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「嫌じゃ、嫌じゃ」と左右に振られていたカピパラ様の頭が不意に止まった。
何かを見つけたその小さな瞳は、突如、嬉々とした輝きをみせる。
視線を追っていくとその先にあるのは、仁美が持って来てくれたバウムクーヘンの箱。
慌てて私が箱を手に取ると、小さな顔も一緒に持ち上がった。
長い前歯が覗く口元からは、つーっと涎が滴り落ちてくる。
箱に吸い寄せられるように近づいてくるカピパラ様は、自身の体がカウンターの端まできてしまっていることに気がつかない。
更に私が箱を遠ざけると、カピパラ様の短い前足が何もない空間に1歩踏み出した。
「……カピー!」
情けない声と共に、小さな体がフロアタイルの床の上にごろりと転がっていく。
逆さになってジタバタしているそれを見下ろしながら、私は大きなため息をついた。
「……空中に浮いてたりとかはできないの?」
「……お前はそんなことできるのか?」
「いや、できないけど、神様でしょ?」
「神でもできることとできないことがあるんじゃ!」
じゃあ、カピパラ様にできることって何があるんだろう……。
そうも思ったけれど、仕方がないので足元に転がるそれを両手で持ち上げると、そっとカウンターの上に乗せてあげる。
「ふー、とんだ災難じゃったわい」
お礼も言わず、カピパラ様はふんぞり返ってみせた。
うーん、これはどうしたもんだろう……。
目の前にいる茶色い生き物はどう見たって幻には見えないし、さっき持ち上げた際に手のひらに伝わってきたゴワゴワとした毛の感触もリアルだ。
何か特別な魔力を持っている訳でもなく、何かお告げのようなものを授けてくれる訳でもなく……。
正直……、いらないかな……。
私は目の前に広がっている非現実から目を背けようと、バウムクーヘンに手を伸ばす。
小袋を開けるとふわりと甘い香りが辺りに広がった。
カピパラ様が鼻をヒクヒクさせながら近づいてくる。
その黒い瞳は、足元を見ることなく真っ直ぐ焼き菓子に向けられていて……。
短い前足が再びカウンターの端まで到達する。
カピパラ様の小さな頭の中には「失敗から学ぶ」という言葉は存在しないらしい。
「……ちょっとだけだよ」
私はバウムクーヘンを千切ると、カウンターの端に置いてやった。
残りの焼き菓子を口に運ぶと、優しい甘さが口いっぱいに広がってゆく。
「まあ……。可愛いから良いか……」
口の周りにバウムクーヘンの欠片をいっぱいつけて、はむはむと夢中で焼き菓子にかぶりつく茶色い生き物を見ながら、私は小さく呟いた。
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