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「なんじゃ、主は?」  男が自分を見つめた。この男があの坂本龍馬か。声をかけた鳩目清一郎の胸はときめいた。坂本の名は江戸市中にも広まっている。どうやら長崎で船を中心とした運び屋のような仕事を始めたとか、倒幕しようとする輩の中心人物であるとか、暗殺を企てる者がいるだとか、いろんな噂が商人たちの間で飛び交っていた。清一郎は自分とは違い自由に生き生きと動ける坂本に憧れを抱いていた。かつて長州藩の藩士であったが脱藩し、新しい世の中を作るために奔走していて、どうやら同い年であると伝え聞いてからは勝手に親近感を持っていた。 「あっしは清一郎と申します。ここの長子であり、ゆくゆくは店を継ぐために履物作りを父から教わっています」  清一郎は筋が良かった。ゆえに父の技術は早々に身に付けてしまっており、今はそれ以上のものを求めるようになっていた。ゆえに店の仕事に少し飽き飽きとしていた。  また珍しいものが好きな性質もあり、靴と言われるものを足に異人が履いていると聞くと居ても立っても居られない性質で、長崎から来たという知り合いの商人が自慢げに持っていた靴を見て以来、その靴ならびにそれを履く世界のことを知りたいと願う好奇心旺盛な青年だった。清一郎は世界に興味の深い坂本の噂を聞き、一度会ってみたいと常々思っていたところに、当の本人が客としてブーツを作りたいと願い、突然来店したわけである。 「これを運命(さだめ)と言わずしてなんと云いましょう。坂本殿、そのブーツとやらをぜひ、あっしに作らせてはもらえませんか?」  坂本は清一郎のその言葉を聞くなり、初めて会ったというのに、清一郎の両手を掴みぶんぶんと上下に振った。ほとんど乱暴な握手であったが、彼は幕府の膝元であるこの江戸市中では敬遠されがちな自分の来訪を運命(さだめ)と好意的に受け取ってくれた清一郎の言葉が心底嬉しかったのである。
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