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「なんだ、この家」
狭い部屋は背の高い棚に囲まれていた。その棚全てに大小さまざまなぬいぐるみが飾られている。
「…………」
自分の上の階がこんな不気味な部屋だとは思わなかった。
一応ベランダも確認したみたが、古い洗濯機が一台置かれているだけだった。
「クソがっ!」
せっかく勇気を出して人の家に入ったっていうのに!
腹いせに洗濯機を蹴りあげてしまった。すると胴体が凹み、ホースがはずれ、蛇口から水が噴き出した。
「…………」
虹ができそうなほどの水しぶきを無視して、部屋を物色することにした。ここの住民はたまにしか帰ってこない。それはたまにしか鳴らない足音で確認している。
ぬいぐるみの奥にあった引き出しに、わずかに洋服があった。洋服は男物だった。その内の一つのシャツの胸ポケットに名刺が一枚入っていた。
「……高屋天彦」
アシカガ製作所? 聞いたことのある会社だ。たしか家電や電子部品を作ってる会社のはず。これがここの住民のものだとするなら、かなりいいところに勤めてるんじゃねーか。
でもそんな奴がこんなボロアパートに住むか? と考えていると、あることを閃いた。
せっかく勇気を出して空き巣に入ったのに、タダで帰るわけにはいかないだろ。
古びた畳にしゃがみ込んで煙草に火を付けながら、名刺に書かれた電話をかけた。煙草が短くなって消す寸前になったところで、ようやく繋がった。思わず煙草をベランダに投げ捨て、笑顔をなってしまった。
「あのー、ひまわり荘にお住まいの高屋天彦さんですか?」
『……そうですが、どなたですか?』
やった! 大企業だ!
「お宅の下の階に住んでる者なんですが、さっきからベランダの天井から雨漏りしてまして」
『えっ⁉』
電話の向こうの男は驚いた声を上げた。
「たぶん水漏れしてると思います。申し訳ないんですが、すぐに戻ってきて頂けませんか?」
『……わ、わかりました』
虹ができているベランダをそのままにして部屋を出て、針金を駆使してドアに鍵をかけた。
自分の部屋から壊れてから随分経つカメラを持ち出し、上の階の部屋の前に戻って手すりにもたれて煙草を吸っていると、三十分ほどでバタバタと階段を駆け上がる音が聞こえた。
階段を上りきり、現れたのはタンポポの綿毛のような男だった。
「す、すみませんでしたっ!」
男は頭を下げると、すぐに頭を上げ、鞄から鍵を出し、部屋に入った。
煙草を吸いながら待っていると、男が部屋から出てきた。
「……申し訳ありません。洗濯機が壊れたみたいです」
男が頭を下げると、毛量の多い髪がもさっと揺れた。ついでに眼鏡も落ちそうになり、慌てて手で押さえている。
たぶん二代半ば。俺とそんなに年齢は変わらないだろう。どう取り繕っても田舎臭さが消えない、垢抜けできなさそうな男だった。
吸っていた煙草を足下に落とし、靴で火を消しながら、またつい笑顔になってしまった。
「天井の方は明日大家に来てもらって調べてもらいます。ですがこのカメラが雨漏りで濡れてしまったんですよ」
「…………」
「弁償してもらえますか?」
「ベランダにカメラを置いていたんですか?」
「古いので日干しをしていたんです」
気弱そうな男は、口をぽかんと開けてしばらくこちらを見ていたが、我に返ったのか、眼鏡の真ん中を押さえながら俺に聞いた。
「あの、下に住んでいる方ですか?」
「はい。先日引っ越してきたばかりです」
男はパチパチと目をしばたいた。
「……あの、僕の電話番号はどうやって?」
「大家から聞きました」
「大家から」
「はい。電話で聞きました」
こんなタンポポみたいな男なら騙すのは簡単だ。強引にいけば何とかなるだろ。俺はもう犯罪でも何でもして生きてやるって決めたんだ。稼げるところから少しでも稼いでやる。
男は、自分より頭一つ分背の高い俺をじっと上目遣いで見つめていた。
「あの、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「柳田と申します」
初めて人を騙すために笑顔を作った。
電話が鳴っている音で目が覚めた。
「…………」
時計を見ると、まだ朝の八時だった。……誰だ、こんな時間に。さっき寝たばかりなのに。
枕元に置いていたスマホを手に取り、確認すると、昨日会ったばかりの男からだった。
「……はい?」
「あの」
やっぱりこの自信なさげな声は上の階に住む高屋天彦だ。
「カメラの修理費を今日直接お支払いしたいのですが。できれば職場の近くまで来て頂けませんか?」
「……今日?」
「はい」
「行きます!」
ガッツポーズをしたのは久しぶりだった。
やった! 成功した! こんなに簡単に金が手に入るなんて、もしかしたら詐欺師の才能があるのかもしれない。やった! タンポポ大好き!
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