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第9話
三十分後には県警本部長室の三人掛けソファに霧島、京哉、小田切の順に座って一ノ瀬本部長と客人のスーツ二人組の計六名でロウテーブルを囲んでいた。
京哉は一ノ瀬警視監をじっと眺める。身長は京哉くらいだが体重は霧島二人分で足りるだろうか。特注したと思しき制服の前ボタンは弾け飛ぶ寸前で、だが更なるカロリーである大きなクッキーの缶がロウテーブルに置かれている。それも中身は半分減っていた。
不自然に黒々とした髪を整髪料でぺったりと撫でつけた様子はまさに幕下力士といった風情だ。しかしこれでもメディアを利用した世論操作を大の得意とする切れ者なのである。
あとは客人のスーツ姿二名だが自己紹介もないので何者だか分からない。分からないが知ってどうなるものでもなかった。
京哉が見るに片割れはそこそこ高そうなスーツを着て、もう片割れはとんでもなく高そうなスーツを着ているというくらいか。
あとは両方とも堅そうな職業、予想がついたのはその程度だ。
勿論、困ったから何事かを依頼しにここに来たのは分かっている。それにしたって人にものを頼みに来たのに『一週間笑わない選手権』でシード権を取れそうな表情で人を値踏みするように見なくてもといいんじゃないかと思う。
そう京哉は思ったが胆の太い霧島は毅然として訊いた。
「それで今度の厄介事はいったい何なのでしょうか?」
警視監と客人相手にかなり礼を失していたが、京哉は内心霧島の勇気を称賛した。だが一ノ瀬本部長は何ら気にした風でもなく、いきなりテノールで言い放つ。
「青峰大学にてアラキバ抵抗運動旅団のカール=フェリンガーがランディ=フォードなる偽名で資金獲得活動に乗り出した形跡がある。そこで機動捜査隊の小田切警部と鳴海巡査部長に特別任務を下す。青峰大学に潜入し、その疑惑解明及び活動阻止に従事せよ」
唐突な話で霧島と京哉に小田切は目を瞬かせる。京哉も国際的テロ組織であるアラキバ抵抗運動旅団の名称くらいは知っていた。しかし何故ここで青峰大学なのか。
丁度青峰大学を見学してきたばかりの二人は顔を見合わせて首を捻る。そこでスーツ姿の客の片割れ(そこそこ高そうな方)が重々しい口調で喋り始めた。
「カール=フェリンガーはアラキバ抵抗運動旅団のトップであるバート=フェリンガーの息子だ。そのカール=フェリンガーを捕捉しつつ、我々は泳がせている――」
なるほど、このスーツ男は入国管理局の役人のようだと京哉は悟る。そして入国管理局としてはカール=フェリンガーを捕らえて大金星を挙げたいらしい。
だがそこで日本国内の重鎮とも云える者たちの一部が難色を示したのだという。
「難色を示したのはいわゆる一流商社の社長・会長や国会議員らで、息子や娘に親類縁者などを青峰大学に通わせている。その青峰大学がスキャンダルに塗れることを恐れているらしいのだ」
吐き捨てるように言ったスーツ役人は苦々しい顔つきで、もう一人の(とんでもなく高そうな)スーツ男を窺った。どうやら黙りこくったまま喋らないスーツ男は『難色を示した日本国内の重鎮』の代理人として、この密談を見届けにきたらしい。
「とにかくカール=フェリンガーを見張ればいいんですよね?」
割と軽く言った京哉に一ノ瀬本部長が頷く。だがそこで霧島が身を乗り出した。
「待って下さい、本部長。鳴海巡査部長のバディは私です。潜入捜査のバディに私ではなく小田切をつけるのは納得がいきません」
「だが霧島くん、きみの顔は皆が知っているじゃないか。今更学生のフリをして潜入捜査には向かんだろう?」
確かに霧島の顔は誰もが知っていると云えた。京哉が暗殺されるのを防いだ際に勝手に機捜を勝手に動かした責任を問われ、当時の本部長から厳しい懲戒処分を下された霧島は停職中に京哉と密会しているところを週刊誌にスクープされたのだ。京哉は顔にモザイクを掛けられてセーフだったが。
更に警察の記者会見では一ノ瀬本部長の企みと交換条件で堂々と顔を晒されたり、霧島カンパニー御曹司としても一度ならずメディアに登場して世間を沸かせている。
「しかし以前の潜入捜査でも私は変装で乗り切りました。今回もそれで――」
「あの時は指定暴力団だった。今度は学生だ。学生でアレは拙いだろう?」
「それは……自分が老けているのは承知しています」
「いや、霧島くん、わたしはそこまで穿った事実は言っておらん」
霧島もネチこいが一ノ瀬本部長もやはり只者じゃないなと京哉は思った。そうして暫く頭上を他人事の如く飛び交う会話を小田切と共に黙って聞き続ける。
「私が老けているために学生として潜入不可能ならば、無条件に鳴海巡査部長にも今回の特別任務を拝命させる訳にはいきません。私と鳴海は不可分です」
言い切った霧島の断固とした態度に客二人は戸惑った顔をし、一ノ瀬本部長は暫し考え込んだ。その間に京哉自身も霧島を説得したが頑として霧島は頷かない。
「大学で見張るだけなんですから、大丈夫ですって」
「だめだ。小田切を信頼していない訳ではない。だがそれ以上に私は特別任務というものを信用していない。甘く見て何度煮え湯を飲まされたか、お前も分かっているだろう?」
「それはそうですけど……」
「ならば本部長、私は今回の特別任務に小田切と生活安全部の生活保安課長・香坂怜警視をバディとして推薦します。私と鳴海ばかりでなく『知る必要のないこと』を知った人間として我々二人のスペアがいてもいいのではないでしょうか?」
本気で薦めていると知って焦ったのは小田切だった。当然だ。特別任務から帰ってくるたびにヨレヨレかクタクタか、それとも大怪我で入院し傷病休暇というのを目の当たりにしてきたのだ。それに香坂まで巻き込んだら、いつものお仕置きの腹に膝蹴りでは済まない。
「ちょ、ちょっと待って下さい。テロリスト相手に任務慣れしていない自分は勿論、香坂もすぐに化けの皮が剥がれて拉致られて拷問されて海にドボンです!」
「大丈夫だ、問題ない。アラキバ抵抗運動旅団の本拠地があるバルドールは黄色い砂礫が広がる大地、せいぜい放り出されて日干しになるだけだ」
至極暢気に霧島は言ったが、命の懸かった小田切は食い下がる。
「わざわざ本国までスパイを運ぶ訳ないだろっ! 東京湾にドボンに決まっている」
「ならば小田切、貴様が説得するんだな、一ノ瀬警視監を」
結局小田切は説得しきれず携帯で香坂警視に援護射撃を依頼することになった。更には潜入任務初心者より少々老けていようがヤクザ臭がしようが、慣れた人間を入国管理局の役人も求めたので、しぶしぶながら一ノ瀬本部長も頷かざるを得なくなる。
自分から言い出しただけあって霧島は堂々たるものだ。
「私が潜入任務に就くことに関しては何ら問題ない。カラーコンタクトでも入れて眼鏡をかけ、髪の分け方を変えたら別人の出来上がりだ。構わないですね、本部長?」
折れるしかなかった一ノ瀬本部長は力なく溜息をついた。
「霧島くんがそこまで言うなら仕方ない。小田切くんには例の如く隊長不在の機捜を預かって貰う。霧島くんと鳴海くんには薬学部の社会人学生として潜って貰う」
そこで霧島が鋭い号令を掛け、京哉と小田切も立ち上がった。
「気を付け、敬礼! 霧島警視以下三名は特別任務を拝命します。敬礼!」
「では明日から任務に就いて貰うので必要物品は明朝取りに来るように。一旦解散」
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