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かつて探検家は、幻の青いケシの花を求めて、秘境を歩きまわった。
それは百年以上昔のこと。
そして現代。「幻の黒い瞳」を求める者が、ひそかに世界を旅していた。
***
「ここも、ハズレか……」
スマホに搭載されたGPSアプリで、現在地にマークをつけて「調査済」とコメントを付して、リサはため息を落とした。
ここは、アジア大陸の奥地にある集落。
都市部のビル群と比べると、まるで百年前にタイムスリップしてしまったのではと錯覚するような、原始的な村だ。
家は木と竹で造られた茅葺の小屋、川の水を引いた水場、薪で火をおこす囲炉裏。車の通れる道路はなく、近くの町から山道を歩いて、六時間かかった。
途中までは地元の人に案内してもらったが、「異民族の村に近づきたくない」ということで村境の峠で放り出され、仕方なく残りの道を、リサは地図と衛星画像とGPSを頼りに、歩き続けた。
幸い、山歩きには慣れていて、人の通う道を見つけ出すのは、さほど難しくはなかった。それでも、何度か迷いかけて、余計に時間をくってしまい、朝早くに出て、集落にたどりついたのは夕方だった。
「薬草を探して山を歩いている。二晩ほど、泊めてほしい」
リサは村長の家を探し出すと、そう説明した。
「そこの寝台でよければ、使いなさい」
粗末な身なりの村長は、明らかによそ者のリサを見て警戒の表情を見せたが、いくばくかの金を包んで渡すと、それ以上追及はせず、寝床を提供してもらえることになった。
日が暮れるまではまだしばらく時間がありそうだったので、リサは村の中を歩きながら、住民を観察した。
ちょうど、畑仕事から帰ったきたらしい男女が、竹かごを背負ってバラバラと、山のほうから村に戻ってきていた。黒髪に、濃い褐色の目。日に焼けた黄色味の肌。典型的なアジア人の風貌だ。
「異民族とはいえ、普通だな……」
ここに、リサの探し求めている「黒い目」はなさそうだった。
***
黒い目――それは、難病に苦しむ弟のために、リサが長年追い求めている「秘薬」の原料だった。
そもそもの事の起こりは、こうだ。
十年ほど前に、とある研究成果が発表された。
その研究というのは、一見ありふれている「黒い目」に、これまで知られていなかった特殊な成分が含まれていて、それが不治の病をも治す、新薬になる、というものだった。
色素が沈着した虹彩から、微量な成分を抽出できるという。
おかげで一時は、各地で目をえぐりとられる事件が頻発し、国際問題にまでなった。
しかし研究が進むにつれ、本当に効果があるのは「漆黒の目」、それもアジア人のみ――とわかってくると、沈静化した。
なぜなら、アジア人の目は黒く見えても、普通は「茶褐色」だったから。
求められるのは、濃い茶色でも灰色でもなく、「漆黒」。
それは、人が思うよりも希少で、むしろほとんど存在しておらず、薬をつくれるほどに黒い虹彩を集めるのは、不可能に近かった。
闇マーケットでなら、法外な値段で取引されていると聞くが、リサが立ち入れる領域ではなかったし、それだけの金もなかった。
「姉さん、僕はもう死ぬから。気にしないで」
弟はそう言ったけれど、リサは諦められなかった。
両親はすでに他界して、弟だけが、残されたひとりだけの家族だったから。
アジアの奥地へ赴けば、漆黒の目を持った人間が実在する、という噂を頼りに、リサは旅立った。懐に小さな拳銃とナイフをたずさえ、背負った鞄には、採取した「原料」を入れるための小さな保存瓶が入っている。
出会う人は誰も、リサがそんな重く罪深い目的を抱えているなど、気づいていないだろう。
***
日が暮れると、リサは冷たい川の水で、顔と手足を洗った。
村長の家で粗末な野菜のスープと強飯の夕食をご馳走になり、囲炉裏を囲んで少し雑談をした後、早々と床につく。
一日中歩き通しだったのもあり、さすがに疲れていて、目を閉じた瞬間に意識を手放した。
リサは夢を見た。
夢の中で、リサは黒い瞳の少年の目を、えぐりとっていた。
彼の悲鳴を聞きながら、丸い目を手のひらにのせ、なんとも悲しい気持ちになった。涙がひとすじ、ほお流れる。
そして、目が覚める。
現実のリサも、涙を流している。
毎晩繰り返している儀式。
その後再び、眠りの沼へ落ちていく。
翌朝、リサは集落の近辺を探索することにした。
村から一歩出ると、周りは険しい岩山に囲まれた森と畑だった。
ここは岩山の間にあるくぼ地のような場所で、土地はなだからな起伏を描いており、森と交互に現れる畑はすでに刈り取りが終わった後のようで、茶色い刈り株が雑草の間に突き出していた。
「この道は……?」
山道から分岐する細い道に気がついて、リサは足を止めた。
まるで獣道だが、おそらく人の通う道だ。森の中を抜けて、どこかへ続いている。
リサは直感的に、行ってみたいと思った。
好奇心をくすぐられる匂いのする道だった。
ひんやりとする湿った森を抜けて、急な岩場を踏んで歩き、道は思いのほか長く続くが、どこにもたどり着く気配がない。
そろそろ、戻ろうか、と考えはじめたとき。
急に森が開けて、目の前に現れた風景に、リサは息を飲んだ。
岩山の間の、森に囲まれた狭いくぼ地に、色とりどりの花が咲き乱れる花畑があった。
「これは……ケシ畑か」
ケシは、アヘンやモルヒネの原料にもなる麻薬成分を含んだ植物で、栽培は禁止されている。この畑は――もちろん、違法栽培だろう。
人影はなく、岩山の間の隠された畑はしんと静かで、鳥の声が落ちてくるばかり。
リサはそっと畑の中に足を踏み入れた。
白や紫の花が、リサに触れて恥ずかしそうに揺れた。
「静かすぎるな……」
そうつぶやいたとき。
背後に気配を感じて、リサは懐に手をやりながら、ばっと振り返った。
そこには、ひとりの少年が立っていた。
彼の顔を見て、リサははっとした。
最初の驚きは……彼が弟に似ていたから。
そして、遅れてやってきた驚きは――彼の目の色。
「黒い瞳……」
間違いない。昼の光の元でも、光をすべて飲み込んでしまうような漆黒。
覚悟を決めて、探していたつもりだった。
だが、リサは動けなかった。
「お姉さん、何しているの」
彼がこの辺りの公用語で問うてきた。
その声は、意外なほど平坦だった。そして、声までもが、リサの弟にそっくりだった。
「薬を、探している」
思わず、核心に触れそうな答えが、口をついて出る。
「なんの薬?」
「弟が、難病なんだ。この辺りには、珍しい薬の原料があると聞いてきた」
少年がふふっと笑った。
「お姉さんの周りに咲いている花も、ぜんぶ薬だよ」
「……そうだな」
確かに、ケシは薬になる。
鎮痛作用と幻覚作用で、病の苦しみを忘れられるだろう。
「ここで見たものを忘れて、立ち去ってほしい」
少年がそう告げた。
「それを約束してくれたら、特別な薬をあげよう」
それでは困る、と答えようとした。
だが、少年の黒い目を見つめていると、悲しみの気持ちが湧き上がってきた。
探して探して、やっと見つかった黒い目の持ち主が、なんのいたずらか、弟に似ているなんて。
想像の中ではできていた、黒い目をえぐりとる行為。
その手順を、何度もシミュレーションしたし、実際に生きた動物でもやってみた。いい気分はしないが、できる、と思った。
だが、実際に黒い瞳の少年を前にして、できない、とリサは悟った。
「わかった」
リサはうなずいた。
少年は身振りで、ついてきて、と合図した。
ふたりは畑の間の小道を進んでいく。
しばらくして、前を行く彼が立ち止まった。
彼の指さした先には、青空を映したような青い花が、風に揺れていた。
「これは……青いケシ」
岩陰の片隅に、ひと群れだけ咲いている、青い花。
アジア大陸の奥地には、「幻の青いケシの花」が咲くといわれ、探検家が探し求めたのは、百年以上も昔のこと。
それが今目の前にあるのだと、リサはすぐに理解した。
「それをひとつだけ、あげる」
少年が静かにそう言った。
リサは青い花のかたわらにしゃがみこんだ。
手に取って、ひとつ折りとる。
青いケシの花が、まるで目のように、リサを見返す。
リサはふっと微笑んだ。
黒い瞳は得られなかったけれど、代わりに青い花を見つけたんだな。
それでいい気がした。
帰ろう。そう決めて、リサは立ち上がった。
そのとき、火薬のはじける鋭い音が、岩山の間に響きわたった
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