水葬の姫と墓守の騎士

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 騎士はまもれなかった。  忠誠を誓った姫を。  尊き聖女を。  大切な幼馴染を。  たった一人、愛した女を。  だから彼は失ったのだ。  彼女を鮮やかにうつす瞳を、  彼女を守るたくましい腕を、  最愛を。 ―――――    男は薄暗い森をさらに深い方へと歩いていた。  木の根がところどころ地表に張り出した険しい道を、器用に進む男の右側にはいっぱいの花。  この深く、暗い森は、十年間、男がに必ず日に一度は訪れる場所。夜であっても、月が明るければ、ふと思い立ってきてしまう。男にとって自然と足の向かう場所だった。  当初は森の奥深さと体のバランスになれず、あちこち転び、泥にまみれていたが、男がそこへむかうための歩みを止めたことはなかった。  しばらく男が歩いていると、突如として、木々が開ける場所にでる。  そこには淡い光の光芒が差す、清らかな泉があった。  生息する透明な水エビの、さらに奥の岩さえ透けてみえるような澄み切った美しい息吹の園。  その水の中、若葉の柔らかな水草に包まれるように、麗しい乙女が手を結び、眠っていた。    泉は乙女を中心として、すっぽりと彼女を覆うような形をしている。  男は乙女の浮かぶ泉の岸辺に寄ると、今朝、摘み取ってきたばかりの瑞々しい季節の花をそっと水面に浮かべる。  摘んできた花の頭を一つ、一つ、もぎ、時間をかけて丁寧に泉に浮かべていく。  今日の花は黄色に偏っている。いつもなら、色のバランスを見てくれるはずのメイド長が今朝はいなかった。  でも、男はそれをやめない。     この儀式を男は十年間続けていた。 ―――――  男は昔、騎士だった。国有数の武門貴族の家に生まれ、年齢と共に順調に騎士として力をつけていき、十代も後半になると王族を守る精鋭部隊の近衛兵となった。  そんな折、大陸を二分する大きな戦争が起きる。二年を費やす戦争に、男の国は勝利し、志願して前線で戦った男は、英雄ともいわれる武勲を上げた。  王からの褒賞の授与に願ったのは、その国の姫であり、光を宿す聖女であり、男の幼馴染であり、初恋の相手であった王の美しい末娘だった。  共に想いあっていることが分かる間柄に、王は快諾した。  国の英雄と慈しみに満ちた美しい姫の婚姻に、国中が祝福し、二人に幸多き未来を、と願った。  そんな幸せに満ちた結婚式が終わり、それ以上に幸福な新婚生活が幕を開けようとしていた日、 ―――彼女は死んだ。  たった一瞬、男が、ほんの瞬きした時には、彼女の体は地に沈んでいた。  最愛の人と結ばれ、浮かれていたと言えば、男は否定もできない。  だが、浮いていた足をようやく地につけ、喜びを実感しようとした刹那、彼女はこの世のものではなくなっていた。 ―――ただただ、彼女を守れなかった。  男に残ったのは、悲嘆と自身を貶める感情だけだった。  「姫が死んだ」  という、結婚式翌日のあまりにもおかしな知らせに、国中で様々な憶測が飛び交い、やがてそれは愛する姫を守れなかった英雄への批判へとつながった。     首都で暴動が起きかねないほどの事態。英雄と言われた男がたった一日で、大罪人となった。  逆をいえば、それほどまでに、民は姫を愛し、姫の死に悲しみと怒りを抱いていたのだ。  王もまた、娘を深く愛していた。  しかし、彼は賢王でもあった。  命を重んずる王は、命まで奪わない代わりに、男に3つの罰を与えた。 ――初めに男から奪ったのは、片方の瞳。唯一、男が、この世の色を認識することができた左の目だった。  それは幼き日、彼女が男を守ってくれた証でもある瞳だった。  男は幼少のころ、高熱で生死の境をさまよったことがあった。そんな男に、幼馴染の姫は三日三晩付き添い、治癒の光を分け与えてくれた。  姫の寝ずの看病に病は治ったが、男は代償に右目の色を失った。姫はそれをひどく後悔していたが、男はそれも彼女が自分を助けてくれた証だと思って嬉しかった。  何より片目でも彼女の可憐な姿を捉えれていれば、十分だった。  しかし、もうそれも必要ない。  彼女が守ってくれた色は、彼女を守れなかったがゆえに男から奪われたのだ。  色彩の魔女が男の前に手をかざす。男の世界から(いろ)が消えた。 ―――次に奪われたのは、姫を殺した無力な左手。  執行人は、男の親友であり、妹を大切に思っていた姫の双子の兄王子だった。彼は男の利き腕をひと思いに斬った。  腕そのものこそ落ちはしなかったが、傷は深く、男の腕は一切の機能をなくした。  当代一の騎士、ジークフリード=ヴェディヴィア、死の瞬間だった。  その手は姫がいつも腕を組み、互いに重ねていた手でもあった。  だが、それもジークはどうでもよかった。  もう最も大切な『護るもの』もなく、彼女の温度を感じることもできないのだから。  ジークフリードは剣を、最愛の人の手を「握る」手段を失った。    彼女に関するものが、男の体からすべて奪われていく。   ――そして、最後の罰は奪われたのではなく、文字通り与えられた。  「姫」そのものだった。  王は、娘を穏やかに眠らせるため、ジークフリードに埋葬地を探す任を与えた。    ジークフリードは、騎乗した己の胸に愛する姫を抱き、あてのない旅に出た。  乗っているのはジークフリードと姫をいつも遠くに運んでくれた馬。  姫はこの馬が好きだった。よって、その馬が止まったところに姫の遺体を埋めることになった。それが姫の意志となったのだ。  馬はやがてジークの見覚のある土地へと入ってゆく。ヴェディヴィア家の領地。  新婚生活を送るはずだった土地。  そんな領地の奥深い森の中を馬は進む。    本来ならば、馬は入れないだろう場所だったが、それは意思を持ったように、自身が傷つくのさえ厭わず、奥に奥にと進んだ。  やがて、開けた場所にでて、馬は止まり、自分の役目は終わったとばかりに、腰を下ろした。 ―――深い森の中、そこだけに日が差し、輝いていた。  ジークフリードはそこに降り立ち、時間をかけながらも、片腕で地面を深く広く掘った。  やがて、大きな大きな穴ができる。  馬に寄りかからせていた姫の遺体をゆっくりと胸に抱き、彼女を穴の中で優しく横たえさせた。   ―――見つめる先の彼女に色はない、温度も感じない。  しかし、ジークの目に映る姫は今にもまた、こちらに向けて微笑みかけてきそうなほど「美しいまま」息づいていた。 ―――ジークにようやく現実が戻ってくる。  姫が死んでから今の今まで、ジークはこんなにも彼女のもとにいさせてもらえなかった。二人になれなかった。死んでから改めて彼女の顔を見たことがなかった。  なぜ彼女は死んでもなお美しいままなのか。  季節は、輝かんばかりの日差し降り注ぐ、夏だというのに。彼女は土に帰る気配さえなく、美しいままだった。  ジークは体そのものを動かし、動かなくなった手を、彼女が愛してくれた手を、彼女の頬にやった。  そこにはなんの感触もない。温度も何も感じない。  枯れていた悲しみが沸き上がり、ジークの閉じた瞳から、透明な体液が漏れでた。  それは彼の右手に落ち、さらには姫の頬に流れる。ジークフリードが泣いているのに、彼女が泣いているような不思議な光景だった。  さらにその露は頬を滑り、地面へと落ちていく。  その刹那、地面に大きな光が灯り、地表から水が溢れ出した。ジークの堀った大きな穴は、いつのまにか清らかな泉へと変わった。  その瞬間、姫の美しくも、冷たい、清らかな墓標が建ったのだ。 ―――――  あれから、欠くこともなく毎日、ジークはこの泉に訪れている。  ここを訪れるため、自領の屋敷をわざわざこの森の境にうつさせたほどだ。  しかし、そこからでさえ、徒歩一時間はかかる。  それでも通うのだ。  ただただ、彼女を悼み、見つめ、己を責める日々。  姫はそんなジークに当然何も返すことはない。が、朽ちて逝くこともない。ただ美しいまま傍にいる。 ジークはそんな彼女にまた、恋をする。何も変わらない彼女を愛さざるを得ないのだ。  動かない腕で、何も感じない手で、姫の頬にふれる。 「また来るよ」  いつものように、寂しげに微笑むと、ジークフリードはその場を後にした。   彼はまだ気づかない。   水に浮かべた黄色の花が、全て輝き、真白に染まったことを。   ふれたほおが、柔らかな温度を持ちはじめていることを。   まだ、しらないのだ。
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