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その夜。
クラレンスの話題でもちきりの夕食が終わり、全ての仕事をすませると、シーンはヴァイスに言われた通り、客間へと向かった。
そこはリオネルが来ると度々使われる一階にある客間だ。一番突き当りにある部屋で、用がなければ誰もそちらまで足を向けない。
静かでいい部屋だとリオネルは好んで使っていた。
扉の前まで来て一呼吸つくと、ノックしようと手を上げかけた所で。
「止めて下さい──っ」
扉の向こうから必死な声が聞こえてきた。
この声は──。
スッと頭が冷える。
「いいだろう? 初めてじゃないんだ。なにも酷いことはしないよ。この前の続きがしたいだけだ。君が途中で気を失ってしまったから、その続きだよ。お金は受け取っただろう?」
「…!」
「いいから大人しくしておいで。私に任せればいい」
「い、いやですっ! この前のお金は返します! だからっ」
衣服の剥ぎ取られる音がした。リオネルの声ともう一つは。
「さあ、そんな事を言わず。──ああ、やはり君は綺麗だね」
「リオネル様、失礼します──!」
迷わず扉を押し開けると、部屋に立ち入った。奥に備え付けられたベッドの上にリオネルがいた。その下に組み敷かれているのは──。
「ハイト!」
「っ…!」
弾かれるようにして顔を上げたのはハイトだった。
ベッドの上、腕を押さえつけられ身動きをとれないでいる。シャツははだけられ、薄い胸が露になっていた。
「なんだ。シーン。無粋だな。戸口で分かっただろう? こういうときは遠慮するものだ。君の主人のヴァイスの時もそっとしておいただろう?」
「…それとこれとは違います。ハイトをお放し下さい」
「ふふ。君がハイトを気に入っていると、ヴァイスから聞いたよ。でも、彼は私が先に見つけたんだ。かなりの大金を払って手に入れた。まだその支払いが済んでいないんだ。行為の最中で彼が気を失ってしまってね。最後まではできていない…」
リオネルの、ハイトの腕を掴んでいない方の手が胸を撫でていく。びくとハイトの身体が揺れた。ハイトはこちらから顔を背けている。
「なんと言われようと、私は引くつもりはありません。今すぐハイトを自由にしてください。彼はあなたのものではありません」
「兄に許可をもらおうと思ってね。ヴァイスに後押しもしてもらう。そうすれば、私のものだ。彼をぜひ連れて帰りたい…」
うっとりとハイトを見下ろすリオネルに、シーンはつかつかとその元へ歩み寄り、
「好きにしたいのなら私を。しかし、ハイトからは手を引いていただく──」
「ほう…」
その言葉に、ハイトがはっとして顔を上げ、リオネルの下で暴れる。
「シーン! だめだよ! そんな──」
「君が受けるよりましだ。これ以上、傷つかないでほしい」
「俺はこんなことくらいで傷つかない! シーンがそんな目にあった方が傷つくよ! やめて!」
ハイトは必死にリオネルを見あげ、
「もう、抵抗しません! だから、だからシーンに、手は…出さないで下さいっ…!」
その身体は震えていた。リオネルはふうとため息を吐き出すと。
「飛んだ茶番だ。気がそがれたよ…。二人同時に相手にしたい所だが──」
「ハイトにはそれ以上、触れさせません」
歩み寄ったシーンは、リオネルの腕を掴みハイトから引き離しにかかる。
「…君は、従者だよね? 私を止める権利がある?」
リオネルの視線は冷ややかだ。
しかし、シーンは引くつもりはなく、逆に更に強く摑むと。
「大切な人を守るのに、理由が必要でしょうか」
「ふん。言うね…。まあいいさ。君の思いに免じてやめておこう」
「ありがとうございます…」
リオネルはゆっくりとベッドから退く。シーンはすぐにベッドの上のハイトを抱き起こした。
「シーン…」
「怖かっただろう? 大丈夫か?」
「大丈夫…」
言いながらも腕に寄りかかった身体は震えていた。シーンは上着を脱ぐとハイトの身体を包み込む。それで乱れたシャツは隠された。
ハイトをすっかり立たせ、引き寄せた所で部屋へヴァイスが入ってきた。
「なんだ。事は済んだと思ったのに。叔父様、中途半端に終わらせていいの? 大金を払ったって言ったのに」
「ヴァイス様…」
シーンはヴァイスから隠すようにそっとハイトを腕の中に囲う。それを見たヴァイスはフンと鼻を鳴らし。
「そいつがどんなに穢れているか…分かってるの? シーン。叔父様が言っただろう? 奴を買ったって。そいつは自分の身体を売って金を得ていたんだ。下賤な人間だ。シーンが関わっていい人間じゃない」
その言葉にハイトの肩が揺れる。シーンはそれを宥めるように背をさすると。
「ヴァイス様。私はすべてを知っています。…直接聞いたわけではありませんが」
「!」
ハイトが驚いて顔を上げる。シーンはそれを出来るだけ優しい眼差しで見下ろすと。
「ハイト。私は気づいていたんだ。これで君の身の上に何が起こったかははっきりしたが…。しかし、そんなことは気にしない。それより、君の身が心配だったんだ。この事実が君を追い詰めているんじゃないかと…。だが、これで君と傷を共有できる。ハイトにとっては知られたくない過去かもしれないが、私は知った事で、君の役に立てるチャンスを得たと思っている」
「……っ」
ハイトが顔を赤くし、震えだす。先ほどとは違って、感情が高まっての事だった。
目の端に涙がみるみるうちに溜まっていく。それをそっと指先で拭うと、そこへ片膝をついてハイトと目線をあわせた。
「君は穢れてなどいないよ。今もそう思うし、今後もそれは変わらない。…愛している」
最後の言葉は、ハイトの耳にしか届かない程度の囁きだった。
それを聞いてたまらずハイトはシーンに抱き着く。肩口に額をこすり付け、嗚咽が漏れた。
シーンは柔らかい笑みを浮かべ、その背を優しく撫でおろす。
それを見せつけられたヴァイスは、歯ぎしりしそうな勢いで二人を睨みつけた。傍らの叔父リオネルも心配するほど。
しかし、シーンは意に介さずハイトを腕に抱いたまま立ち上がって、再びヴァイスに目を向ける。
「ヴァイス様。リオネル様も。私の命に代えても、ハイトには今後指一本、触れさせません。ご承知おきくださいませ」
「私は二度と手は出さないよ。無理を押してまでどうにかしたいわけじゃない。それに、他の誰かを思って泣かれては興も削がれるというものだ」
リオネルは肩をすくませそう返した。しかし、ヴァイスはただぎりと唇を噛みしめるのみでなにも口にはしない。
「それでは、これにて退出させていただきます…」
シーンはハイトを引き連れ、その場を後にした。
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