ババアと白Tシャツと俺

1/1
前へ
/12ページ
次へ

ババアと白Tシャツと俺

「ババア、アンタのフィールドは国道や高速道路だよな? コーポあぐれっしぶへは向かっていないよな?」  後方から俺は大声でババアへ呼び掛けた。大先輩に「ババア」呼ばわりは頂けないが、「四つん這いババア」が正式名称なんだからどうしようもない。  振り返ったババア先輩は顔の(しわ)を更に濃くして、耳まで裂けた赤い口でいやらしく笑った。 「ひょひょひょひょひょ。もちろん向かっているさ、コーポあぐれっしぶにねぇ」 「何でだよ! 町内放送は基本新人死霊向けだぞ? アンタのような大ベテランが、機会に恵まれない新人のアピールタイムを横から奪うのかよ!?」  全力疾走しながらの会話は、死んだ身でも酸欠になって意識が飛びそうにキツイ。対してババアは余裕たっぷりに答えた。 「ひょひょひょ。そうだよう。最近はアタシの噂をする生者どもが少なくなってきたからねぇ。初心に返って、地道に宣伝することにしたのさぁ」  過去の栄光を取り戻して返り咲く気か。 「もういいだろう? アンタは一度花道を歩いたんだから! 今回は……今回だけはアピールタイムを俺に譲ってくれよ!! コーポあぐれっしぶには俺の大切な人が居るんだよ!」  恥も外聞もかなぐり捨てて懇願した俺に、ババアは舌を出した。 「いーやーだーよー。女はねぇ、いつの世も注目されたいモンなのさぁ」 「クソッタレが、させるかよ!」  俺はババアの後ろ脚に足払いを仕掛けたが、ババアはピョーンと前へ大きく跳躍した。走るだけではなくジャンプもできるのか。 「ひょひょひょ。そんなんじゃアタシに追い付けないねぇ」  ピョーンピョーン。ババアはバッタのように飛び跳ね、俺を大きく引き離した。 「そんな……」  毎晩ライダーと走り勝負をして鍛えたババアの脚力。俺も峠を攻めてから挑むべきだった。鍛錬を(おこた)ったことを悔やむ俺。そこへ……  タッタッタッタッタッタッ。  いつもの規則正しいリズムを刻んで憎いあんちくしょう、白Tシャツ男が駆けてきた。男は俺を一瞥(いちべつ)した後、フォームを替えてスピードアップした。  凄い。あっという間に白Tはババアに追い付き抜き去った。実業団が考案した近代的なトレーニング法は伝説を容易く塗り替えたのだ。 「おのれぇ!」  大先輩の威信に懸けて、ババアは白Tの先行を阻止しようとした。例のピョーンジャンプで白Tシャツの真上の位置まで飛んだ。そのまま彼を踏み潰すつもりだったのだろう。  しかし白Tは読んでいた。左右に避ける軽快なフットワークでババアをかわし、再びトップスピードまで上げて駆け抜けたのだった。風が見えた。 「な、なんと……」  呆気に取られたババアはジャンプをやめ通常走りに切り替えた。 「ぬうぅ、負けてなるものか、勝負はこれからだよ!」  それでも心折れずに白Tを追うババアは流石と言ったところか。俺も諦めたくなんかないのに、もう脚が限界だった。気力だけで前へ進んでいた。 「待って、待ってくれババアに白T。コーポあぐれっしぶには行くな……!」  自分が情けなかった。白Tシャツ男のような速さが無い、沙穂を守る盾が無い、ライバルと戦う武器も無い。 (……ん? 武器……?)  俺の腹にキラリと光る物が有った。ストーカー男が俺の腹に突き刺したステンレス包丁だった。ホームセンターでお手軽に買える千八百円くらいの代物かな。  ただし高価では無くとも、大の男を殺傷した恐ろしい武器であるのだ。 「ふっ」  俺は腹から包丁を抜いた。死んだ俺の一部でシンボルとなったが故に、抜いても俺にダメージは無かった。  月光を反射して怪しくも美しく光る(やいば)。魅せられた俺の気持ちが高揚した。 「沙穂ぉぉぉ!! 愛してるぅぅ!!!!」  絶叫した俺は振りかぶり、包丁を力いっぱい投げ付けた。少し先を行くババアへ向かって。  グサッ。包丁の刃はババアの尻に深々と沈んだ。 「ぎゃおー!!!!!!」  ババアがもんどり打って倒れた。しばらく手足をジタバタさせていたがやがて静かになった。  伝説の四つん這いババアが倒れた瞬間だった。 「……闇へ沈め」  戦いを制した俺は中二病全開の台詞を手向けとした。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加