26.暗い焔

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 その夜。  クラレンスの話題でもちきりの夕食が終わり、全ての仕事をすませると、シーンはヴァイスに言われた通り、客間へと向かった。  そこはリオネルが来ると度々使われる一階にある客間だ。一番突き当りにある部屋で、用がなければ誰もそちらまで足を向けない。  静かでいい部屋だとリオネルは好んで使っていた。  扉の前まで来て一呼吸つくと、ノックしようと手を上げかけた所で。 「止めて下さい──っ」  扉の向こうから必死な声が聞こえてきた。  この声は──。  スッと頭が冷える。   「いいだろう? 初めてじゃないんだ。なにも酷いことはしないよ。この前の続きがしたいだけだ。君が途中で気を失ってしまったから、その続きだよ。お金は受け取っただろう?」 「…!」 「いいから大人しくしておいで。私に任せればいい」 「い、いやですっ! この前のお金は返します! だからっ」  衣服の剥ぎ取られる音がした。リオネルの声ともう一つは。 「さあ、そんな事を言わず。──ああ、やはり君は綺麗だね」 「リオネル様、失礼します──!」  迷わず扉を押し開けると、部屋に立ち入った。奥に備え付けられたベッドの上にリオネルがいた。その下に組み敷かれているのは──。 「ハイト!」 「っ…!」  弾かれるようにして顔を上げたのはハイトだった。  ベッドの上、腕を押さえつけられ身動きをとれないでいる。シャツははだけられ、薄い胸が露になっていた。 「なんだ。シーン。無粋だな。戸口で分かっただろう? こういうときは遠慮するものだ。君の主人のヴァイスの時もそっとしておいただろう?」 「…それとこれとは違います。ハイトをお放し下さい」 「ふふ。君がハイトを気に入っていると、ヴァイスから聞いたよ。でも、彼は私が先に見つけたんだ。かなりの大金を払って手に入れた。まだその支払いが済んでいないんだ。行為の最中で彼が気を失ってしまってね。最後まではできていない…」  リオネルの、ハイトの腕を掴んでいない方の手が胸を撫でていく。びくとハイトの身体が揺れた。ハイトはこちらから顔を背けている。 「なんと言われようと、私は引くつもりはありません。今すぐハイトを自由にしてください。彼はあなたのものではありません」 「兄に許可をもらおうと思ってね。ヴァイスに後押しもしてもらう。そうすれば、私のものだ。彼をぜひ連れて帰りたい…」  うっとりとハイトを見下ろすリオネルに、シーンはつかつかとその元へ歩み寄り、 「好きにしたいのなら私を。しかし、ハイトからは手を引いていただく──」 「ほう…」  その言葉に、ハイトがはっとして顔を上げ、リオネルの下で暴れる。 「シーン! だめだよ! そんな──」 「君が受けるよりましだ。これ以上、傷つかないでほしい」 「俺はこんなことくらいで傷つかない! シーンがそんな目にあった方が傷つくよ! やめて!」  ハイトは必死にリオネルを見あげ、 「もう、抵抗しません! だから、だからシーンに、手は…出さないで下さいっ…!」  その身体は震えていた。リオネルはふうとため息を吐き出すと。 「飛んだ茶番だ。気がそがれたよ…。二人同時に相手にしたい所だが──」 「ハイトにはそれ以上、触れさせません」  歩み寄ったシーンは、リオネルの腕を掴みハイトから引き離しにかかる。 「…君は、従者だよね? 私を止める権利がある?」  リオネルの視線は冷ややかだ。  しかし、シーンは引くつもりはなく、逆に更に強く摑むと。 「大切な人を守るのに、理由が必要でしょうか」 「ふん。言うね…。まあいいさ。君の思いに免じてやめておこう」 「ありがとうございます…」  リオネルはゆっくりとベッドから退く。シーンはすぐにベッドの上のハイトを抱き起こした。 「シーン…」 「怖かっただろう? 大丈夫か?」 「大丈夫…」  言いながらも腕に寄りかかった身体は震えていた。シーンは上着を脱ぐとハイトの身体を包み込む。それで乱れたシャツは隠された。  ハイトをすっかり立たせ、引き寄せた所で部屋へヴァイスが入ってきた。 「なんだ。事は済んだと思ったのに。叔父様、中途半端に終わらせていいの? 大金を払ったって言ったのに」 「ヴァイス様…」  シーンはヴァイスから隠すようにそっとハイトを腕の中に囲う。それを見たヴァイスはフンと鼻を鳴らし。 「そいつがどんなに穢れているか…分かってるの? シーン。叔父様が言っただろう? 奴を買ったって。そいつは自分の身体を売って金を得ていたんだ。下賤な人間だ。シーンが関わっていい人間じゃない」  その言葉にハイトの肩が揺れる。シーンはそれを宥めるように背をさすると。 「ヴァイス様。私はすべてを知っています。…直接聞いたわけではありませんが」 「!」  ハイトが驚いて顔を上げる。シーンはそれを出来るだけ優しい眼差しで見下ろすと。 「ハイト。私は気づいていたんだ。これで君の身の上に何が起こったかははっきりしたが…。しかし、そんなことは気にしない。それより、君の身が心配だったんだ。この事実が君を追い詰めているんじゃないかと…。だが、これで君と傷を共有できる。ハイトにとっては知られたくない過去かもしれないが、私は知った事で、君の役に立てるチャンスを得たと思っている」 「……っ」  ハイトが顔を赤くし、震えだす。先ほどとは違って、感情が高まっての事だった。  目の端に涙がみるみるうちに溜まっていく。それをそっと指先で拭うと、そこへ片膝をついてハイトと目線をあわせた。 「君は穢れてなどいないよ。今もそう思うし、今後もそれは変わらない。…愛している」  最後の言葉は、ハイトの耳にしか届かない程度の囁きだった。  それを聞いてたまらずハイトはシーンに抱き着く。肩口に額をこすり付け、嗚咽が漏れた。  シーンは柔らかい笑みを浮かべ、その背を優しく撫でおろす。  それを見せつけられたヴァイスは、歯ぎしりしそうな勢いで二人を睨みつけた。傍らの叔父リオネルも心配するほど。  しかし、シーンは意に介さずハイトを腕に抱いたまま立ち上がって、再びヴァイスに目を向ける。 「ヴァイス様。リオネル様も。私の命に代えても、ハイトには今後指一本、触れさせません。ご承知おきくださいませ」 「私は二度と手は出さないよ。無理を押してまでどうにかしたいわけじゃない。それに、他の誰かを思って泣かれては興も削がれるというものだ」  リオネルは肩をすくませそう返した。しかし、ヴァイスはただぎりと唇を噛みしめるのみでなにも口にはしない。 「それでは、これにて退出させていただきます…」  シーンはハイトを引き連れ、その場を後にした。
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