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「それにしても、良かった…。これでシーンと今まで通り、二人きりだ」
ヴァイスは自室のソファに横になり、嬉しそうにそう口にした。そうして、夕食前のドレスアップの準備を整えているシーンに目をむけてくる。
一連の騒ぎを指しているのだろう。
ヴァイスは十八歳になった。
大人の年齢に近づいたとはいえ、まだ少年の初々しさを残し、母親譲りの美しい容姿を余すことなく晒していた。
溢れんばかりの美貌。雪の様に白い肌。漆黒の髪は光に艶めく。確かに美しい。三人いた息子たちの中で、群を抜いた容姿だった。
実は母親が兄たちとは違う。当主のクライヴが若い頃、長期間別の土地で領地の巡回にあたっていた際、身の回りの世話をしていたメイドに手をつけたのだという。
母親は別の場所で彼を出産し、死亡したと聞いていた。
よほど美しい女性だったのだろう。
成長した我が息子を、父クライヴは時折懐かしむ顔をして見ることもあったが、それも一瞬の事で。後は息子の素行を思い、深いため息をつくばかりだった。
「僕はシーンと一緒にいたいから、あんな事をしたんだ…。ねえ、シーン。シーンはどこかにいい人がいるの?」
シーンは真っ白なシャツをハンガーにかけ直しながら。
「…それが真剣に付き合っている相手がいるかどうかという問いなら、おりません。――ヴァイス様、そろそろお支度を」
「少しくらい遅れたっていい。…ねぇ、シーン。こっちに来て」
「…はい」
仕方なく手を休め、シャツをしわにならないようクロークにかけると、ソファに横になるヴァイスの元へと向かった。
シーンが側に来ると手を伸ばし、その手を掴む。冷たく見えた白い手は、その見た目とは裏腹に熱を帯びていた。
自分の手に絡む指先にシーンは少したじろいだが、表情には出さなかった。
「僕は、シーンが好きだ。ねぇ、僕を抱いてよ」
「……」
思わず返答に窮した。これはどう切り抜ければいいのか。
「僕は彼らとそうなりたいんじゃない。シーンとずっとそうなりたいと思ってた…。夜遊びだって一緒さ。シーンがちっとも僕に手を出さないから業を煮やして…。僕を好きになってくれたら、全部言う事を聞くよ? 嫌な勉強も頑張る。だから──」
絡んだ指先に力がこもり、引き寄せられる。思わずよろめいて床に片膝をついた。ヴァイスの顔がすぐそこにある。
「ヴァイス樣、何を──」
「…キスしてよ。シーンがキスしてくれれば、全てまるく収まる…」
口元に妖艶な笑みが浮かぶ。その笑みに思わずゾッとした。
自分が身を売れば、全てが上手く行く──。
本当だろうか?
実際そうだとしても、自身の気持ちを偽ることは出来ない。人を思うと言う事は、一番大切なことだ。偽りでは相手も自分も幸せにはなれない。
「…お戯れはそれくらいに。さあ、すぐに起きてご準備を。遅れればまたクライヴ様の心象を悪くします」
シーンはヴァイスの絡んだ指先を解くと、そこから立ち上がった。
「…つまらないな」
ヴァイスは身体を起こし舌打ちする。艶を放つ黒髪をかき上げながら。
「シーン。もっと軽く考えろよ。僕を抱けば仕事も屋敷もうまく回る。シーンの未来も安泰だ。それに、性的な欲求も十分満たされる…。全部いいこと尽くしじゃないか? 」
「私は…ヴァイス様をクライヴ様の大切なご子息だと思っています。弟とは言い過ぎですが…。恋人のようには思えませんが、家族のように大切な存在です。それでご満足いただけませんか?」
それは嘘ではなかった。
確かにヴァイスは例えるならかわいい弟、だ。少々、いやかなり出来の悪い──だが。
手のかかる子ほどかわいいと世間では言うらしいが、確かにそんな所もある。目が離せないのは事実だ。
だが、それと性的な対象として見るのとは訳が違う。どうやっても、ヴァイスをそういう意味で愛することはできそうになかった。
彼は一生、クライヴの子息、仕える主人。
その域をでないだろう。
「…できないね。僕は諦めが悪いんだ。シーンを絶対僕のものにする。振り向かせてみせるよ…」
「──お時間です。お支度を…」
熱の籠った眼差しを受け流す。
ヴァイスの性格が、執念深くしつこいことを知っている。先が思いやられると内心深いため息をついた。
夜の晩餐が始まる。
揺らめく燭台の炎。それを受けて輝く銀食器。一部の狂いなく置かれたカトラリー。ナフキン、ワイングラス、純白のテーブルクロス。
美しい光景だった。まるで、御伽ばなしのワンシーンの様。父の後につき、ここで働けるようになった時、どれ程、心が踊ったか。
夢への第一歩──。そのはずだった。
未来は燭台のまばゆい光りの様に、明るく輝いて見えた。
このまま、輝いてくれていたら、良かったものを…。
シーンは心の内で、深いため息を漏らした。
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