臓物に囚われる

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臓物に囚われる

 他人の臓物なんて、見たいわけないだろう。  都会の排気ガスに塗れ、どす黒く濁った赤色のそれらは、今にも動きを止めてしまいそうに鈍い鼓動を打っている。  幸せそうにアイスクリームをシェアしているカップルも、忙しそうに雑踏を抜けて行くサラリーマンも、楽しそうに街中を闊歩する学生の群れも、僕の目には、どろりとした臓物の集合体にしか映らない。  就職して三年。第四志望の会社にどうにか滑り込んだ僕は、一昨年の秋ごろから他人の臓物が見えるようになった。  はじめはうっすらと透けて見える程度だったのが、今ではくっきりと見えている。流れの悪そうな血管に繋ぎ留められ、かろうじて生命を維持しているかのような臓物の蠢きが見えるのだ。  心の病からくる幻覚で間違いない。専門の病院を受診することも考えた。だが、原因は分かっている。  やりがいを見いだせない日々の仕事、客先や上司からの理不尽なクレーム、休みが合わず疎遠になっていく友人、カツカツの生活費、孤独な一人暮らし。  便利とは程遠い田舎で育った僕の身体が、都会の毒に耐え切れなくなったのだということ。  幻覚を治してまで社会に戻る気力は、僕には残っていなかった。耳鳴りと蝉の声の区別がつかなくなった今朝、辞表を提出した。  その足で僕は、故郷へと向かった。  新幹線と在来線を乗り継いで数時間掛かる。気にすると嫌になるので、時計は見ない。  都会から離れたところで臓物が見えなくなるわけではなかったけれど、それでも人口密度が減っていくにつれ気持ちが少し楽になる。  車内にいる乗客の臓物は出来るだけ目を瞑ってやり過ごし、高校卒業までを過ごした車窓からの景色に頬杖をつきながら、今後のことなどをぼんやりと考えていた。  再就職のあては、ないわけではない。故郷には大手電機メーカーの下請け工場がいくつもあって、親戚の口利きがあれば、たいがいのところへ滑り込むことは出来る。  故郷から遠く離れたかったのが、僕が都会へ出る一番の理由だった。けれど、その理由も今はもうない。  あの子のことさえ踏ん切りをつけられるのなら、故郷へ戻るにやぶさかではなかった。 「次はつきくら。つきくらに到着します。ホームと線路の間が広くなっていますのでお気をつけ下さい」  運転士が車掌業務を行うワンマン運転は、いつまでも昔のまま。変わらない思い出。  降り立った駅は、申し訳程度にホームベンチが置いてあるばかりの野ざらし無人駅だ。  夕刻を過ぎ、陽が山の向こうへ落ちていこうとしている。こんな時間に駅を利用する物好きは、今のところ僕しかいないようだ。 「あれ、階段どこ行った」  思わず声に出してしまった。隣町の高校へ通うのに毎日利用していた駅だ。ホーム端の小さな階段を下りて線路を突っ切り、駅員のいない改札を通って外へ出ることくらい、忘れたくとも身体が憶えている。
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