27.帰郷

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 その後、ヴァイスは父クライヴに従い、街の別宅へ向かう事を受け入れた。  今後はそこが生活の拠点となるのだ。週末、移動する手はずになっていた。  ヴァイスはそれまでの素行がまるで嘘のように静かに、自室や領内を散策して過ごしている。まるで良家の子息そのもの。  きっと、このような暮らしぶりだったなら、皆の不安を煽ることもなく、自らの未来を狭めることもなかっただろうにと思えたが。  一時、元学友が別れを惜しみにここへ訪れたが、その際も以前の様に自堕落に過ごすことはなく、ただ自室で談話したのみ。  友人はその日のうちに帰って行った。その帰り際、シーンの姿を認め、薄っすら笑みを浮かべて見せる。  一度、ヴァイスと彼の情事の現場を目撃させられたことがあって、その時以来の笑みだった。あの時、ヴァイスを組み敷いていたこの男は、シーンを認めて、不敵な笑みを浮かべて見せたのだ。  それを思い起こさせる嫌な笑みではあったが、それだけの事。別段気にするほどではないと思った。  そうして一週間はあっと言う間に過ぎ、ヴァイスの出立の日となった。  今日の午前中には、ヴァイスは屋敷を出る予定になっている。既に粗方の荷物は運び終えていた。後は本人が車で向かうだけだ。  シーンはその午後、ハイトと新居となる叔母の住む村、サンティエを見に行く予定だ。  既にハイトは屋敷での仕事を辞して、アパートに戻っている。今日はそのアパートの近くで待ち合わせをし、昼過ぎには出る予定だった。  その後、村で数日を過ごし、農場や畑の様子を見る回る。叔母はかなり喜び、ラルスたちが越してくるのを楽しみにしていた。  その間、ヴァイスからは何の動きもなかった。シーンを引き留める様な手立てや、ハイトを陥れる様な様子も見られず。  このままで終わるはずが無い、何かあっても良さそうなものなのに、こちらの警戒を嘲笑うかの様に、何事も起こらなかった。  それがかえって不気味でもあったのだが──。  その日の朝、朝食を終え、皆が自室に戻った際、事件が起きた。  クライヴとクラレンスはまだ、食後の一杯を別室で楽しんでいる。  シーンは先に部屋へ戻ったヴァイスの着替えを手伝うため、その自室へ向かいドアを開けた所で異変に気付く。 「──ヴァイス様?」  見れば、ヴァイスがソファの上に横になっていた。部屋に戻ったのは、つい先程の事。寝ているにしては不自然で。  足元の絨毯の上には割れたグラス。テーブルの上には何かの薬が入っていただろう、小瓶がある。  まさか──。  すぐに駆け寄り、その身体を抱き起す。  瞳孔が開き、口から白い泡がこぼれていた。急いで小瓶を確認すれば『モルヒネ』とある。  これは──。 「ヴァイス様──!」  すぐにヴァイスをそこへ横たえ、呼び鈴を鳴らす。それから胸もとを寛げ、口へ水をもっていった。駆けつけたメイドに指示を出す。 「すぐに病院へ連絡を! 医師を呼んでください。モルヒネを誤飲したと。早く!」  それからは屋敷中が大騒ぎとなった。医師はすぐに呼ばれ、治療にあたる。  幸い飲んですぐに発見出来たため、薬の効きが遅くそこまで大事には至らなかった。  使用人の間では、悲観して命を絶とうとしたのだと噂された。  しかし、シーンにはどうしてもヴァイスが自死を選ぶようには思えない。  これは、何か計略があっての事なのでは?  モルヒネを常用するものはこの屋敷にはいない。致死量に近いそれは、外部から持ち込まれたとしか考えられなかった。  ヴァイス自身が薬を購入したとは思えない。そんな事をすれば直に噂になるだろう。  ふと、数日前、訪れた友人を思い出す。彼の去り際の笑み。  あれはもしや、この事を予見していたのではなかったのか──。  友人を使い薬を調達し。ヴァイスの後を追って、シーンが部屋を訪れる事は分かっていた。発見が早ければ早いほど、助かる確率は高くなる。  しかし、何の為に?  考えを巡らせていれば、ベッドの上のヴァイスが身じろいだ。既に医師の診察は終え、別室にてクライヴと話をしている。  先ほどまでは看護師もついていたが、休息をとるためこちらも別室にいた。代わりにシーンが様子を診ることになる。  ヴァイスが倒れてから数時間が経とうとしていた。 「…シーン…?」  弱々しい声音は、幼い頃を思い起こさせた。昔は虚弱体質で、事あるごとに貧血を起こし倒れていたのを思い出す。 「こちらに。お加減はいかがですか?」 「…気持ち悪い」 「吐きたいなら仰ってください。こちらに準備がありますから──」 「大丈夫だ…。それより、シーン…」 「はい?」 「…次、目が覚めるまで、ここにいてくれるか?」  ベッドから僅かに手を差し伸べ、掛け布団を引き上げようとした手に触れてくる。それはひんやりと冷たかった。  時刻は午前十一時を回るところ。ハイトとの約束は午後一時だった。この分では間に合わないだろう。さすがにこの状態のヴァイスをおいてはいけない。 「…はい。おりますから。気にせずお休みになってください」 「ありがとう…」  そう言うと、ヴァイスは再び目を閉じた。  ハイトになんとか連絡を取りたかった。  看病の合間に、ちょうど外出予定のあった下僕のアンリに、午後一時までに必ず伝えて欲しいと頼む。  急遽行けなくなったため、また後日、日を改めていこうと。それをメモにも書き手渡した。これで取り敢えずは安心だ。  とにかく、このヴァイスの件が収まるまでは動けない。しかし、それも数日の事。ハイトには申し訳なかったが、あと少しの我慢ですべてが手に入るのだ。  これが最後の務めとなる。それまで、シーンはヴァイスの回復に努めた。  父オスカーの話によると、やはり服用したのはモルヒネで、致死量に近かったと言う。  この担当医師が処方したものではないため、やはり外部から持ち込まれた者だろうとのことだった。  それで自殺未遂を起こした。  自分の将来を悲観しての事となったが、やはり疑問は残る。  ヴァイスはその後、しばらく屋敷で養生させることとなった。  また事件を起こさせないため、看護師や下僕がその看護と見張りに立つこととなる。シーンもその役目を指示された。  これでは当分、ハイトと村に行くことが出来そうにない。  またハイトに手紙を書こうと思った。
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