左目は夏の終わり

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左目は夏の終わり

時々、視界がボヤけて見え始めた。 僕はまだ高校一年生。 バアちゃんの白内障とか、母さんの飛蚊症とか、 そういうのとは違うはず。 どうやら右目と左目で違う景色が見えるぞ。 そして、左目に映る世界は少しだけ未来に起こることのような……? 例えば、 三日後の『教室の窓を打つ突然の雨』の風景。 五日後の『自転車がパンクして塾に遅刻する』アクシデント。 一週間後の『炊飯器が故障して晩ご飯が餃子と食パンになる』事件。 軽いトラブルばかりだな。 「おや?」と思うと、そんな『未来の光景』が左目に見えているのだ。 「これって重症化したらどうなるの?」 未来に起きる戦争を予言できちゃうとか? 人類滅亡の危機を防ぐことができたり? そうなったら……ノーベル平和賞かも? 僕は、次の次の一万円札に描かれた自分の肖像画を妄想した。 「聖徳太子→福沢諭吉→渋沢栄一→富山亮平」 すげー並びだな! いや、そんなことを考えている場合じゃない。 とにかく、今やるべきことは? 偉い大学の教授にSNSでこの症状について尋ねてみる? でも、それで噂が広まったら? 山奥のヒミツの研究所に閉じ込められて、一生実験台にされたり? それは困る! かと言って、眼科で相談する症状でもないし。 「きっと時間がたつと治るだろう」 僕はそうタカをくくることにした。 「まあ、治るまで待つしかないな」 と、ノンビリと構えながら。 でも……不便だ! 「未来のことが予測できて便利かも?」 そう思ったのは最初だけだった。 『帰り道、どしゃ降りの雨の中をずぶ濡れで走っている』 そんな映像が左目に見えた日から、折畳み傘と置き傘を準備しておいた。 すると数日後、うまく雨に濡れずに家に帰れた。 それどころか、片想いしている山田さんに置き傘を貸すこともできたのだ。 超ラッキー! しかし、それは珍しいケースだった。 トラブルを事前に予測できたところで、余計面倒になることが分かったのだ。 それは、教室で僕の斜め前にいる槙原君のこと。 近い将来、『担任の鈴木先生に激怒されている』。 突然、そんな槙原君の様子が左目に映った。 「何をやらかしたのだろう?」 宿題を忘れた? それとも、テストでカンニング? 右目に映る「現在の教室」では、槙原君は普通に授業を受けている。 だが、数日後には鈴木先生の逆鱗に触れることになるのだ。 どういう理由かは分からないが。 この商業高校には男子生徒が圧倒的に少ない。 特に僕ら一年A組のクラスにいる男子は、僕と槙原君の二人だけ。 親友ではないけれど、槙原君は唯一の話し相手だ。 「できることなら助けてあげたい」 こっそり何が原因なのか探ろうとする……。 右目を閉じて、左目に映る視界に集中する。 『槙原君の机の上に何か一枚の紙が置かれている』 その紙がヒントになるに違いない。 でも、僕の左目に映るのは僕の脳内だけの映像だ。 なので、僕がどんなに首を振っても見える角度が少し変わるだけ。 「いっそ立ち上がって、槙原君の机に近づきたい!」 そんな衝動に駆られるが、授業中に急に立って歩き回るのはヘンだろ? それでもどうにかヒントを掴もうと、僕は首をカクカク動かしてみた。 自分でも奇妙な動きをしているのが分かる。 「教室内に挙動不審者、一名!」と、誰かに動画を撮影されそうだ。 結局その日は何も分からず、槙原君に注意もできないまま終わった。 突然、槙原君が鈴木先生に怒られた。 僕はこの光景を予測していたのをすっかり忘れていた。 左目で見たのは、もう二週間ほど前のことだ。 「助けられずにゴメンな、槙原君!」 僕は心の中で両手を合わせて謝った。 怒られた理由は山田さんに「脅迫状を手渡したこと」だった。 「えッ、脅迫状?」 「それを山田さんに……?」 「手渡した!?」 僕らクラスメイトの大半は先生の話にキョトンとなった。 先生にこの問題を告発したのは山田さんと仲の良いグループのようだ。 そのメンバーの数人が振り返り、真剣な目で槙原君を睨みつけている。 「脅迫状の正体」は槙原君が書いた山田さんへのラブレターだった。 だけど、その書き方がまるで「脅迫状」だったのだ。 「オレと付き合わないと一生後悔させてやる」 「一生後悔させてやる」? これは、たしかにヤバい。 とりわけ担任の鈴木先生は国語の教師だ。 いくら槙原君に脅迫するつもりがなくてもスルー出来なかったのだろう。 終礼の時間、みんなの前で公開で叱られた槙原君に僕は同情した。 いつも自信マンマンで野心家の槙原君のことだ。 本当に伝えたかったことは僕には分かる。 「オレと付き合わないと(将来ビッグになるから、後悔することになるぞ。断っても構わない。だが、オレは絶対に成功を掴んで山田さんを)一生後悔させてやる」 そういう熱い想いをギュッと圧縮して、あの一行になったに違いない。 僕の左目に見えていた『槙原君の机の上の紙』はそんな山田さんへのラブレターだったのだ。 ただ、槙原君にあらかじめ救いの手を出さなくて良かった。 槙原君の恋が破れた。 ということは、ライバルが一人減ったということ。 同じく山田さんに恋心を抱いていた僕にとって、それは朗報だった。 早速、僕は山田さんへのアプローチを考えることにした。 夏休みが始まる前に何とか告白して、楽しい夏休みを二人きりで過ごしたい。 浴衣を着て花火大会に一緒に出かけられたら……。 それは最高の青春の一コマになるはずだ。 そのためには、まず告白を成功させないといけない。 今はまだ六月半ば、時間は一ヶ月以上ある。 「焦るな!」 ただ、ラブレター作戦はヤバイ。 槙原君がやっちまった後だ。 山田さんはきっとラブレターを渡されることがトラウマになっているだろう。 だとすると……? 『直接、告白する』 頭に浮かんだアイデアと、左目に見えた映像がシンクロした。 今、たしかに僕は山田さんに向かって『告白』していた。 早ければ数日後に、僕はどうやら告白のチャンスをゲットするようだ。 で、その結果は!? しかし、左目に映る山田さんはなぜか後ろを向いていてその表情は見えなかった。 それでも、伝える想いはただ一つ。 「好きだッ」という気持ちだけだ。 僕は当たって砕けろの精神で『告白の日』を待つことにした。 何も準備しなくても左目に見えた『未来』は近いうちに、必ず起こるのだから。 細かい計画も手の込んだサプライズも考えなくていい。 僕は成り行きに身を任せようと決めた。 それから、あっという間に一ヶ月が過ぎた。 「何も起こらないじゃないかッ」 余裕で構えていたが、夏休みまであと数日しかないぞ。 焦りで背中がジリジリしてきた。 「こうなったら自分で勇気を出して告白するか?」 そう思い始めた放課後、突然『その日』はやって来た。 帰る方向が一緒の山田さんが声をかけてきたのだ! 「借りた傘、返したいんだけど……」 「あ、そんなことあったね!」 僕はずっと覚えていたけど、なぜか忘れたフリをしていた。 もちろん、心の中では「待ってたぞ!」と小躍りしたけど。 どうやら山田さんはクラスのみんなに気づかれずにこっそり傘を返したいらしい。 なので、「家まで一緒に来て」と言うのだ。 これって……? もしかして、僕に特別な意識があってクラスメイトの目を気にしているとか? または、単純に僕のことが嫌いで教室で傘を返しづらいのかも? でも、そんなに嫌いなら僕から傘を借りなかっただろうし、「家に来て」とは言わないはずだ。 きっと、悪い流れじゃない! 僕はドキドキしながら山田さんと一緒に帰った。 この後、「今が告白のタイミング!」という瞬間が訪れるに違いない。 僕はその瞬間を逃さないように、進む道の先に目を凝らし「ここかな?」という場所を探していた。 すると、遠くの電柱の陰に人影が……。 「槙原君じゃん!」 僕は全身の毛が逆立つほど、ゾッと寒気を感じた。 体格のいい槙原君は隠れているつもりでも、体の半分が電柱から見切れていた。 最悪だ。 うっかり「今だ!」と告白したら、「おいッ!」と槙原君が出て来るところだった。 一ヶ月前、あんなことになった槙原君。 真剣にラブレターを書いて大炎上した槙原君。 そんな彼の目の前で山田さんに告白したら、僕は一生恨まれそうだ。 これで、山田さんが『なぜか後ろを向いていた』ナゾが解けた。 僕が告白した途端、きっと槙原君が乱入してくるのだ。 あの時見た左目の映像は「告白を失敗するなよ!」という神様からの警告のサインだったのだろう。 「神様、ありがとう!」 僕はすぐに山田さんに声をかけた。 「ちょっと忘れ物を思い出した! 一緒に取りに戻ってくれない?」 山田さんが眉間にシワを寄せた。 「どうしてアナタの忘れ物に巻き込まれなくちゃいけないの?」という表情だ。 それもそのはず、通学路は日陰のない七月半ばの炎天下だ。 すでにずいぶん歩いてきて、もう一度高校まで歩いて戻るなんて正気の沙汰じゃない。 しかし、槙原君が隠れている電柱まであと数十メートル。 僕は絶対に告白をジャマされたくなかった。 「行こうッ!」 僕は思い切って、山田さんの手を引いた。 告白はここじゃなく、学校に戻ってからだ! 後で槙原君に何と文句を言われたって構わない。 恋を成就するための決死のUターンだった。 山田さんの細い手首を握り、歩いてきた道を戻ろうとする僕。 その時だった。 僕の左目に……! 『浴衣を着て並んで歩く山田さんと槙原君の後ろ姿』が見えた。 楽しそうに笑っている山田さんの横顔。 その隣の、デッカイ槙原君の背中。 そんな青春の一コマがゆらゆらと揺れる蜃気楼のように僕の左目に映っていた。 「どうしたの?」 急に立ち止まった僕を心配して、後ろから山田さんが声をかけてくれた。 本当に「どうしたの?」だ。 「忘れ物を取りに帰る」と言い出して、学校へ戻ろうと一歩踏み出してそのまま動かなくなったのだから。 でも、僕の足はそれ以上前へ進むことができなかった。 左目に映る『二人』があまりに楽しそうだったから。 きっと近い将来、槙原君は再び告白にチャレンジして成功するのだろう。 そして夏休み、浴衣を着て山田さんと一緒に花火大会に行くのだ。 僕は左目に映った『現実』を認めなければならなかった。 でも……その未来って、変えられないの? だって、その『現実』はまだ起こっていないのだから。 そうだ! 今、振り返れば山田さんが目の前にいる。 槙原君は、きっとまだ電柱の陰に隠れたままだ。 「今が告白のタイミング!」 僕は振り返って山田さんを見た。 「好きだッ」 と、大声を上げながら、僕の視線は途中から山田さんの背後に立っていた槙原君へと移っていた。 至近距離で鬼のような形相で睨む槙原君。 うわッ! バッチリと目が合った。 「えッ?」 と、振り返る山田さん。 「キャーッ!!!」 響き渡る山田さんの絶叫。 僕はその悲鳴を聞きながら、掴んでいた山田さんの手首をそっと放した。 その後の記憶はぼやけている。 僕と槙原君に挟まれた山田さんは怯えた表情ですぐにダッシュで帰ってしまった。 山田さんに逃げられて、槙原君は仕方なくまた僕を睨んだ。 そして、僕は? 「か、傘を返してもらうことになって……」 そんなことを口走ったような。 「好きだッ」と叫んだことはなかったことにして、槙原君に何かモゴモゴと言い訳をした気がする。 そして、気がつけば……。 いつも一人になりたい時に来る高台の公園のベンチに座っていたのだ。 夕暮れの空を見上げる。 右目だけで。 きっと、左目を開けば『涙で濡れている』景色が見える気がしたから。 多分、左目に映るのは『夏の終わりの空』だろうと思った。 夏休みが終わった。 僕の高校一年目の夏休みは、中学時代と変わらず平凡に過ぎていった。 想いが通じなかった告白の日から、左目の『未来』はパッタリと見なくなっていた。 二学期に入り、僕は驚いた。 槙原君の好感度が劇的なⅤ 字回復を遂げていたのだ。 あんなに非難の的になったラブレターを書いた槙原君だったのに……。 どうやら、その理由は山田さんと過ごした花火大会にあったようだ。 他校の生徒たちにちょっかいを出されたが、持ち前の男気で蹴散らし追い払ったらしい。 見事に山田さんを守った槙原君に対するクラスの評価は一変した。 もしかすると、槙原君は本当にビッグになる人物かもしれないぞ。 僕は本気でそう思った。 次の次あたりの一万円札の肖像画は槙原君だったりして! 一方の僕は……? というと、一つニュースがある。 久しぶりに左目で『未来』の映像を見たのだ。 それは、学食で目当てのカツサンドが「売り切れ」だった時のこと。 『広い社員食堂で、食べたかったカツカレーが売り切れていた』 そんな映像が見えたのだ。 これってもう「近い未来」の光景じゃないな。 おそらく、十年か二十年後に起こる『出来事』だろう。 それにしても……。 僕はその映像のつまらなさに、つい嘆きそうになった。 槙原君はあんなにキラキラとした青春を謳歌しているというのに! それでも、左目に見えた『社員食堂の雰囲気』は悪くなかったぞ。 僕はなるべくポジティブな要素を抽出して、前向きに考えることにした。 きっと、大きな会社に就職して安定した収入を得られているのだろう。 そう思わないと、やってられない気がしたのだ。 僕は次に見える『未来』に期待した。 それからしばらくたって、また左目に映像が流れた。 やっぱり学食に行って、目当てのカツサンドが「売り切れ」だった時のことだ。 『定食屋のシャッターに貼られた「閉店しました」のお知らせを見てガッカリしている』という光景だった。 何だよ、その地味な『出来事』は!? 古めかしい定食屋だった。 「昔、よく通ったなぁ」なんてしんみりするシーンだろうか? 焼き魚定食やオムライスなどのメニューサンプルを名残惜しそうに見つめている僕。 ガラスに反射して映る僕の顔はずいぶん年老いていて、おでこの生え際も少し後退しているような……。 おいおい、これってもう五十年後とかの光景だろ? もっと他に重要なシーンがあるはずじゃないのか? 「ホントに何もない人生だなッ!」 僕は思わず自分自身に悪態をついてしまった。 そろそろ体育祭の練習が始まる時期だ。 校庭のセミの鳴き声もずいぶんトーンダウンしてきた。 放課後になると「リリリリッ」と聞こえてくる秋の虫の声。 通学路に吹き抜ける風の熱も少し落ち着いてきたように感じる。 ホントにホント、夏の終わりだ。 僕は家に帰って裏庭の縁側に座り、一人空を見上げた。 もくもくと立ち上がる入道雲。 おそらく、今年最後に見る夏の雲かもしれない。 高校生になって最初の夏、何の予定もなく過ごした日々を振り返る。 『未来』を変えることはできなかった。 僕が声に出した「好きだッ」はどこへ行ってしまったのだろうか? デッカイ槙原君の体にぶち当たり、粉々に砕けてしまったのか? それなら破片だけでもいいから、少しは山田さんの心に引っかかってくれていたら……。 あれから左目に見える『未来』はしょうもない僕の人生を物語っていた。 あまりにも何もなさ過ぎて、一気に五十年後くらいまで飛ぶしかなかったのだと思う。 誰かに自慢できる『明るい未来』を見るチャンスは、もうないのだろう。 ふと、隣に視線を感じる。 誰もいないはずなのに。 ン? 左目か……? 右目を閉じて、ゆっくりと左目だけで隣を見る。 そこに、浴衣姿の女性が座っていた。 袖口から見えるのはシワシワの細い指の手。 おばあちゃん? おそるおそる視線を上げて、顔を見る。 もしかすると幽霊……? と、思ったら、山田さんだった! 僕を見て、にっこりと微笑む山田さん。 おばあちゃんになった山田さんも、相変わらずステキだった。 これって……。 僕、将来山田さんと結婚するの!? 「信じられないッ」 そして、ふっと左目の『未来』は消えた。 幻のようだった。 僕は呆然としたまま、もう一度夏の終わりの空を見上げた。 (了)
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