譲られた権利

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譲られた権利

 俺はコーポあぐれっしぶの敷地内へ入った。途中で数体の死霊がぐったり地面に寝転がっていた。先を行った白Tシャツ男に倒されたのだろうか。アイツはガタイが良いから喧嘩も強そうだ。  そしてその白Tシャツ男は、202号室の前で腕組みをして立っていた。廃病院で負けた記憶が蘇って嫌な気持ちになったが、まだ降霊開始の時刻である午前2時にはなっていない。つまり白Tは事を起こしていない。  ここで奴を倒せば俺が単独で沙穂の元へ行ける。千載一遇の好機だ。  ババアの尻から回収した包丁を構えて距離を測る俺に対して、白Tシャツ男は静かな口調で質問をして来た。 「……サホというのは、おまえの飼っていた犬か猫か?」  ババア戦の時の叫びがコイツの耳にも届いていたか。しかし何でそんなことを聞く? 「違う」 「では飼っていた金魚の名前だな?」 「そんな訳無いだろう」  金魚の名前をシャウトして伝説の妖怪と戦う奴が何処の世界に居るんだ。  そういえば死んでから三ヶ月、白Tシャツ男とは何度も会って競ってきたが、話すのはこれが初めてだな。そんなことを考えながら俺は正解を伝えた。 「沙穂は俺の恋人で、同棲相手だった女だよ」 「恋人……」  白Tは爽やかなイケメンフェイスを曇らせた。どうしたよ? 「この部屋に住む女性がそのサホさんなのか?」 「そうだ。俺はアイツに伝えなきゃならないことが有るんだ。だから今回ばかりは絶対に引けない!」  俺は包丁を握る手に力を込めた。外見が変貌していた妖怪ババアと違って、死者とは言え人間に見える相手を刺すことには躊躇(ためら)いが有った。 (迷うな。一度死んでいるんだ、二度死なせることにはならない。コイツを倒さないと沙穂の元へ行けないんだから……)  覚悟を決めて唇を噛んだ俺に、白Tシャツ男は顎で部屋のドアを指して言った。 「行け」 「…………は?」 「行けと言っている。他の死霊が来たら俺がここで食い止めてやる」 「え……」  思いがけない台詞だった。 「俺を手伝うのか? そんなことしてアンタに何の得が有る?」 「いいから早く行け。もうすぐ2時だ」  腑に落ちなかったが、俺は入口の扉をすり抜けて室内へ入った。今は沙穂が優先だ。  入ったとほぼ同時に室内灯が消された。時間になったのだ。  暗闇の中で降霊の儀式が始まった。 「宮島悠弥(ミヤジマユウヤ)、宮島悠弥、宮島悠弥……」  懐かしい声が俺の名前を優しく呼んだ。忘れもしない、この声は沙穂だ。いろいろな感情と彼女との思い出が鮮明に蘇ってきた。  感慨深いがぼうっとしていられない。沙穂と会う準備をしなくては!  俺は口元の血を(ぬぐ)い、腹の傷はジャケットを閉じて隠し、包丁は尻側に刺して見えないようにした。大丈夫、包丁は俺の一部となったのでダメージは受けない。大事なことなので二度言った。  暗い室内に小さな明かりが灯った。沙穂が携帯電話の電源を入れ直したのだ。 「……………………」  液晶画面を見つめる沙穂の横顔を見て目頭が熱くなった。たった二ヶ月前まで二人で過ごした部屋。それが遠い昔のように思えてきた。  くだらない話をして笑い合ったな。一緒に台所にも立った。料理はお前の特技だったが、掃除は俺の方が要領良かったよな。  もうあの頃には戻れないんだ……。そう、だから沙穂、おまえは前へ進まなくちゃいけない。  彼女は俺からの電話を待っている。応じてやらなければ。  でも寂しい。  儀式を完成させたら今度こそ本当の別れが訪れる。  覚悟を決めてここまで来たのに、寂しいよ沙穂。やっぱり俺もおまえとずっと一緒に居たかったよ。  決心が鈍る。最後の一歩が踏み出せないんだ。
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