49人が本棚に入れています
本棚に追加
「好きにするといい」
屋敷に戻り、一日の仕事の大半を終えたあと、地下の執事専用の個室に向かう。その直ぐ隣がワインセラーとなっている部屋だ。
部屋を訪れれば、タイを解いていた父オスカーはそう返してきた。予想通りだ。
「では、そのように…。準備が整い次第、来週からでも来てもらいます。住み込みにはなりますが、週末は帰るようになります。家に体調のすぐれない親族がいるので…」
「分かった。歳と経験は? どれくらいだ?」
「歳は十七歳。じきに十八歳になります。元々両親が農場を管理していたため、幼い頃から家畜の世話や農業には詳しいです。特に馬の扱いには特に慣れていると…」
レヴォルト家に仕事を追われたとは口にしはしなかった。耳に入れた所でいい情報にはならない。
父の場合、同情を示すより、恨んでいるのではと警戒をする可能性の方が高いのだ。
「そうか…。少し若いが、能力があるなら問題ない。それに見合った給与にしよう。暫く経ってキエトにも様子を聞く。それでいいようなら本採用だ」
「有難うございます…」
軽く礼をしてその場を離れようとすれば、オスカーが思い出した様にシーンを呼び止めた。
「そうだ、シーン。ヴァイス様が呼んでいたぞ。後で部屋に来いとな」
「…分かりました」
「ヴァイス様は扱いが難しい。上手く立ち回れよ?」
「はい…」
父もそれはよく分かっている。
シーンと同じく、生まれた時よりその成長過程を見てきたのだ。どんな性質なのかは既に見抜いている。
ヴァイスには兄が二人いた。
二人とも明朗快活。人格に問題なく皆に慕われていたが、跡継ぎだった長男は戦争に駆り出され、戦地で行方不明、戦死とされ、次男は運転中、酔っぱらい運転の車と正面衝突し亡くなった。
当時、ヴァイスは十六歳。突然、後継ぎにされ。晴天の霹靂だっただろう。優秀な兄二人がいて、まさか自分にそのお鉢が回って来るとは思っても見なかったはず。
それまで、ヴァイスはシーンを兄のように慕い、当時通っていた全寮制の学校から帰って来れば、ほぼ一緒に過ごしていた。
従者と言う立場がそうさせていたのだが、個人的な相談に乗るなど、時折兄のように振る舞い、当時はその域を超えてた部分もあったかも知れない。
しかし、跡取りとして決まってからは、その勉学の為、シーンから離され、数人の家庭教師をつけられみっちりと仕込まれる事となった。
いきなりの窮屈な生活に、段々と不満を募らせたヴァイスは、あろうことか家庭教師らを篭絡し、そのほとんどを寝室で過ごすようになったのだ。
すぐにその関係が知らされ、当主のクライヴは家庭教師を様々変えたが、ヴァイスは男女年齢構わずそのたびに相手を誘惑し、上手く行かなければ適当な理由をつけ手ひどい罰を与え、屋敷から追い出した。
それは二年もの間続き。その内、学生時代からの悪友との夜遊びも再開しだし。元々、夜な夜な寮を抜け出しては、夜の街へ繰り出していたのだ。
手が付けられない。誰もがそう思った。
結局、最近になり、家庭教師の役をシーンが引き受けることでようやく収まったが。
シーンが優秀なのは誰もが認めるところで。しかも、ヴァイスを幼い頃から知っている。適任だとクライヴはその任をシーンに任せたのだ。
が、それはヴァイスが望んでいたことで。
単にシーンとの時間を邪魔されたくないがために、父の決めた家庭教師をみな排除してきたのだとは、後で知った事だった。
しかし、幾らそれが収まったからと言っても、ヴァイスは領主になる資質が欠けていた。兄二人が優秀過ぎたせいもあるのだろう。
比べると性格は真逆。人と打ち解ける事もなく、もっぱら己の好きな事にだけ没頭し、周囲のことなど顧みなかった。
しかも、他人──自分より身分の低いものには特に冷酷で。家庭教師らへの仕打ちでも見て取れた。
ヴァイスの代でこの屋敷も没落するだろうとは皆の噂だ。既に次の職探しをし出すものさえいる。
それは主のクライヴにとっても悩みの種らしく。親族の中から適任者を探そうとさえした。
それを知ってから、ヴァイスは余計に荒れるようになり。
元はと言えば自分の素行がもたらした結果なのだが、本人にその自覚はない。父を恨み、その周囲にいるものも恨み。自らを顧みる事はなかった。
急に押し付けられ、可哀そうと言えばそれまでだが。どうにか彼をまともに導くのが、彼にとっても皆にとっても望ましい事だろう。
しかし、難しいな…。
幼い頃より従者として仕えてきた。半ば兄弟のようにと言ってもいい。
家を継がないのであれば、少しくらい手を焼いても甘えても、見逃すことができた。
しかし、当主を継ぐとなってはそうはいかない。自分勝手、自己中心な思考をどうにか訂正しなければならないが、それはかなりの難題だった。
オスカーは小さく息を吐き出したあと、やや語気を強めて。
「お前の教育如何で今後の、レヴォルト家の行く末が決まると言ってもいい。頼んだぞ」
「分かりました…」
そう返し、父オスカーの部屋を後にした。
最初のコメントを投稿しよう!