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きっかけは、はっきりとは思い出せない。
朝食の用意が遅かったからかもしれないし、母に向かって父が投げつけたコップが、壁に当たって割れたからかもしれない。
あるいは、お前もあの火事で燃えてしまえばよかった、と言われたからか。
気が付いたら、両親の頭をバットで砕いていた。
だが、いつかはそうなるだろうと、ずっと思っていた。
二十年前……否、それよりずっと前から、俺はあの両親のことなど、何一つ顧てはいなかった。
世間もそうだ。あれから一ヶ月は経ったのに、アイツらが死んだことにすら気付いていない。俺が家からいなくなっていることにすら。
けど兄貴は、最期まであの両親を理解しようとしていた。
だから、俺ではなく、兄貴が生きていたなら、と思ったのだ。兄貴なら、あんな父と母でも、愛することが出来ただろうから。
だが、私の目の前にある、火傷をした兄貴の手は、一つの事実を指し示している。
俺を助けたのは兄貴だ。
あの火事に飛び込み、幼い俺を引っ張り上げたのは、二十年の時を重ねた兄貴なのだ。
俺によって助けられた兄貴は、やがて成長した後、この場所へと帰ってくる。そして俺に代わり、幼い俺を救うのだ。
俺と兄貴は、そうやって代わる代わる、お互いを助け続けているのではないか。この黒い棺の中身を、幾度となく入れ替えているのではないか。
何故。何故俺なんかを助ける? 俺を想ってくれたのか。あの公園の時のように。
違う。直感だが、恐らくそうではない。
俺と同じなのではないか。兄貴ですら、あの両親を受け入れることが出来なかったのではないか。
だから俺を頼ったのだ。
だから俺に押し付けたのだ。
今の俺が、兄貴にしようとしているように。だから俺は、兄貴だけを助けようとしたのではないか!
兄貴に生きていて欲しかった。
兄貴なら上手くやってくれると信じていた。
兄貴に全部押し付けたかった。
この世界から逃げ出し、後始末を任せてしまいたかった。
頬を涙が伝う。
何故そんなことが許されると思ったのだ。俺がやりたがらぬことを、兄貴ならやってくれるなどと、本気で思っていたのか。
あの日、公園で言っていたではないか。俺を一人ぼっちにしないでくれ、と。そんなことすら、俺は忘れていたのか。
「兄貴」
返事はない。幼い兄貴の片手は、幼い俺の手をしっかりと握っていた。
「ごめんよ、兄貴。俺が間違っていた……いや、兄貴もか。俺たちは二人して間違えていたんだ。
自分が逃げたいだけだったのを、兄弟を助けたいから、なんて言って……。
大丈夫だよ、もう押し付けたりしない。兄貴、二人で逃げよう。生きる事が最上の喜びだなんて、そう思える奴だけが思ってればいい。そうだろう……?」
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