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4.職探し
病弱な妹に、寝込んでいる祖父。
二人を抱えなんとか懸命に生きているハイトがとても健気でいじましく愛おしいものに思える。
やはり、これは早々に何か仕事を見つけてやるべきだろう。
暫くしてハイトが戻って来た。
「有難うございました。サイラスさん。お陰で妹は大人しく寝てますし、山羊の乳の件も──。妹はすっかりあなたの事が気に入ったみたいです」
「私は何もしていないよ。…それより、おじいさんも寝込んでいるのか?」
「…はい。数日前から持病の手足の痛みが酷くなって…。仕事も行けていません…。同じ位に妹の喘息も酷くなって、それで…」
必死になって金策し、妹の為に薬を買ったのだろう。その金策の方法はあえて聞くことはしなかった。
「なんにせよ、これからはもう少し安定した職を得るべきだな。手をつくそう。暫く待っていてくれるか?」
「はい。でも…いいんですか? 俺なんかとかかわって…」
通常なら身分的にも接することのない立場だ。人に知られればいい顔をされない事もある。ハイトが気にするのは無理もない。しかし、シーンは首を振ると。
「私は君の力になりたいと思っている。それだけだよ。『俺なんか』なんて、言わないでくれ。──ことに、農作業や家畜の世話は問題ないんだね?」
「あっ、はい…。小さい頃から手伝っていましたから。でも…その、足が…」
ハイトの視線が自らの右脚に落とされる。今までそれで仕事を失くしたことが多かったのだろう。
同じ様な条件の者ばかり集めた中で、さて、誰を選ぶかと考えた時、身体的に問題があるものは一番先に落とされるのが常だ。
「大丈夫だ。それ込みで考えている。出来る限り手は尽くすつもりだ。…最後に何も見つからなければ、私が個人的に雇ってもいい」
「え…?」
「ああ、誤解しないでくれ。私が雇って屋敷のどこかで働いてもらうと言う事だ。私の個人的な生活の為に君を雇うわけじゃない。だが、多分そこまでしなくとも見つかるはずだ。君はいい子だ。きっと大丈夫。上手くやって行ける」
「有難うございます…。本当に、色々…」
ハイトは俯いたあと、はっとして、
「せっか来ていただいたのにお茶も出さずに、すみません! 今すぐ用意しますから──」
「私も手伝おう」
席を立つとハイトが慌てだす。
「お客さんなのに…。座っていてください! 俺がやります」
「いいんだ。普段から人にやってもらうのには慣れていなくてな。お茶は?」
「あ…その、戸棚のなかに──」
キッチンの上に取り付けられた棚を開ければ、小ぶりな缶が一つあった。中を開ければ、大事そうに何重にも包まれたつつみがひとつある。シーンの手が止まったのにハイトは気付いて照れくさそうに笑うと。
「それ、特別な時用なんです。お客さんや、何か嬉しいことがあった時に淹れるんです。普段はお湯か水で済ませてるんですけど…」
「…いいのか?」
「はい! 高い茶葉じゃないですけど、薫りが好きで…」
「そうか…」
袋を開けると確かに花の様ないい香りがした。くるくると丸まった茶葉をハイトが用意したポットへ移す。
茶器もだいぶ年期の入ったものでどこにでもある安価なものだが、大事に扱っているのが見て取れた。
ハイトが湧いたお湯をそこへ注ぐと、ふわりと程良く甘く柔らかな薫りが漂う。有り勝ちな甘ったるい薫りではない。
「…いい薫りだ」
「でしょ?」
ハイトが僅かに小首をかしげ見上げてくる。
どこかかわいらしさがある素振りにシーンは思わずドキリとした。
狙ってしているわけではないのだろうが、ハイトはどこか全体的にかわいらしさがある。大きなブルーグレーの瞳のせいなのか。
なんだろうな。これは──。
「さ、どうぞ」
時間を見てカップに注いだお茶をテーブルに置き勧めてくる。シーンは席についてそれを手に取り口にした。
花の様な薫りと共に、いい塩梅に淹れられた紅茶が身体に染みていく。
高価な茶葉を使えばおいしくなると言うものでもないらしい。屋敷で口にするものは一級品ばかり。シーンら使用人も、稀にそれを口にする機会があるが、今飲んでいるものの方が断然おいしく感じた。
屋敷の茶葉が、不味いわけではないのだが──。
ちらとハイトに目を向ける。
細く骨ばった手でしっかりカップを覆うようにして、お茶を口にしていた。その顔は笑みに彩られいる。
ハイトが淹れたからか──。
このニコニコと笑う、人の良い少年に、シーンは既に好意を持っているのだ。
そんな相手が淹れたものだから美味しく感じるのだろう。勿論、その好意は友人としてのものだと理解しているが。
「ハイトは…、ここへ来る前はどんな生活を?」
ハイトは少し考えるようにした後。
「毎日忙しくて。朝起きて、馬や牛、山羊や羊の世話をして、それから朝食を食べて、学校に行って。帰ってきたら、厩にいる馬の世話をして。夕飯を食べて少し勉強してそれから寝る──そんな感じです」
「凄いな。それは大変だっただろう?」
「いいえ。それが毎日楽しくて…。生き物と関わるのは楽しいし、特に馬の世話が一番好きで。馬車や畑用に飼っていた馬だったけれど、時間があればそいつに乗ってよく遠乗りしていました。歳は若くないけれど、栗色の身体に額に星があって、あいつ、元気にしているのかな…」
「そういえば…。前に屋敷に数頭馬が入ったが、それが君の家にいた馬だろうか? 中の一頭に額に星があったな…」
「本当に? フルーって言うんです! 元気でやっているといいな…」
ハイトは懐かしそうに眼を輝かせるとそう口にした。
ハイトの両親が管理していた農地は全てシーンの主人、レヴォルトのものとなっている。
管理はまた別のものに任せているが、確か数頭、数年間に馬が入ってきたことを記憶していた。主に馬車や狩りに使われている。その中に、ハイトが可愛がっていた馬もいるはずだった。
お茶を飲み終え一段落すると、シーンはそろそろ帰る時刻だと気付く。
すっかり長居してしまった。胸もとから懐中時計を取り出し時刻を確認した後、ハイトを見やり。
「そろそろお暇する時間だ。仕事が決まったら連絡しよう。そう時間はかからないだろう。その…、報告以外で、またここへ来ても?」
帰り支度を整え玄関へ向かいながらハイトを振り返る。
「え?! ここへ? …俺は嬉しいですけど…」
「良かった。山羊の乳の件もあるしな。──それでは。お祖父さんにもお大事にと伝えておいてくれ。イルミナにもな。今度は何かお土産を持ってこよう」
「そんなっ、気を使わないで下さい…」
「先程も言ったが、君の役に立ちたいんだ。気の済むようにさせてくれないか?」
玄関口に立ってハイトを見下ろせば、初めこそ俯いていたものの。
「…分かりました。その、ありがとう、ございます!」
キラキラとした笑顔でこちらを見上げてくる。つられてこちらも自然と笑みになった。
そのまま階段を降り切り、アパートの出入口に立つが。
「それでは──と言いたい所だが、ここを出て右だったかな?」
本当に道が分からなくなっていた。するとハイトはクスリと笑って。
「大通りまでご案内します。迷ったときは──」
そう言いながら管理人に挨拶をし、玄関を出て、扉の足元にある敷石を示した。
「この敷石、ほら、他のより白いでしょ? これが所々にあるんで、それを辿ればこの路地に着きます。初めてここへ来た時、やっぱり迷って、この石を目印にしたんです」
それは確かに点々として、大通りのある左へと続いている。
「さあ、行きましょう」
ハイトがごく自然に手を引いてきた。
普段妹や祖父にしているのと同じ扱いなのだろう。シーンは驚きはしたものの、それは表には出さず、
「よろしく頼む」
繋いだ手をそっと握り返すと、そう言って笑みを返した。
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