが途切れなく続いている。そうかと思えば笑い転げている者もいて、とにかく皆が元気だった。
「果てしなく自分がオジサンになった気がしますね」
「京哉、お前がオジサンなどと言うなら、この私はどうする?」
「四歳しか違わないじゃないですか。意識しすぎですよ」
「だが、たった四年でもお前は若く、私は老けて見えるんだ」
結構本気で気にしているようで、眉間に不機嫌を溜めている霧島を京哉は笑う。そこで「きゃあっ!」と黄色い声が上がり、店内の人間の八割が振り向いた。落ち着かないが仕方ない。運転しながら霧島に餓死されるよりはマシだ。
携帯で青峰大学のホームページを見ながら京哉が解説する。
「良家の子女御用達の私立青峰大学と大学院には医学部と薬学部と情報工学部があって、全部で約七千名の学生がいるんですって。多いのか少ないのか分かりませんね」
「そういえば強殺された松方夫妻はIT関連の事務所を経営していたな」
「もしかしたら情報工学部を出たのかも知れないですね」
「その線でいくと薬剤師の西田幸子は薬学部、荒木優子の孫は医学部ということか」
「たぶんそうじゃないですかね。それにしても寄付金名簿かあ」
呟きながら京哉は携帯で検索を続けた。
「粘って検索すれば寄付金供与人名簿くらい出てくるような気がするんですけど」
「いや、それはどうかと思うぞ。実際には関係者以外の一般人が閲覧するのは難しいだろう。一口数万円からの寄付金を誰が何口寄付したか大学側が洩らす訳にはいかんだろうしな。それこそ強殺までいかなくても捜二案件にはなり得るぞ」
「そっか、守秘義務ってヤツですね」
「おそらくネットに上げること自体が違法行為……おっと、今はそれより飯だ」
仕事の話は一旦打ち切って座高の高い、もとい案外マメな霧島がカウンターから差し出されたプレート類を受け取り二人分をセッティングしてくれる。
メニューは京哉がミートソースのパスタで霧島がカレーだ。サラダとスープ、あとで飲み物も付くというバランスのいいランチだ。
煙草を消した京哉も霧島と共に、行儀良く手を合わせてから食べ始めた。
「頂きます。おっ、これは旨いな」
「こっちも美味しいけど、カレーの匂いって卑怯ですよね」
「ならばこちらと半分ずつ食おう。だがこのドレッシングは酸っぱすぎるな」
京哉もサラダをひとくち食べて顔をしかめる。酢がそのまま掛かっているようだ。しかし二人は目で牽制し合いながら口に運ぶ。途中で諦めようとした霧島に囁いた。
「忍さん、サラダもちゃんと食べて下さい。大きくなれませんよ」
「お互いここまで育てば、大きくなる処は一ヶ所だけだ」
「そういや昨日はあんなに大きく……違って! 食べてる時に、貴方はもう!」
笑いながらカップスープのポタージュとミネストローネまで分け合って食し、酸っぱいサラダも何とか胃袋に収めると、食後の飲み物は二人ともホットコーヒーを選んだ。
熱い飲み物で緩みながら煙草を吸いつつ京哉は携帯でネット検索を続けたが、やはり寄付金の供与名簿など何処にもアップされてはいない。
そうしていると霧島の携帯が震え出す。
「あ、小田切さんの文句ですか?」
「違うな。県警本部長、一ノ瀬警視監だ」
「げっ、本当ですか? じゃあ、まさか?」
「ああ、これはお前の予想通りだろう」
珍しく渋い顔をした霧島が携帯の画面を京哉にも見せた。
【可及的速やかに本部に戻り、小田切警部及び鳴海巡査部長を伴い県警本部長室に来られたし。一ノ瀬】
とあった。このパターン、特別任務が降ってきたに違いなかった。
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