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30.別れ
シーンは屋敷に戻り、ヴァイスと相対していた。朝食が終わり、午前の薄い日差しが、カーテン越しに柔らかく室内に降り注ぐ。
ヴァイスはゆったりと肘掛けに腕を預け、自室のソファに座っていた。医師の話しでは、もう、ベッドで横になっている必要はないらしい。
「どうした? そんな怖い顔をして──」
「ヴァイス様。お暇をいただきに参りました」
シーンは居住まいを正すとそう口にした。ヴァイスは鼻で笑うと。
「今更何を? だいたい、僕が回復するまではここにいる話しだろう? …それとも、僕を捨ててあいつと何処かへ行くつもりか? ──僕は許さない。父に捨てられ全て取り上げられて…。シーンまで何処かへ行くなんて、許すはずないだろう?」
「クライブ様にも、クラレンス様にも、既に許可は得ております。今日、これで私は屋敷を──ヴァイス様の元を去ります」
クラレンスは、自分が領主を継げば、シーンを執事に迎え、敷地内に別宅を設けようと提案してくれた。
勿論、そこへハイトが住まう事も前提だ。ハイトは今までで通り、お屋敷に勤め、ゆくゆくは農場の管理を任せてもいいと言う。
確かに魅力的な提案だった。
けれど、シーンはもう、他の道を選択するつもりはない。感謝しつつも、丁寧に辞退した。
ヴァイスは乾いた笑い声を上げながら。
「はは。なにを言って──。僕がお前を離すわけないだろう? どんなに逃げても追ってやる…。お前をかどわかす奴らは全て排除する。あの薄汚いガキもそうだ。今頃、何処かの貧民窟で下等な客でも取らされているだろう…」
「やはり、ヴァイス樣の企てでしたか…。彼は無事です…。そして──、今後一切、同様のマネはさせません」
強い光を宿した眼差しでヴァイスを見据える。ヴァイスは目を細め、尖った顎に白い指先をあてると。
「ふん…。運のいい奴。だが、いくらお前が脅しても同じだ。お前が奴を手元に置こうとする限り、必ず排除してやる。次は命だってないと思え。それが嫌なら──シーンは僕の傍にいる事だ。それで万事解決する…」
「クライブ様にもクラレンス様にも、全て事情を話させていただきました。今回、ハイト救出にご協力いただいたリオネル樣は全てご承知済みです…。それがどう言う事になるか、お分かりですか?」
「ハッ! 僕を処罰するって? 貴族の僕が、スラムの貧相なガキを売っただけで罪になるとでも? …あんな虫ケラ同然の輩が」
「やはり、反省は無理な様ですね…」
シーンは悲しい目をして首を振ると。
「そこで──聞かれていましたね。ヴァイス様はお認めになりました。残念ですが…」
すると、少し開いていた隣室の扉から制服姿の男達が入って来た。警察官だ。中には刑事も混じっている。
「こ、これは──」
警官がヴァイスの周囲を取り囲んだ。
「クライヴ様はことの顛末を聞き、全てを警察に託すと仰られました。人身売買は罪です。しかも人を騙しては…。全て、証拠は揃っているのです。貴方に指示を受けた御者も証言しました。店の主人も認めています。ただ、あなたは貴族です。大して重い罪にはならないかも知れません…。ですが、これが反省をする材料にはなるでしょう」
「シーン…っ。僕を──売ったのか?!」
「売ったのではありません。ご自身の侵した罪を自覚し、顧みて欲しかっただけです。それにはこれが必要でした。今後、また手をだせば今回より重い罪に問われるでしょう…。そこを自覚し、慎重な行動をお取りください」
「──!」
「私のあなたに対する情はすべて消えうせました…。道ですれ違っても、もはや他人です。今まで、ありがとうございました。それでは──」
「待てっ! シーン! そんな──僕を置いて行くのか? 放り出すのか? ずっと、側にいるって、そう言ったのにっ! シーン!」
ヴァイスは警官に取り押さえられる。
悲痛な叫びにシーンは一唇を噛みしめたものの、背を向けると二度と振り返らず、屋敷を後にした。
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