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 それからひと月経って、坂本の置いていった牛革は立派な黒いブーツとなって生まれ変わった。それは、清一郎の部屋の中でのみ夜な夜な姿を変えて生まれ変わっていったのだ。  しかし、裏庭で早朝に交わした坂本との約束は果たされることはなく、ふた月、み月経っても坂本は再び店に現れることもなく、日々が過ぎていった。  あの熱心さゆえに坂本が店に来るという約束を破ることはないと信じたかったが、彼は忘れてしまったのだろうか。靴を取りに来るよりも、もっと大事なことが坂本の身に起きたのか。  清一郎は日々が過ぎるごとに、坂本との一夜の会話が鮮やかに思い浮かんだ。乱暴な握手も人懐こい笑顔も、あれは清一郎だけに向けられたものだ。忘れることができようか。この靴は誰かではなく、坂本に履かれなければ意味がないのだ、そういう想いに至った清一郎は店主である父に暇を願った。  父もそして母親も息子を心配し行くなと止めたが、清一郎は夜半に家をこっそりと抜け出し、坂本を訪ねて彼の足取りをたどる旅に一人出た。店主は姿の見えない息子がどこに行ったのかを悟ると、流行り病に侵されているのだと清一郎の不在を問う客や近所に嘘をついた。
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