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 やがて市中では洋装にブーツを履く役人達が現れ、それは一般の民にも広がっていった。清一郎はその様を見るたびにあの無骨な握手と人懐こい笑みを想い出した。清一郎自身もいつも着物にブーツを履いて、市中を歩いた。堂々と胸を張って、時代が変わりゆく様を今は亡き彼とともに歩いた。  やがて仕事一途だった清一郎も歳を経てからようやく気立ての良い娘と知り合い、所帯を持った。その子供が産まれ、店主の魂もまた子へと受け継がれていき、時代は明治から大正、昭和、そして平成へと移り変わった。店は”鳩目靴工房”と名乗るようになり、やがて”あなたの人生に寄り添う靴を”というその経営理念は今の令和の世を生きる無口だが腕の良い若き店主にも受け継がれることになった。  そして新しい時代を清一郎のブーツを履いて歩くことができなかった坂本は今、清一郎と共に天界にいる。  清一郎と並んで彼が作ったブーツを履いてゆっくりと散歩をするのが日課だ。途中で清一郎と寄り添いながら下界を見下ろす。その先にはいつも鳩目靴工房があった。海岸通りを入った商店街の中に今もそれは立派な看板を掲げている。 「お前の孫、新しいサービスを始めたようだぞ。オーダーメイドをした客に靴をもう一つ作ったようだ。採算は取れるのか?」 「好きにやればいいんです、新しい時代は今を生きるあいつが好きに作ればいい。昔、坂本さんを捜しに行ったことをおとっつぁんが世間から隠してくれたように、俺は彼を信じて見守るだけです」 「そうだな、同志よ。まずは信じることからじゃ。そこからあらゆる未来が産まれる。始まるんじゃな。俺は道半ばだったが、お前がその世界を広げてくれた。今はみなが当たり前のように靴を履くようになった」  二人は鳩目靴工房からにこやかな顔つきで出てくる母親と娘が手にしたトーシューズを見つめ、優しげな笑みで顔を見合わせ、またのんびりと天界の花畑の散歩を続けた。咲き乱れ美しく薫る花の中を天使と似た羽を生やした白い天兎(あまうさぎ)が二匹、おいかけっこをして戯れている。  下界の工房の中では清一郎に面影のよく似た若者が一人黙々と椅子にこしかけ、靴を作っている。次のオーダーメイドのハイヒールに取り掛かっているのだ。靴に向けるその視線と指先にはただ熱があって迷いがなかった。
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